ぶらり京都(2020年10月12日~10月13日)

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2011年4月23日24日の気仙沼

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    気仙沼市唐桑町にの甥一家が東日本大震災で津波の被害に遭遇。お見舞いに駆け付けた時の撮影。

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2020年10月 8日 (木)

泉鏡花の『外科室』を読んだ。

「文学史のいわゆる定型に収まらない存在にある」と言われている鏡花の作品だけに、とても一筋縄で理解できるものではない。
この作品のあらすじは、貴船伯爵夫人が、その魂の恋人である医学博士高峰に手術を受けることから始まる。
夫人は、自分のうちにある心の秘密が現れることを理由に、麻酔にかかるのを拒否。麻酔なしで自分の胸を切り開かせる。
そして高峰が手にしているメスに片手を添えて、自ら乳の下を深く掻き切った。
高峰も夫人の後を追って、その日のうちに自殺。二人はお互いに純粋のまま死に至るというもの。
相思相愛の男女が、外科室の中という限定された場所で、愛の実現のために、麻酔なしの外科手術をする。
その残酷な解剖の絶頂で、お互いに無常の喜びに浸りながら心を貫く・・・まさに、この世ならぬ相愛の恍惚であり、ある種の遥かなる恋愛至上主義的なものを感じる。
実際問題、現実的な関係を超えた、魂の恋人としての医学博士高峰との不可能な恋に、命をささげて死ぬことができる人間がいるのか・・・そう思ったとき、夢にもありえない筋立てを考えついたものだと驚嘆する。
この作品の発端は九年前、貴族階級の女性と一医学生であった高峰との出会いにある。

二人は植物園で、すれ違いざまに目を交わしただけのことであり、この場合、恋という言葉すらふさわしくない。
というのも、そのまま九年後の手術まで、顔を合わせることはなかったのだから・・・世の常の男と女の間に成り立つ恋とは全く別物である。
出会いが瞬間的な一目ぼれであった。
そしてその瞬間的な一目ぼれが死に至るという、どこか絵空事のような現実を超えた形での魂の融合を強調している。
鏡花は現実では考えられないような、ある遥かな恋愛至上主義的なものに憧れていたのかも知れない。

あたりまえの時間や空間を、あっさり超えてしまうという論理的な矛盾があるものの、そこには断ち切ることのできない純粋な愛情が主題として描き出されている。

その根底にあるものは、常に現実を超えるものとしての永遠の感情である。
我々の周りにも、一目ぼれというような瞬間的、突発的な心の状態の変化は常に存在する。
そういう状態というものは、なかなか理由付けや解釈などできるものではない。
だが、それを小説に書くとき、文章構成上の常道としては、たとえ、その瞬間を細かく説明することは適わぬまでも、瞬間の心の変化がその後、当事者の生活にどのような変化や、どのような状況を導き出すか・・・そのようないきさつを、時間の経過にしたがって描写し、そこから逆に瞬間の意味を伝えるという方法をとる。

『外科室』は、そういった文章構成上の常道からは掛け離れていて、納得行くような描写が全くなされていない。
かなりの飛躍がある。
しかも、言葉でも表現でも、きわめて簡潔である。くどくど言っていない。
「痛みますか」
「否(いえ)貴下(あなた)だから、貴下だから」
「でも、貴下は、私を知りますまい」
「忘れません」
ただそれだけの会話にすぎないのだが、大胆な内面告白であり、驚くほどの万感がこもっている。
私はそこに、見事な意識の流れを感じた。

時代の違いこそあれ、いつのときも、われわれ人間は否が応でも日常性の中に取り込まれて生きている。
しかし、心の体験というものは、決して日常性に縛り付けられているばかりではない。
時には現実を超えたものであっても、今まで、だれも経験していなかったような鮮烈なものが入っていて、われわれに無限の可能性を示唆してくれる。
あるときは夢であったり、またあるときは妄想であったりする。
心のうちに内在しているものは、個々人の魂であって、人がどうのこうの言う筋合いのものでもないだろう。

泉鏡花の『外科室』は、通常の社会からは、かなり飛躍した荒唐無稽の世界を描き出しているのかもしれないが、
「ロマンチシズム」を、無限に対する憧れや精神の飛躍を好む一つの気質と解釈するならば、まさに「ロマンチシズム文学」そのものと言えるのではないだろうか。

一方で、高峰がたとえ立派な医師であっても、相手はとうてい寄りつけるはずもない貴婦人・・・この組み合わせは、社会規範や世間の常識に対しての、鏡花の一種のレジスタンスではなかったろうか。
明治の男中心の社会の中にあっては、夫ある身で人を恋するのは罪である。
死んで永遠の心を貫く二人の新しきモラルの追求が、当時の社会規範と違うがゆえに滅亡したのである。
その滅亡の美しさや切なさに、鏡花の鬼気迫る文体が、われわれを酔わせるものの、新しいモラル追求の可能性を示唆することなく、主人公を死に追いやることで、物語の決着をつける・・・ここに作品の時代的限界、鏡花の思想的限界を感ずるのは酷というものだろうか。
それは漱石の『こころ』の主人公を、古めかしい殉死の精神に触発されて、死に追いやる手法の限界と一脈通ずるように思えてならない。

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2020年1月 6日 (月)

寺か神社か

愛知県内の初詣といえば、熱田神宮に次いで2位の参拝客数を誇っているのが豊川稲荷。

これが京都の伏見稲荷大社、茨城県笠間市の笠間稲荷神社と並んで日本三大稲荷の一つと言われている。(この三大稲荷というのは諸説あるそうだ)
そんなメジャーな豊川稲荷だが、神社ではなくお寺であることは意外に知られていない。

ここには伏見稲荷で象徴されるような赤い鳥居のトンネルはないが、代わりに拝殿右側から奥の院・裏門にかけて、千本幟が奉納されている。

豊川稲荷の正式名は「円福山妙厳寺(みょうごんじ)」という曹洞宗の禅寺である。
本尊は、曹洞宗の禅師・東海義易が宗より伝来したという千手観音。

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豊川稲荷の「稲荷」というからには狐を祀った神社と思われがちだが、境内の鎮守として祀られているのは吒枳尼天(だきにてん)である。

この吒枳尼天は、東海義易の師の寒厳義尹が入宋した折に加護を受けたキツネにまたがった女神使のことで、寒巌自作の「豊川吒枳真天(とよかわだきにしんてん)」を山門の鎮守として祀ったと言われている。

白い狐にまたがった稲穂をかついだ吒枳真天像が「豊川稲荷」の通称で、江戸時代以降から寺全体が「豊川稲荷」として著名となった。

そもそも神社と寺の違いは、神道と仏教の違いである。
神道は古代から自然発生したもの。
仏教はお釈迦様が起こした宗教で、神佛習合という形態をとりながら民衆の中に溶け込んでいった。

明治時代になって、神仏分離令に基づき、妙厳寺にも神仏区別の厳しい取り調べが及ぶが、神道の神社系キツネを掲げているのではなく、仏教の吒枳尼天がまたがるキツネのことであると主張して難を逃れたという経緯がある。

仏法守護の善神である咤枳尼真天が、豊川稲荷という名前で本来の妙厳寺より有名になったのは、江戸時代からの商売繁盛、家内安全、福徳開運の神として、広く庶民の間に広まったことによるもののようだ。

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