2006年6月13日 (火)

時には絵画の鑑賞

Img_5973 松坂屋美術館で開催されている創画会の「春季創画展」へ行ってきた。創画会というのは、戦前の官展(今の日展)で活躍していた日本画の作家たちが『世界性に立脚する日本絵画の創造を期す』との宣言で結成したのが始まりということだ。したがって、この展覧会は、院展や日展に並ぶ日本画の権威ある展覧会と言える。
私が鑑賞した当日は、出品作家である松井和弘さん解説によるギャラリートークがあったので、松井さんに付いて各ギャラリーを回ることが出来た。
日本画というと、日本的な主題で写実的に描かれていると思っていたが、さすが官展に反旗を翻した人たちの創設した団体だけに洋画で見るような独創的で心象画な作品が多く、はっきり言って分かりにくい作品が目立った。最も使用している絵具は、岩絵の具、胡粉、膠、硯、墨、和紙、刷毛、彩色筆、陶磁器の筆洗といった古くからの透明な絵具が使われているから、その点が洋画との違だろう。
なかでも私にとって印象に残った作品、竹原城文さんの『洗い場』は、中国の風景を描いたものらしいが、川の水は黒く描かれているし、ほとんど2~3色しか色を使っていない感じの絵だ。松井さんの説明によれば、これが竹原さんの色ということで決まっているらしい。鮮やかな目を見張るような華やかさはないけれど、少ない色の中で噛み締めれば噛み締めるほどに味が出てくる作品だ。普通、例えば風景画のスケッチに出かける場合、何色か揃った絵具を持って出かける。晴れた空には澄み渡るような青を塗り、木々は緑を、と対象の持っている色に近づけていろいろな色を使い描くが、出来上がった絵はきれいな風景に見えても、見ているとすぐに飽きが来る。絵は第一印象ではないのだ、ということをあらためて感じた。
解説の松井さんの作品は、「コンスタンティヌスの勝利(部分)アレッツオ、サン・フランチェスコ聖堂」だ。「コンスタンティヌスの勝利」の実際の壁画は幅7m高さ3mほどのものらしいが、ピエロ・デッラ・フランチェルカの描いた有名なフレスコ画「聖十字架伝説」の連作のひとつということだ。松井さんがイタリア、フレンチェに留学していたときにこれを見、これらを題材に描かれた作品だ。
昔から絵画の王道は「模写」と言われているように、描画技術を習得するには古画や巨匠の作品を模写することが最良の手段とされてきた。現に美大ではカリキュラムのなかに模写実習というのがある。ほんの一時期だけど、私も形象派という美術団体に入って洋画を勉強していてことがあるから、模写は学ぶ過程における正当な行為だと認識している。しかし、模写は模写であって、技法は習っても自分の創作ではないし、模写ということを必ず明記する。
それでは、盗作と模写とはどう違うのか・・・。この点を解説の松井さんにお聞きしたかったのだが、機を逃がしてしまった。

先日来、盗作ではないかと話題になっている和田義彦さんも、ローマでイアリア古典絵画の模写研究を続け、スペインでも西洋古典技法を勉強していた人だ。学ぶ過程での模写にとどめておけば良いのだが、それをオリジナルなものだと主張して公に発表し、受賞している点に問題があるのではないか。原画の作者であるイタリア人の画家スーギ氏が抗議しているのだから盗作といわれても仕方がない。芸術選奨文部科学大臣賞や安田火災東郷青児美術館大賞が取り消しになり、国画会からも退会勧告を受けた。すぐれた作品を描いていた人だけに惜しい気がする。

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2006年5月22日 (月)

風呂敷

長かった連休で心がゆるみかけているところにもってココログの不調で更新が滞っている。と、まあ 言訳はいろいろあるが、この間にプール通いを始めた。体重のことなど気にしたこともなかったのが、この2年間で8キロも増加してしまい、さすがに苦になりだしたわけだ。運動が苦手な上に出不精の私が出かけて行って泳いでくるのだから、そんな日にはNETに接続しても文章を書く気も起きないし、ただただ、意味もなくインターネット上をあちこちと動き回っている。こういう無為も貴重だ、と妙な自己弁護をしているが結果は前回の更新から20日以上の日が流れてしまっている。

Img_5339_1 先日、世界大風呂敷展(名古屋市博物館)に行ってきた。大風呂敷と言っても、この風呂敷はものを包む方の風呂敷のこと。ご贈答品を持参する場合に風呂敷に包んで行くというのが普通だった私の時代があった。それがいつの間にやら紙袋に変わってしまった。もっと時を遡れば、カバンではなく風呂敷をさげるのが庶民の風俗だった時代もある。今の時代に古い風呂敷をゆるゆるにさげて歩くのは正直みっともない。そうは言っても、まとめにくいものをまとめて運ぶには、これほど便利なものはない。使い方次第で今でも重宝するものだ。その上、紙袋のように簡単に破れることもないし、ゴミの削減になる。
風呂敷は日本独自のもの、と思っていた今までの私の認識は誤っていたわけで、世界の中の布の文化を持つ国に於いては、風呂敷の役目を果たす布が必ず存在しているということだ。ただ、物を包むためだけに使用する四角の布を風呂敷文化として発展させたのは日本と韓国のほかは少ない。今回の展覧会では、いわゆる日本でいうところの物を包む風呂敷といわれるものに限定されずに、ハンカチやテーブルクロス、壁掛け、肩掛け、腰布を含めた物を覆う一枚の平面的な布であれば、それも風呂敷ということで世界の貴重な風呂敷が展示され、そこから民族文化が紹介されていた。
一つの物が布で包まれることによって包む前とは変わってくる。例えば日本でも家具に家紋を染め抜いた祝い布がかけられると嫁入り道具に変身する。また、人が死んだときに遺体の顔の部分に白い布を被せるが、死者を清浄な肉体にして、無事に極楽へ行ってほしいとの祈りを込める。インドネシアでは人が亡くなると香典のようにして大切な布を贈り、遺体はその布で丁寧に包まれる。つまり、大切なものを包んだり覆い被せ保護することによって祝いの心や祈りの心を布に託すのである。そういう意味から言えば、ミイラ包みは風呂敷の最も古い機能を果たしているとも言える。
そうした儀式的な使われ方とは別に、実用的な使い方としてパネルで紹介されていたほんの一部をあげてみるとこうだ。
西アジアや中央アジアでは食卓の代わりをなすのが一枚の布。床の上にじかに座って食事をする生活様式から来るものだろう。中央アメリカや南アジアでは風呂敷にものを包んでいとも軽々しく頭上に乗せて運んでいる。それだけではなく一枚の布を肩に掛けて、その中に乳児を包みいれて運んでいるのだから逞しい。
ヨーロッパは鞄の文化圏で風呂敷とは縁がなさそうに思えるが、ドイツの大工職人は風呂敷に大工道具を入れて修行に出るのが決まりであったようだ。

体験コーナーで風呂敷の包み方を教えてもらったが、アイディア次第でいか様にも美しい包み方が出来る。環境問題を考えれば、いまこそ風呂敷を見直す時期だと思う。

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