ぶらり京都(2020年10月12日~10月13日)

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2011年4月23日24日の気仙沼

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    気仙沼市唐桑町にの甥一家が東日本大震災で津波の被害に遭遇。お見舞いに駆け付けた時の撮影。

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2020年9月

2020年9月30日 (水)

情報から

◆菅政権の首相補佐官に共同通信社前論説副委員長の柿崎明二さんが起用されるとのこと。
(明日10/1付で就任)
『とくダネ!』や『ひるおび!』などのワイドショーで政治コメンテーターとして出ていたが、 モリカケや桜を見る会問題では安倍政権を批判していた人だ。
テレビで見る限り、好感の持てる人物だが、安倍政権を継承すると明言している菅政権の首相補佐官になるとは意外や意外。

◆第一生命保険が来春入社予定の学生に対し『これからサラリーマン川柳コンクール』を実施。
応募作品の中から選ばれた優秀作品を発表したが、コロナ禍ならでのオンライン就活への心情がうかがえる。
以下、選ばれた作品はYahoo! JAPANニュース記事から引用、ご了承ください。

・スーツ着て 向かった先は ディスプレイ
・意気込んで Wi-Fi途切れ 固まった
・御社との 間に生じた ディスタンス

優秀な人材として入社が内定している学生の川柳だから、めそめそ感もなく「余裕」のようなものを感じる。
なんやかんや言っても、ネットができなければ就職できない時代になった・・・?

◆10月17日に行われる中曽根元総理の合同葬の費用は政府と自民党で折半。
総額約1億9200万円で、うち約半分の9643万円を今年度の一般会計予備費から支出することが閣議決定した。
自民党負担分だって、所詮国民の税金だ。

加藤勝信官房長官は「葬儀ではコロナ対策に万全を期す必要がある。これは必要最小限の経費だ」と述べていたが、このコロナ禍で一般の葬儀もこじんまり行うこの時期に、いったい何を考えているのか。

それにしても、遺族から辞退の申し出がないとは・・・。
元総理の息子である中曽根弘文さん、孫の中曽根康隆さんともに国会議員だ。

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2020年9月29日 (火)

彼岸花が咲き始めた

9月22日(お彼岸のお中日)に曼珠沙華、別名彼岸花のことを書いた。
彼岸花といえば、毎年お彼岸の頃には咲いているが、今年はお彼岸に見かけることもなかった。

朝、犬の散歩時に今年初の彼岸花を見つけた。
まだ咲きはじめだろう、燃えるように美しいとはいいがたい。

若山牧水の随筆に『秋草と虫の音』というのがある。
「秋草の花のうち、最も早く咲くは何であらう。」で始まるこの作品、秋の草花を、初秋から晩秋にかけて、順を追ってあげながら、虫の声にも心を寄せて書かれている。

お彼岸の花「曼珠沙華」については、次のようなことを書いている。
「僅かに一本二本と咲き始めたころに見出でて、オヽ、もうこれが咲くのかと驚かるゝ花に曼珠沙華(まんじゆさげ)がある。私の国では彼岸花といふが、その方が好い。
これこそほんたうに一本二本のころの花である。くしや/\に咲き出すとまことに厭はしい。」

曼珠沙華には彼岸花のほかに、死人花(しびとばな)、地獄花(じごくばな)、幽霊花(ゆうれいばな)、剃刀花(かみそりばな)といったような不吉なイメージがつきまとう名前も多いから、それが一度にたくさん咲くといやな気がする人もあるだろう・・・。

そうはいっても、美しくく燃えるような赤はお彼岸に象徴されるわけで、曼珠沙華というよりも彼岸花といった方がよいのだろう。

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2020年9月28日 (月)

『星あかり』の世界

泉鏡花の作品は何冊か読んだことがあり、この『星あかり』も青空文庫での再読、その感想である。

『星あかり』をどう評価するかというのは難しい。

精神医学では「幻覚」を感覚の諸様態に即して分類、その中に「幻覚/自己像幻視」というのがあるが、この作品では幻視像の出現する時の精神状態、幻視像の性状など、夢幻的表現によって描いており、いわゆるリァリティの尺度からのみでは捉えられない難しさがある。

精神心理や深層心理といった学問の側面から、この作品を捉えるのも良いが、素人の私が安易に詮索すべきものではなく、ただ無限の世界に浸り切っているに過ぎない。

『星あかり』における現実にはあり得ない恐怖と不安は、主人公がもとより、「身体(からだ)も精神も共にいたく疲れていたからで。」と言っているように、何らかの不安症状を心の内に抱えた異常な精神状態であったと見ることができる。

同居人である医学生の制止にもかかわらず、深夜、起居先である西鎌倉、乱橋の妙長寺を抜け出した主人公が、墓原の散策に出て、外に締め出されてしまう。
やむを得ずそのまま墓原をさまよい歩くが、途中で悪夢のような異常な現象に遭遇。
以下の文章では、『星あかり』における異常な現象内容・結末に触れてみる。

「廂(ひさし)も、屋根も、居酒屋の軒にかかった杉の葉も、百姓やの土間に据えてある粉挽臼も、みな目を以って、じろじろねめるようで」とあるが、これは彼の内にある外界からの疎外感による恐怖からくる。
その恐怖から何とか逃れたと思ったら、次は犬に怯える。
「一つでない、二つでもない。三頭(つ)も四頭(つ)も一斉に吠え立てる」この犬のために、前方に進むこともできないし、かといって引き返せば、先刻の臼やら杉の葉やら、廂にも屋根にも睨まれる。どちらもできない。
「静(じっ)と立っていると、天窓(あたま)がふらふら、おしつけられるような、ひしひしと重いものでおされるような、切ない、堪(たま)らない気がして、もはや!横に倒れようかと思った。」

このような星あかりの下で、不安や恐怖がさらにエスカレートして、自然の力にまで及んでいく。
「一秒に砂一粒(いちりゅう)、幾億万年の後には、この大陸を浸し尽くそうとする処の水で、いまも、後も、咄嗟のさきも、正に然なすべく働いているのであるが、自分はあまり大陸の一端が浪のために喰い欠かれることの疾(はや)いのを、心細く感ずるばかりであった。」
海の侵食に対する恐怖である。

これらの不安症状が蓄積されて、主人公はこの海岸に打ち寄せている大浪が、彼を襲いかかるという幻覚に陥る。

夢かうつつか、判別しがたい状況の中で、死に物狂いで寺の門に引き返した主人公は、夢中で蚊帳にまつわりついた。

「医学生は肌脱ぎて、うつむけに寝て、踏み返した夜具の上へ、両足を投げかけて眠っている。 ト枕を並べ、仰向けになり、胸の上に片手を力なく、一人すやすやと寝ているのを一目見ると、それは自分であったので、天窓から氷を浴びたように筋がしまった。」

主人公が遭遇した星あかりの下での恐怖や、夜明けの海での恐怖。そうした体験の後、死にそうな思いで寺に帰ってきた彼自身の姿は、もはや蚊帳にはまとわっていなかった。
すでに蚊帳の中にいた・・・自己像幻視といえる。

この種の幻視像の出現が、神経症的な異常からくるものであるということは最後の部分、「・・・人はこういうことから気が違うのであろう。」といっていることからも明確である。

主人公にとっては、見たくもない世界だった。
そういう内(彼の内に潜む無意識)の世界をながめた目の強さが、一転して外界に戻る・・・すべてが融合して、無限の味を添えている。

理解できないことなのかもしれないが、それならそれで良い。
無理に理解しようとすれば、結局人間のただの道を歩くことでしかない。

人生は理解できないことが多い、と同様に理解できないことも必要とするだろう。
たとえば、満天に輝く星が美しいのは、星が理解できないからただただ美しいし、その一かけらが青田に弱々しく光るのも、星の一かけらが理解できないから、そこに光るのを見ることができる・・・そう思うだけでいい。

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2020年9月27日 (日)

お天気時計

引き出物カタログギフトをいただいて、迷いに迷って注文した品が届いた。
EMPEX お天気時計(掛け時計)だ。

いつも選ぶときに、欲しい物の価格の高いものを、と商品のネット価格と比較して時間をかけて選んだりした。
今回も同じことをしていたが、聞くところによると、カタログギフトの販売定価と掲載商品の定価は揃えるというのがルールのようで、商品の定価は基本的に同じのようだ。
ただし、原価の違いがあるという。

お天気時計、さっそく起動させたが、天気の傾向がみられるし、湿度もわかるのがいい。
半径20km圏内の約8-12時間後のお天気を4段階の光の点滅で知らせてくれるので、みているだけでも楽しい。
時間をかけて選んだ甲斐がある。

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2020年9月26日 (土)

ただ味わうだけでいい

今日も殴り書きのネタ帳からヒントを得る。
太宰治よろしく「ア」から始まる項目のうち「アフォリズム」のページを開いてみた。
「アフォリズム」とは、一言でいうならば「凝縮し、省略した短い文章で、人生の真実を表現した作品」となる。
以下、アフォリズムと他との違いを簡単に言うと、
・ことわざには故事来歴(ストーリー)があるが、アフォリズムには社会や時代(批判精神)がある。
・格言は善意の(甘い)人生訓、アフォリズムは辛口の人生訓。
・一行詩は個人への呼びかけの気持ち、アフォリズムは万人向きの論。
・短詩型文学の基盤は叙情や写生、アフォリズムの基盤は現状把握と批判再建。

上記は、物書き教室で勉強していた時の講義メモからだ。
アフォリズムは、基本的な文章表現力を養うことができるのだそうだ。

見本として、講師の先生が作られたのが
・昔のちょうちんも持ちは、前に立って暗闇を案内したが、今のちょうちん持ちは人の尻について歩くだけ.

・真実、誠実、堅実、確実。これらの言葉は「実」の活用形にすぎなくて、実態の乏しいものである。

二つとも、まさに言い得て妙だ。

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名アフォリズムを多く吐き、寸鉄人を刺す痛烈なフレーズで明治の文壇の鬼才と言われた斎藤緑雨(三重県出身、批評家・小説家)のアフォリズムは、社会を洞察する鋭い視線が現代にも通用する。

◆われは今の代議士の、必ずや衆人が望に副へる者なるべきを確信せんと欲す。衆人曰く、金がほしい。故に代議士は曰く、金がほしい。
(『眼前口頭』より)

( 現在の代議士には、人々の望みを実現する 覚悟のある人間であって欲しい。ところが人々の望みときたら「金が欲しい」である。それ故に代議士の望みも「金が欲しい」となるのだ。)

◆代議士とは何ぞ、男地獄的壯士役者と雖(いえど)も、猶能く選擧を爭ひ得るものなり。試みに裏町に入りて、議會筆記の行末をたづねんか、截(き)りて四角なるは安帽子の裏なり、貼りて三角なるは南京豆の袋なり、官報の紙質殊に宜し。(『眼前口頭』より)

(代議士とは何であるか?男娼のような書生芝居の役者であっても、選擧に出て当落を争うことができるものである。試しに裏町に入って、国会議事録を載せた新聞や広報誌の行末を尋ねようか。それは、切って四角にしたのは安い帽子の裏貼りである。三角に貼り合わせれば南京豆の袋となる。国の広報紙は紙質が特に良い。官報の紙質を持ち上げることで政治家をこき下ろしているわけだ。)

◆ 總理大臣たらん人と、われとの異なる點を言はんか。肖像の新聞紙の附録となりて、徒ら(いたずら)に世に弄ばれざるのみ。(『眼前口頭』より)

(總理大臣になるような人と、私との相違点を言おうか。肖像画が新聞の附録になって、無駄に世間にもてあそばれないということだけである。)

◆一生の思出、代議士たらんとすといふ者あるを笑ふこと勿れ、寧渠(なんぞ)等は見切売の勇気ある者なり。已に見切売なり、ひけ物きず物曰く物たるは論を俟たず。(『眼前口頭』より)

(一生の願いとして、代議士になりたいという人間がいることを笑ってはいけない。
そいつ等は処分値で売る勇気のある人間だ。自分を処分値で売る、つまりそいつらがB級品、傷有り難有りであるのは明々白々である。)

斎藤緑雨は、社会に対しての反骨精神に富んでいわけだが、それから120年余の今でも色あせることなくピリッと辛い!

政治家に関連したものばかり取り上げてみたが、政治といわず文学、風俗、文筆などなど、正論や常識を疑い、そこから諧謔的な言葉を生み出している。

三重県立図書館サイトからデジタルコレクションの、以下外部サイトが貼ってある。
旧仮名遣いで読みにくいが、現代にも当てはまる容赦のない批判精神が伝わってくる。

眼前口頭
http://www.let.osaka-u.ac.jp/~okajima/uwazura/ryokuu005.pdf

青眼白頭
http://www.let.osaka-u.ac.jp/~okajima/uwazura/ryokuu0081.pdf

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2020年9月25日 (金)

警句を味わう

斎藤緑雨(三重県出身、批評家・小説家)のアフォリズムにこんなのがある。

「選む者も愚なり、選まるゝ者も愚なり、孰(いづ)れか愚の大なるものぞと問はゞ、答は相互の懷中(かいちゅう)に存すべし。されど愚の大なるをも、世は棄つるものにあらず、愚の大なるがありて、初めて道の妙を成すなり。」(眼前口頭)

(意味)
選ぶ者もおろかであり、選ばれる者もおろかである。
どちらがより愚かなのかと問えば、それは双方の心の在り方にあるわけだ。
とはいえ、世間というものは非常に愚かな者を決して見捨てるようなことはしない。
それがあってこそ、世直しへの道筋が見え、優れた道理を行う者が現れてくるのである。
要は、どちらも存在意義があるということ・・・か。

◆菅首相は衆院解散は当分ないと言っているが、先日のBSフジの「報道1930」で、下村政調会長が「自民党若手はほぼ全員が早く選挙をしてもらいたいと思っている」と、即解散を匂わせていた。
菅政権の70パーセント前後の高支持率を背景に、抜き打ちの解散を仕掛けてくる可能性もあるわけだ。

◆それにつけても、日本人はいつの選挙でも自民党を選び、たまに民主党を選んでも、また自民党を選ぶ。
菅政権下で内閣支持率が跳ね上がっているうちに解散、選挙を行えば、今度も国民は自民党を選ぶだろう。

「選む者も愚なり、選まるゝ者も愚なり」・・・まさに言い当てている。

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2020年9月24日 (木)

電柱の林立で

早朝の犬の散歩時に見る空の、だんだん明けはなれ新しい色を帯びていく、その様を撮影するのだが、いつも思うことは、電線が空を遮って邪魔なのだ。
このあたりの空は、電柱の林立で電線の網が空をおおっている。

◆パリやロンドンでは、電線の地中化率が100%だそうだが、日本の電線の地中化率は極端に低い。
そのせいか、日本の風景には、外国でみられるような空間のゆとりに乏しい。

◆平成28年度の国土交通省の調べによれば、日本全国の電柱本数は3578万本もある。

◆私の住む市の市街地中心部約 3.6km が無電柱化れており(令和元年現在)これは市内における道路の約 0.5%にあたる。
無電柱化された地域では、レンガ色の車道の両枠歩道は白色に舗装され、幅が広くて、歩きやすい。
街路樹がないのはさみしいが、これも倒木の恐れを考慮してのことだろう。
そのかわりレトロな街灯がロマンチックな雰囲気を醸し出している。

電気は生活に必要不可欠なものであるが、それにしても電柱や電線が街の景観を損ねているのは否めない。
そればかりか、地震や大型台風などの自然災害時には、電柱の倒壊のおそれがあるわけで、「無電柱化法」が平成 28年に成立、施行された。
迅速な推進が望まれる。

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2020年9月23日 (水)

『一枚の絵』

『生活の設計』第32回新潮新人賞、『縮んだ愛』第24回野間文芸新人賞、『おれのおばさん』坪田譲治文学賞などの受賞歴のある佐川光晴さんの単行本未収録作品の中に『一枚の絵』というのがある。

『一枚の絵』はかなり古い作品だが、『文學界』2007年5月号に掲載された作品だ。
太宰治の『ア、秋』」じゃないが、私もネタ帳というのを昔から作っているので、ブログネタに困ったとき、ネタ帳からヒントを得ている。
ということで『一枚の絵』の感想を。

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家族の病気の問題が出てくる。
さえない中年画家である男が、建築家である元彼女と10年ぶりに再会。元の関係へと再燃していくものの、男も女も結婚にまで踏み切れない。
彼女の方は、病気勝ちな家族を支え一家の柱となているし、そうした彼女への気遣いから男もまた決断できないまま、静かに淡々と日々が過ぎていく。
ヌードを描くアルバイトを引き受けた男は、一時的にその仕事に熱中するがそれもつかの間。そうこうしているうちに彼女の乳癌を知り、手術前に彼女のヌードを描いておこう、と決意するところで終わっている。

家族の問題が結婚を躊躇させる、というのも現実の世界のどこにもありそうな風景だし、男と女の意識の持ちようも淡々としていて、ちょっと退屈な気もした。
まあ、昔のようなエネルギーを張り詰める恋愛小説は古いのかもしれないが、それを越えた上での異性間意識のようなものがあったらいいのに・・・と私の読後感である。

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2020年9月22日 (火)

お彼岸

今日9月22日(火)は秋分の日、お彼岸のお中日だ。
彼岸入りが9月19日(土)で、彼岸明けが9月25日(金)となる。

我が家では、朝も早いうちにお墓参りを済ませたが、日本人の多くの人が、このお彼岸にお墓参りをして先祖供養を行う。
お彼岸に先祖供養を行うのはなぜか・・・?
そんな疑問を持つが、どうやら仏教由来の行事のようだ。

仏教では「極楽浄土」は西の方角あるとされ、太陽が真東から昇り、真西に沈む「秋分の日」や「春分の日」は、あの世(彼岸)とこの世(此岸)が最もつながりやすく、この時期に先祖供養を行う習慣が根付いたという。(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』参考)

彼岸と言えば、秋の彼岸のころ妖艶に咲く赤い花をイメージする。

「秋の彼岸に近づくと、日の光が地に沁み込むように寂(しず)かになって来る。この花はそのころに一番美しい。彼岸花という名のあるのはそのためである。
この花は、死人花(しびとばな)、地獄花(じごくばな)とも云って軽蔑されていたが、それは日本人の完成的趣味に合わないためであっただろう。正岡子規などでも、曼珠沙華を取扱った初期の俳句は皆そういう概念に囚われていたが・・・」
これは齋藤茂吉の『曼珠沙華』という題名のきわめて短い随筆である。

彼岸花には不吉なイメージや縁起が悪いといった印象を持つ人も多いが、事実、この彼岸花はリコリンと呼ばれるアルカロイドの一種の毒が含まれており、有毒植物のようだ。

毎年、その彼岸花が猿渡川の堤防の両脇に妖艶に咲き誇っているのがこの時期だが、今年はまだ咲いているところを見ていない。

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2020年9月21日 (月)

敬老の日

今日は敬老の日である。
厚生労働省の発表によると、全国の100歳以上の高齢者が2020年9月15日時点で8万450人に上ったということだ。
かつて「人生50年」といわれた時代があった。
事実、平均寿命が50歳を超えるようになったのは第二次世界大戦後の1950年前後のことで、老人福祉法が制定された1963年には、100歳以上の高齢者は全国で153人だったという。
特に、平成に入ってからの日本人の長寿化は加速化している。

WHOの定義では、65歳以上の人のことを高齢者といい、65-74歳までを前期高齢者、75歳以上を後期高齢者としている。

ということは、喜寿の私はすでに後期高齢者ということになる。
私が後期高齢者とは、いかにも不自然だ。(自分で思っているだけ)
そうは言っても、電車に乗ればシルバーシートに走る自分がいるわけで、年をとると健康、経済、精神などの各面で心配が増してくる。

私が通っているスポーツクラブでも、高齢者の会員が多い。
みんな老いを意識せず、若々しく生きている人たちで、健康に恵まれているからこそである。
私も含めて、いずれ体の自由が十分にきかない状態になるだろうが、そうなれば介護施設にお世話になるのだろうか・・・。

一般に、老人への考え方には、家族扶養など多様な要素が複合的にのぞいて、姥捨て的な要素で見る、きびしい目がある。
「敬老の日」が、今日1日だけにならないよう個人も社会も真剣な対策が早急に必要だ。

(註)敬老の日は、2002年(平成14年) までは9月15日 とされていたが、2003年(平成15年)から現行の9月の第3月曜日になった。
(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 参考)

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名駅南三蔵通りにある 「KAKO BUCYO COFFEE(カコブチョウコーヒー)」の看板爺さん

2020年9月20日 (日)

両性具有・・・?

ときどき観察癖がでる。
別に趣味が人間観察というわけでもないが、単独行動をすることが多いので、その分ひとりの思考のなかに浸ることも多いわけだ。

地下鉄の中でのこと。
向かいの座席に坐ったフェイスシールドの 老人、年のころは70前後。
顔は男とも取れるが、どこか女の優しさも漂っている。
ただ、化粧っ気は丸でない。
服装は黄色のTシャツにベージュのパンツ。
細い女性的な手には桜色のマニキュア。
それなりにおしゃれな老人だが、座席に坐った足の格好が男坐り。
そのひらいた膝に私の目は訝しむばかり。

私は地下鉄の名城線の金山から栄まで間、老人の性別を考えていた。
かなりとうが立ったゲイボーイなのか・・・
はたまた、谷崎潤一郎『春琴抄』のような濃密な主従関係の中で出来上がった、自由で自然な形の両性具有なのか・・・。

両性の確立は、制度的、本能的、解剖学的に求められはするが、それは形式であり、心理的、感覚的に見れば両性具有こそ自然なのかも知れない。

◆水深30m以深のサンゴ礁に生息する体長8センチに満たないチョークバスは、オスとメスの両方の生殖器をもつ雌雄同体。
パートナーとペアを組んで、1日に20回も性的役割を入れ代えて励むという。

◆魚類のほかにも、昆虫や爬虫類などの世界では、環境の変化に伴い自然に「性転換」を行う種族も有るとか・・・。

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2020年9月19日 (土)

飼い犬は、今日も元気!

動物には不思議な力があるのか。
一緒にいるだけで心が癒されようだ。
疲れている時も、悲しい時も、さり気なく、そばにいてくれる。
なんにも言わないけれど、何気ない様子が、ただ愛しくなるようだ。
外出の支度をしてバックを持つと、「行かないで!」と言っているよう。
首を傾げて、悲しげな目をする。
言葉は発しなくっても、感情はあるような気がする。

今日も、我が家の飼い犬COCOは元気です~

好きな者にとって
顔ひとつ
仕草ひとつでいとしさが募る
ペット愛は
ただ「いとしい」と
言い続ければ良いのだ

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昨日、芝を刈ったら、部分的に茶色く変色している。

2020年9月18日 (金)

人の血を吸ふ蚊

今年は庭の木々に消毒をする回数が少なかったので、いまどきは藪蚊に悩まされる。

夕方、飼い犬を庭に出して相手をしていたら、丈の短いワンピースからむき出しの両足を隨分蚊に刺された。
刺された瞬間、反射的に掻きむしってしまった。

刺されたらすぐに、その箇所を石鹸で洗浄すると良いという話だが、ほとんど効き目なし。

ムヒS、とかいう痒みを押さえる軟膏があるが、蚊に刺されたとき、痒み止めとしての効果は低い気がする。

我が家の救急箱には、ムヒSのほかに、キンカンを常備している。
昔「キンカン塗って、また塗って……」のフレーズのコマーシャルソングがあったが、あのキンカンだ。

このキンカン、今もドラッグストアに置いてあるから虫刺されの王道商品と思っていたが、キンカンに含まれている成分は、ムヒのような一般的な虫刺されの薬に含まれている成分とは違うようだ。

キンカンには、皮膚に刺激や清涼感を与える成分が含まれ、知覚神経を麻痺させて痒みを感じなくさせているようだ。
したがって、肩こりや腰痛などの痛みにも効くのがキンカンだ。

とにかく痒い箇所にキンカンを塗ってみたが、飛び上がるほどの痛みを伴って、皮膚内部に染み渡っていく。
刺された瞬間に引っ掻き過ぎたので、傷口ができて、その傷口にキンカン溶液が強烈な刺激で染み渡っていくのだ。

さてさて、蚊の話だが、あのブーンと鳴く蚊は、殆どが雄。
雌の方は卵を産むために栄養補給が必要で、必死で動物の血を狙っている。
だから人間の血も、蚊どもの栄養補給になっているわけだ。

蚊の話をすると、全然刺されないと言う人もいるが、そういう人はたぶん体温が低いのだろう。
蚊は皮膚の温かみと、炭酸ガスの匂いを頼りに人間に近づくらしい。
アルコールを飲んだ人間は、体温も高く匂いも強くなっているので、蚊に刺される率が多い。

正岡子規の『刺客蚊公之墓碑銘』のなかに「人の血を吸ふは殺生罪なり」とある。
子規さん、蚊に刺されてよほど頭に来たらしいが、彼ならずとも人の血を吸ふ蚊には頭にくる。

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2020年9月17日 (木)

目をしょぼしょぼさせてやってみたが・・・

読売新聞デジタル版に、「むずむずパズル」というのがあるが、掲げられた2枚の絵から間違いを探すというもの。
2020/09/11の出題では、食欲の秋にまつわるもので、寿司下駄にのった盛り合わせ寿司の2枚の画像から間違いを探すわけだ。

https://www.yomiuri.co.jp/topics/20200911-SYT8T1464483/

米粒の一つ一つを数えてみたり、バランの切込み数を数えてみたり、目をしょぼしょぼさせてやってみた。

米粒の間違い・・・?
バランの切込み数の間違い・・・?

二ヶ所を見つけたような気がするが、定かではない。
あと一ヶ所は・・・?

頭が狂いそうになったから、回答へと進んでみたものの[読者会員限定]で、一般会員として登録しても購読できる記事に制限があるようで、パズル関係は閲覧できない。

となると有料会員になるわけだが、たかがパズル、されどパズル!
間違いは2つ、ここで完結にしておく。

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2020年9月16日 (水)

新首相菅さんに望む

自民党の菅義偉総裁が第99代首相に指名され、その後の組閣で菅内閣が発足した。
閣僚の面々を見て、派閥にとらわれず改革意欲のある人を思い切って起用した気がする。

新首相菅さんに期待すること山ほどあるが、最低これだけはしてほしくないことがある。
それは嘘をつくことだ。
嘘をついて、国民を欺くことだけはしてほしくない。

安倍政権の最大の特徴は「平気で嘘をつく」ことだった。
嘘に嘘を重ねて、国会を愚弄し、国民を愚弄してきた。

嘘をつかないでほしいと要望せねばならないのは情けないが、安倍政権時の不信の念の存在はまぎれもない。
「モリ・カケ・サクラ」等々反省すべき点、国民に謝罪すべき不正は数えきれないほどあった。

自民党総裁戦で菅さんは、「モリ・カケ・サクラ」検証は不要との姿勢を見せていたが、国民の多くの関心・期待に応えるなら検証は必要だ。
菅新首相は、そこからの出発だ。

自民党総裁選で選ばれた後の菅さんの演説が総理の器ではない、という批判がある・・・今はまだ、党内に気を使って慎重に話されていたと思う。
首相には必ずシナリオライターがいて、先の先まで読みながら備えていくはずだから、これから弁舌に磨きがかかっていくだろう。

要は国民の信頼と支持だ。

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2020年9月14日 (月)

総裁選は茶番?

自民党の新総裁がきまった。菅義偉官房長官が、石破、岸田両氏を抑えて過半数。予想通りだった。
16日召集の臨時国会を経て、第99代首相に就任だ。

すごいなぁ~、この71歳の経歴。
秋田から高校卒業後に上京し、都内の段ボール工場で働くが、数か月で退社。
アルバイトで学費をため、2年遅れで法政大学に入ったという。
その後は衆院議員秘書、横浜市議を経て1996年の衆院選に立候補し、47歳で初当選した。
まさに たたき上げの苦労人のようだ。

そもそも今回の総裁選、複数候補による選挙、と形は整っていたものの、筋書きは出来ていたようだ。
岸田さん、石破さんともに派閥の領袖だが、派閥に属していない菅さんが一定割合もの支持を得たことは、「安倍政治の継承」ということで、派閥の談合と投票への指示も出来上がっていた選挙で、茶番では?

密室政治と批判されぬよう、公開論争の場も設けられたが、コロナ禍の緊急事態として本来の「党員投票」は見送られ、各都道府県に地方票3票が割り当てられた形の選挙となった。

新総裁が菅さんに決まった今、党内の実力者たちは、菅さんの言動や表情に神経を尖らせているに違いない。
当の菅新総裁、記者会見で人事構想に言及「改革意欲があり仕事ができる人を結集」と述べ、人事が派閥に左右されることはない、と明言している。
党内の支持を固めるのも総裁の大事な仕事。
肝心なのは一般の人々で、安倍政治の検証がいかになされるかだ。
我々は、菅新総裁を頂点とした自民党のあり方に目を光らせている。

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2020年9月13日 (日)

くず餅

手土産の必要があって、先日注文したくず餅が今朝届いた。

東京亀戸天神の「元祖くず餅船橋屋」のくず餅は、独特の歯ごたえと特製きな粉と黒蜜の組み合わせは、絶妙なバランスで感激の美味しさである。

私が船橋屋のくず餅を知って、かれこれ13年になる。
取り扱っている店舗が関東圏だけのようで、いまだ名古屋のデパートには入っていない。
したがって、直営のオンラインショップで取り寄せている。

手土産をもって出かける必要のある時、手土産に迷ったときには、船橋屋の「くず餅」と決めている。
そうはいっても、賞味期限が2日だから、到着時を指定して注文するのには神経を使う。 

ここのところ、船橋屋のくず餅の包装紙は、船橋屋のくず餅の独特な形を模ったデザインになっていて、小箱・中箱・大箱は薄紫と藤の色を表している。

下の画像は家用に購入した小箱で、くず餅を模ったデザインだが、手土産用に購入した大箱の包装紙は期間限定の復刻包装紙で、私が最初に購入した時のもので懐かしい。

 

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↑↓これは我が家用の小箱

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2020年9月12日 (土)

馬鹿力

昨日から、必要に迫られて家中の模様替えをしている(継続中)。

階下の物を2階に運んだり、結構大がかりな模様替えだ。

模様替えをするにあたり、このさき使うことのないものは思い切って処分することを心に決めたものの、結局物置に貯め込んでしまう。

あれもこれも、この先使うことのないようなものばかり・・・それでも捨てられないでいる。

どんな安物の花瓶にせよ、どの一つ一つをとってみても思い出があるのだ。

貧乏性というか、物持ちがいいというか、どうしても捨てられない。

・・・この執着は何だろう。


脳生理学者の故時実利彦さんによれば、「執着する心は、ある対象に全ての精神を凝集して持続する状態」だそうだ。

これは人間だけに発達している「前頭連合野」の働きによるものらしいが、執着も融通が利かなくなると固執という好ましくない状態になるとか・・・。

最近の私、どうもその傾向があるようで、物の置き方一つにもこだわり、自分の思い通りにしないと気がすまない。

家族が据え付けた家具の位置が気に入らなくって、愛想悪く文句の一つ二つを言い放つ。

言われた方としては文句があるならご自由に・・・と逃げる。

ということで、後は私一人でやるしかないわけだが、ガックリと首を落として萎びるわけにはいかない。

喜寿にして、馬鹿力をだしている。

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2020年9月10日 (木)

I can speak

太宰治の「I can speak 」は、ものの10分もあれば読める作品である。
短い文章のなかで、主人公「私」の背後にある状況と意識の流れが書かれているが、言わば「私」の他愛もないつぶやきといったところか・・・。

『碧眼托鉢』のなかで太宰は、自身を【頽廃の児、自然の児】と称し、「太宰治は簡単である。ほめればいい。太宰治は、そのまま『自然。』だ。」とほめてやれ。」と書いているから、「良かった!良かった!無垢なものに感涙する太宰治の心情・内面がそのままつぶやかれていて心に残る作品だ」と、とりあえず言っておくが・・・

そうは言うものの、そのつぶやきが「I can speak 」と、どうかかわっているのか?
深部を理解するために、状況背景から3つの部分(序破急)に分けてみた。

◆序(前文)
「くるしさは、忍従の夜。あきらめの朝。この世とは、あきらめの努めか。わびしさの堪えか。わかさ、かくて、日に虫食われゆき、仕合せも、陋巷の内に、見つけし、となむ。
 わが歌、声を失い、しばらく東京で無為徒食して、そのうちに、何か、歌でなく、謂いわば「生活のつぶやき」とでもいったようなものを、ぼそぼそ書きはじめて、自分の文学のすすむべき路すこしずつ、そのおのれの作品に依って知らされ、ま、こんなところかな? と多少、自信に似たものを得て、まえから腹案していた長い小説に取りかかった。」
この短い作品「I can speak 」はこうして始まる。

この冒頭部分から、主人公「私」のおかれていた状況背景をうかがい知ることができる。
東京文壇における自分のイメージは地に落ちていて、何もせずにブラブラしている自分を誰も信用しない、誰にも頼ることができないなかで、なんとか仕事を進めようと心機一転。
続く段落の「昨年、九月、甲州の御坂峠頂上の天下茶屋という茶店の二階を借りて、そこで少しずつ、その仕事をすすめて、どうやら百枚ちかくなって、読みかえしてみても、そんなに悪い出来ではない。」
ところが甲州は寒気堪えがたく、甲府へ降りて、街はずれの下宿屋を仕事場にした。

◆破(本文)
甲府の下宿屋から近いところにある製糸工場から聞こえる娘たちの合唱、とくにリーダーらしき際立っていい声の持ち主への関心が、この項の発端の部分になる。
その歌声によって、自分が今進んでいる道に希望を見出し、そうした気持ちを「恋、かも知れなかった。」で文章を展開させ、いよいよ「I can speak 」の最終部分に入る。

◆急(結末)
二月、寒いしずかな夜、その製糸工場の小路から酔漢の荒々しい声が聞こえてくる。
酔っ払った弟が、製糸工場で働く姉に一方的に話している様子だ。
その会話から察するに、姉と弟の間には確執があったと思われる。
己の道も定まらず、母親や周囲にも理解してもらえない弟。
季節はずれのレインコートを着る弟は、けっして裕福ではないと思われるが、夜学に通い英語を習っていると言うからには上昇志向を有しているのだろう。
「I can speak」、この愛らしいたった一言から聖書の一節が浮かび心を撃たれた「私」。
「はじめに言葉ありき。
言葉は神とともにあり。
言葉は神なり。
よろずのもの、これによりて成る。」(『新約聖書』-ヨハネによる福音書の冒頭)

酔漢の弟が「I can speak English. Can you speak English? Yes, I can.」と、話せること、声に出して発声できることに意味があるのだ。
苦悩し、葛藤しながらもつかむ微かな手ごたえに、明るい光を見出すことができるのだ。
主人公「私」は、その弟に自分を重ねあわせたのだろう。
冒頭の部分で「わが歌、声を失い・・・」とあるが、ここにきて、作家である「私」が失いかけていたわが歌や発声の回復に期待が持てるようになった。
この短い物語の根幹となるのは、主人公「私」が甲府の生活の中で、創作への回復と生きるための前向きな姿勢への予兆である。

あの夜の女工さんは、あのいい声のひとであるか、どうかは、それは、知らない。ちがうだろうね。」で、終わっている。

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2020年9月 8日 (火)

ミミズ

つい先日までは、アブラゼミの大合唱や鼻の詰まったようミンミンゼミの鳴き声が聞こえた。
セミの鳴き声がめっきり衰えてきたと思ったら、毎夜、ヂーヂーと虫の鳴く声がする。

夕食後、門扉を閉めに庭に出るのだが、月の下の地中に鳴く虫の音には秋の物悲しさを感じる。

この鳴く虫の正体をミミズの鳴き声だとする伝説があるが、ミミズは鳴かない。
ミミズが鳴いているように聞こえるのは、ミミズがトンネルをあけて逃げるときの音だ。

昔、子供と一緒に夏休みの「自由研究」で、ミミズの生態や習性を調べたことがあるから、ミミズについてはある程度詳しいつもりだ。

山口英二著『ミミズの話』(北隆館発行)の中に、ミミズ伝説について書かれている。
これによれば、昔からミミズは鳴くと言い伝えられているが、ミミズには鳴き声を出す発声器はない。
発音器も備えていない。
地中から聞こえる鳴き声は、コウロギに縁の近いケラという昆虫が発するものであると結論付けられている。

いずれにしても、あのヂーヂーには謎が多いだけに、一層物悲しく感じられる。

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2020年9月 7日 (月)

ア、秋を感じる

今朝のこと、飼い犬がいつもの散歩の時間を過ぎても、ちっとも吠えないところをみれば外は雨だ。
雨の日は気が乗らないらしく、私以上に犬の方が散歩を嫌がる。

10号台風の影響下、東海地方も早朝から大雨だ。
犬の散歩を休めるのはラッキーと言いたいが、今日は概ね一日じゅうというもの、雷を伴って非常に激しい雨に見舞われた。
こんな日ぐらい、何もせずにのんびりとしたいと思い、寝転がって過ごした。

いつになくエアコンの効きがいい、クーラーが効きすぎで寒いのでドライ設定でちょうどいい・・・やっと、秋が来たのだと思う。
サイドテーブルにiPadを置いて、青空文庫で気ままな読書をした。
太宰治の10分以内で読める短編ものばかりを選んで読んでみた。
その中から

◆『ア、秋』」 太宰治

「本職の詩人ともなれば、いつどんな注文があるか、わからないから、常に詩材の準備をして置くのである。」
こんな冒頭で始まるように、詩人が作品の注文が入ったときに、すぐに対応できるようにカテゴリーごとにメモっているイメージを連らねたノートからヒントを得るという。
いわば作品つくりのためのネタ帳だが、「ア」から始まる項目のうちの「秋」のページを開いて公開するというもの。

そこには「トンボ。スキトオル。」「秋ハ夏ノ焼ケ残リサ。」「夏ハ、シャンデリヤ。」「秋ハ、燈籠。」「コスモス、無残。」「秋ハ夏ト同時ニヤッテ来ル。」等々、脈絡なく言葉が並んでいる。

どういう意味か,メモした作者自身もわからないような「怪談ヨロ。」「アンマ。」「モシ、モシ。」「マネク、ススキ。」「アノ裏ニハキット墓地ガアリマス。」「路問エバ、オンナ唖ナリ、枯野原。」といった言葉の羅列がある。

「秋」一つだけでも、こうしてランダムに書かれた言葉から連想させて文章を作り上げる想像力というか、表現力は、太宰治という作者の高い力量ゆえだと思う。

作中に「秋は、ずるい悪魔だ。夏のうちに全部、身支度をととのえて、せせら笑ってしゃがんでいる。僕くらいの炯眼の詩人になると、それを見破ることができる。家の者が、夏をよろこび海へ行こうか、山へ行こうかなど、はしゃいで言っているのを見ると、ふびんに思う。もう秋が夏と一緒に忍び込んで来ているのに。秋は、根強い曲者である。」という箇所があるが、秋の残滓を探している視点が目に浮かんでくる。

確かに、秋はずるい悪魔だ‼

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2020年9月 6日 (日)

気象異変続き

台風9号が去ったと思ったら、10号が6日21時現在、鹿児島県枕崎市の西南西の海上を北上し、九州の全県が台風の暴風域に入っているということだ。
激しい雨が降り続き、土砂災害の危険度が高まっているということで、避難所などに身を寄せた人は17万8千人を 超えているという。
立て続けの台風襲来で直撃を受けた地域はたいへんなことだ。

今後、太平洋側エリヤで雨量が多くなる予想で、特に四国、近畿、東海では大雨になるらしい。

それにしても、今年の梅雨前線は日本各地で大雨による被害をもたらした。
特に7月に入って、東北地方から西日本にかけて記録的な大雨や日照不足で天候不順となった。
8月になったら連日35度越えの猛暑日、9月になっても暑さ収まらずの残暑、残暑の日々。
かとおもうと、日本のどこかで局地的大雨や集中豪雨による浸水被害が頻発し、洪水警報が出されて、日本列島は気象異変続きだ。

まだまだ気象情報に注意したい。

Kami

2020年9月 4日 (金)

私の好きな本

何度読んでも飽きのこない本がある。
『恋文』(アントニア・フレイザー編/吉原幸子訳/三笠書房)というのがそれだ。
古今東西の偉人達のラブレターを集めたものだ。
ラブレターというきわめて個人的なものに、彼らの関係に付け加えて、その後の結果が簡単に解説されており、偉人達の意外な一面を見るようで面白い。
そこに並ぶ偉人達は、キュリー、ヘンリー八世王、スタンダール、モンテスキュー、イプセン、ユーゴー、カフカ、ショパン、リスト、シューマン等々の豪華版。
科学者は、作家は、音楽家は、どんな文章を書いたのか・・・?

彼らは、論理的に、叙情的に、情熱的に思いをしたためている。
恋のエネルギーは偉大で、仕事が手につかない・・・でも、そこは偉人たちだ。
恋の悩みから、とてもいい作品が生まれている。

カフカは恋人のフェリス・バウエルと初めて出会った直後から彼女へ何千通もの手紙を送っている。
彼の優柔不断、決断力のなさは手紙にもそれが伺われる。
「もう、文通をよそうよ」と書いたその口の下から「返事が遅い」と彼女を攻め立てる。
この矛盾も、激しく燃える心の乱れを素直に表しているものだと思えば微笑ましい。

フレデリック・ショパンは、一時彼の恋人であったデルフィーネ・ポトッカへ「僕は作品と労力をむなしく浪費しました!!」と、恋のために仕事が出来ないと書いておきながら、その追伸で「追伸 昨日はとうとう何もせずに過ごし、この手紙も投函せずじまいだったので、一言付け加えます。
たった今、”プレリュード”を完成しました」とは、感動的な矛盾である。

物慣れた口調で甘美なことばかりを並び立てるのではなく、そのとき時の心のままを表現すると矛盾も然りで、カフカやショパンの率直さに頷ける。
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いまどき「ラブレター」というようなものを便箋にしたため、切手を貼ってポストに投函するような古風な人はいないだろうが、私の年代だとそれが主だった。
そこには、文面をあれやこれや熟考する緩やかな時間の流れがあった。

恋愛のスタイルも時代と共に少しずつ様相が変わってきているわけで、ダイナミックな違いは交通手段の格段の進歩がある。
会いたいと思ってもすぐには会えなかった時代と、会いたいと思えばたとえはるか遠くの人とでもすぐその日に会える今日とでは大きな違いがある。

もう一つは、通信手段の進歩によってメールや電話・携帯の変化したのが大きい。
手紙は時間がゆっくり流れていくが、メールや電話は一瞬の流れである。
つまり、手紙は文面をあれやこれや熟考する時間の流れが緩やかであるのに対して、メールなどの場合はコミュニケーションの流れが短時間であったり瞬間であって、せかされ感が否めない。

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2020年9月 3日 (木)

独断と偏見を承知で

自民党の次期総裁選びは、昨日の菅さんの立候補表明でようやくフィナーレを迎えた。
8月26日の記事にも書いたが、安倍首相の辞意表明前から「ポスト安倍は菅義偉官房長官で決まり」の噂があった。

驚くのは、菅さんの出馬表明会見と同時に党内各派閥の長が記者会見し、続々と菅さん支持を表明したことだ。
安倍首相からの権力構造を維持し、勝ち馬に乗りたいという理屈からなのか・・・国民に背を向けた「密室の談合」があった、と勘ぐってしまう。

菅さんといえば世襲や派閥政治を否定してきた人で、ご自身も派閥に属しておらず無派閥のはずだが、これでは、かつて自民党の弊害とされた派閥政治の復活ではないか。

今回の総裁選は、新型コロナウイルスの感染問題で後継総裁の選出は緊急を要すから、「全国一斉の党員投票は実施せず、国会議員と各都道府県連の代表者による投票で選出する」ことになった。
このコロナ禍では、選挙運動を短縮して1日も早く総裁を決めるのがいいのはわかるが、全国の党員からの批判は避けられないだろう。

さて、自民党総裁選挙に立候補した3人を眺めていると、ニュアンスの差こそあれ、「安倍政治の継承」が根底にあるわけで、掲げる政策が似ていても別に不思議ではない。
要する、みんな敵を作りたくないから、8年近くも続いた安倍政治というみこしに乗ろうとしている。
大切なのは、3人のそれぞれが安倍政治のなにを継承し、なにを否定するかだと思う。

3人の候補者を、独断と偏見を承知で私の一言、二言。

(菅義偉)

8年近くも安倍総理の官房長官として支え続けた菅さんだからこそ、3人の中では一番安定感を感じる。
口が堅い人のようだが、安倍政権の負の遺産「森友学園・加計学園・桜を見る会」については、すでに解決済みというのでなく、徹底して解明してほしい。
息子さんが3人いるということだが、3人とも政治の世界にいないというのがいい。

(岸田文雄)

敵を作らないエリートの岸田さんでは、政治家としてのトーンが弱すぎなのではないか。
過去の政治家をみると、強いリーダーほど敵が多い。

(石破茂)

石破さんの一番の難点は、党内での支持者がすくないことだ。
正当なことを言っておられるが、グダグダと理屈っぽいのが・・・?

9月8日告示、14日投開票のようだが、コロナ禍、東京五輪、経済対策など課題が山積する中で、次期総理には誰がふさわしいのか。
政権が変わらないなら、私は菅さんでいいと思っている。
官房長官として安倍内閣の負の遺産を隠し続け、すべてを知り尽くしている菅さんだからこそ、悪事をさらけ出すことができると思う。
これができれば、偉大な宰相として歴史に名が残ると思う。

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2020年9月 2日 (水)

飼い犬のトイプードルが、どういうわけか夜明け前に目が覚めるらしい。
散歩につれて行ってもらえるのが待ち遠しいのか、ぴょんぴょん飛び跳ねるので、夜明け前に散歩に出る羽目になる。

途中までは人ひとり通らないが、県道や市道の幹線道路沿いだから配送業務のトラックが通るし、歩道を歩くのだから危険な散歩ではない。
何よりいいのが、澄んだ空気の中に見る星がきれいなこと。

市道を過ぎて、猿渡川の支流である「下り松川」の橋を渡り、総合病院のある西の方向に歩き出したとき、暗闇の中に真っ赤な大きな月の輝きがこぼれ落ちて見事だった。

暗闇のその光を浴びながら歩くと、あまりの美しさに、ぞくりとする。

4:50頃だったと思うが、満月(今日9/2)になる前の月だから、小望月(こもちづき)の残月というのだろうか・・・?

雲から抜け出し、また雲に入るまでの、ほんの5分ほどだったか・・・。

夜明けの前の散歩は月の魅力のとりこになる。
こういう奇跡の出会いがある日に限って、スマフォを持って出なかったのが悔やまれる。5531_20200902102401

(月)

昼間まぶしく輝いていた太陽が、西に沈んで薄暮れになった。

薄暮れのなか、東の空に目をやると

「お盆のように大きな月」が、顔をのぞかせていた。

腕をいっぱいに伸ばして、五円玉の穴からその大きな月をのぞいてみた。

五円玉の穴からのぞいたその月は、穴の中に入ってしまうほど

小っちゃな小っちゃな月だった。

真夜中になって、月が宙天高く上ったとき

頭上の月は「CD盤のような小さな月」だった。

五円玉の穴の穴からのぞいた月は、やっぱり穴の中に入ってしまった。

これはなぜなの?

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2020年9月 1日 (火)

すでに9月

もう長月だ。

散歩途中の路傍を見れば、紅萩が枝をしなうように花をつけてい地面にしなだれ倒れているものもある。

「裏を見せ表をみせてちるもみじ」という良寛の句もあるが、静かな心になりきらないと自然の変化に目が向かなくなる。
息急き切って走っているのでは、見るものも正しく見えないのだろう。

ススキは穂が出ているだろうか・・・。
ここ1年くらい前から犬の散歩コースを変えたたので、JRの線路脇を通ることがなくなったが、そこはススキとセイタカアワダチソウとツヅラフジが勢力を争うように群生している。

毎年この時期には、ススキが一面に白金色の穂をなびかせ、濃黄色の小さな花つけたセイタカアワダチソウが唯我独尊といわんばかりに存在を鼓舞している。
黒紫の実をつけたツヅラフジは控えめだが、シンプルな美しさがある。

今年はどうなっているだろうか・・・?

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