2006年7月 4日 (火)

手紙の名人だった

たまに私が更新をしようと思うと、なぜかココログが不調だ。ということで、昨夜からココログにログインをしているのだが全く開かない。仕方ないのでメモ帳に下書きをしてログインできるの待っていた。今やっとログイン。以下の記事は、本当なら昨日のうちにアップさせておきたかったものだ。

カフカは少数の作品しか残さなかったマイナーな作家ではあったが、友人マックス・ブロートによってその作品が公開され、今も私たちの目に留まっているばかりではなく、彼の作品が多くの研究者によって無限のヴァリェーションを作り上げている。
1883年の7月3日にフランツ・カフカは生まれた。今日で生誕123年となる。生きていたらの話ではあるが、彼が還暦を越えた頃は第二次世界大戦が終わっているわけで、日本と同じ敗戦国であるドイツの事情を、彼ならどんな眼で見たのだろうか。歴史に「たら」は許されないとしても、文学の手法としてはよくある行為だから、彼がどんな眼で戦後の世界を見つめていたかを空想するのも良いのではないか。彼の変身譚をイメージして、軍国主義の幼虫から蛹になり、すぐさま脱皮して民主主義という蝶になったのか・・・と。還暦を過ぎ数年の私は、蝶として完全変態し、今は蝶道をのんびり飛んでいる。とは言っても蝶の命は短いし、先は見えているようなものだ。
父親はチェコ系の裕福な商人、母親はイツ系であったにしろ、ユダヤ人であったカフカが、ナチのユダヤ狩りの魔手から生き延び得たであろう事は想像に絶するし、たとえ長寿を全うし得たであろうにしても、ベルリンの壁の崩壊、東西ドイツ統一までは見ることが出来なかったに違いない。
いずれにしてもカフカは1924年6月3日に、40歳の若さで亡くなっているのだ。

彼の年譜を見てみると、1902年にマックス・ブロートと知り合って以降、父親の後を継がずにプラハの保険会社で働くのを皮切りに下級官僚の職を重ね、スイス、北イタリア、パリ、チューリヒ、ワイマール、マリエンバート、メラーン、シュピンドラーミューレ等を転々とした。その間に女性に手紙を出しまくっては婚約し、破棄を重ねた。特に1912年のフェリーツェ・バウアーとの出会いは、その後に何千通もに及ぶ手紙を出すことになった。彼は彼女と二回婚約し、その二回ともを破棄した。彼の優柔不断、決断力のなさは彼女を惨めにするばかりでなく、彼自身をも過酷な苦行に追いやるものだ。南チロル・メラーン(メラーノ)で人妻ミレナ・イェセンスカーとの失恋の後はベルリンに移住したが、健康状態悪化でプラハに戻り、最後はウィーン近郊のサナトリウムで息を引き取った。
Photo 『変身』において、カフカはメタモルフォーゼ(変身)という文学的技法を使っているが、彼はこの作品について『カフカとの対話』のなかで「『変身』は、恐ろしい夢です。恐ろしい表象です」と言っているように、この一言に彼の着想や主題が暗示されているわけだが、解釈は難しい。低次元の昆虫への人間追放かな・・・と思いながら、『変身』の再読中。

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