2011年4月23日24日の気仙沼

  • Img_3342_1
    気仙沼市唐桑町にの甥一家が東日本大震災で津波の被害に遭遇。お見舞いに駆け付けた時の撮影。

乱読

« 目薬を差して、無茶をする | トップページ | 詩もどき達 »

2020年6月28日 (日)

さようならするには惜しい

家族が二人だけというのに部屋数ばかり多いので、ついつい「捨て下手」になる。

あとが困るだろうと、早朝の犬の散歩後に暇をみては整理をしているが、昔書いた文章が出て来ると読み直しているから一向に整理の手が進まない。

名古屋の朝日カルチャーセンターで小説の勉強をしていたとき、当時、老人ホームをテーマにした小説を書いたことがある。

自分としては力作のつもりが、先生に「上っ面をなでているだけ・・・」と酷評され、原稿用紙40枚程度書いて挫折した。

整理の途中、その作品を読み直しているが、まさに先生の言われたとおりだ。

イメージが貧困なのは自分の中に蓄積されたものが乏しいからであって、結果、上っ面をなでているだけになるのだ。

その際、先生に度々言われたのは「田辺聖子を模倣せよ」だった。

ところが、関西弁の喋り捲りの家族ものというのが、どうも馴染めなかったのを記憶している。

斜め読みだったのだろう、何を読んだかタイトルさえも忘れている。

彼女の箴言がノートに書いてあったが、今読むとそれが実に面白い。

・トシなんか、個人的に伸び縮みするもんやさかい、自分の思うトシをてんでに申告しといたらよい。『週末の鬱金香(チューリップ)』

・イモに交わればイモになる。『人生の甘美なしたたり』

・六十を過ぎたら、自分が神様じゃ。『人生の甘美なしたたり』

・この日本にはヤングと老人ばかりのようだ。オトナはどこへいってるのだろう?『人生の甘美なしたたり』

・人間が人間のプロになれる頃には、八十にはなっているだろう。『人生はだましだまし』

ちょっと苦笑いしたくなる箴言だが、まさに言い得て妙な表現だ。

「80だろうが、90だろうが屁とも思っておらぬ」と、豪語していた彼女も去年亡くなっている。

Komeda2

厚生労働省のデータによれば、日本人の健康寿命は約70歳という。

あくまでも目安だが、今、自分が老人ホームにお世話になってもいい年代になっているわけで、当時、自分が書いていた文章がいかに「上っ面をなでているだけ・・・」だけだったか、先生の言われたことがこの年になってわかる。

その先生(文芸評論家 清水信)も、数年前に亡くなっている。

Komeda

Aoba_20200628212001

五・七・五のリズムに乗って、今日の一句。

さようならするには惜しい閑古鳥

 

« 目薬を差して、無茶をする | トップページ | 詩もどき達 »

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

« 目薬を差して、無茶をする | トップページ | 詩もどき達 »