2011年4月23日24日の気仙沼

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    気仙沼市唐桑町にの甥一家が東日本大震災で津波の被害に遭遇。お見舞いに駆け付けた時の撮影。

乱読

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2020年6月 4日 (木)

死にまつわるエピソードが興味深い

寝るときベッドに持ち込むのが、iPadと二冊の本。

持ち込む本の方は、時として変わることもあるが、大抵は『追悼の達人』(嵐山光三郎著/新潮社)と、『芭蕉ハンドバック』(尾形 仂編/三省堂)だ。

『芭蕉ハンドバック』の方は、ブログ記事を書く時の参考にすることが多い。
  
『追悼の達人』の方は、作家の死にまつわるエピソードが興味深い。

 Line

死してもなお評価されるのが作家というものだろう。

ところが、恩人・友人である作家の死に対して、遠慮なく切り捨てる追悼文もあるわけで、「死ねばいい人」という一般的な風潮は、文学の世界では通用しないのかもしれない。

重体で死期が近い田山花袋の臨終に立ち会った島崎藤村は、「死んでいくときの気分はどういうものかね」と聞いたという。

それに対して花袋は「だれも知らない暗いところへ行くのだから、なかなか単純な気持のものじゃない」と答えた。

藤村は人の心の中に土足で踏み込む性格があったそうで、藤村なら、いかにもそう言いそうだが・・・真意は計り知れない。

私が想像するに、藤村も花袋も死という恐るべき事実に対して、平気では居れなかっただろう。

平気では居れなかったからこそ、死にゆく友人(花袋)に平時の会話であろうとする藤村と、死に際にしてなお、平時の会話で答える花袋。

小説家というのは、死に対してでさえ一つの物語性があるものだ、という印象を受けた。

Katabami

Line

五・七・五のリズムに乗って今日の一句。

花の束 添えて見守る 最後かな

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コメント

>はづきさん

死に対する恐怖はにありますね。
でも、そんなことをすぐに忘れてしまうのが、ずぼらな私の常です。
昨年、弟を亡くしたのですが、限られた時間の中で見事に旅立っていったことが思い出されます。

藤村と花袋の件は私も読みました。死は未知だから生きていられるのだと思っているのです。自身の持ち時間も知ってしまったら耐えられない様な気もするのですが...。

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