2006年3月27日 (月)

答えの出せない問題

またもや、終末患者の延命治療をめぐっての問題が起っています。富山県の射水の公立病院で、医師が入院患者7人の人工呼吸器を取り外し、全員死亡した問題です。
今回のケースでは「医師が遺族、もしくは患者に治療行為中止の意思を確認していたかも重要なポイントだ。」(毎日新聞)そうで、東海大学安楽死事件で平成7年3月28日に横浜地裁が出した有罪判決の例のように、場合によっては、この医師の行為が自殺幇助、殺人、嘱託殺人に問われるわけで、終末医療の基準が法制化されていないだけに難しい。
問題になっている医師にしても、患者のことを思い、誠心誠意で治療に当たられたでしょうに・・・。
オランダの場合は、2000年の11月に刑法改正で安楽死が合法化されています。日本でも超党派議連よる「尊厳死」法制化へ向けての動きが活発化しているものの、結論が出るまでには紆余曲折の長い道のりでしょう。
現代医療の進歩が植物人間を生み出し、意志のない単なる息する生物として取り扱われている現状は悲惨であるし、末期がん患者の苦痛は、私だったら到底耐えられないでしょうから早く楽にしてもらいたい。そう思う一方で、人間の命は死の間際を見るだけで判断できるようなものではない、とも思ったりするのです。

オランダの安楽死合法化の際に、ローマ法王庁は「医学界で国際的に認められた倫理規定に逆行する」と論評し、「人間の尊厳に反する決定であり、悲しむべきことだ」と非難していました。その根底にあるものは「人間の生命は受胎で始まり、自然死で終わる」というバチカンの考え方です。
個人の死は、その個人の生と切り離して考えることはできないし、個人の選択に自由があって当然だと思います。誰もが自分自身にふさわしい死を迎えたいと願うものです。
しかし、個人の願いだけでは限界があるわけで、医師側の見方と、患者側の見方の両立があったときには、安楽死や尊厳死もやむ得ないものではないでしょうか。勿論、細かい基準があっての上で公正な判定をすべきことですが。

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