2011年4月23日24日の気仙沼

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    気仙沼市唐桑町にの甥一家が東日本大震災で津波の被害に遭遇。お見舞いに駆け付けた時の撮影。

乱読

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2020年6月13日 (土)

三河の国の八橋

昨日は「カキツバタ、アヤメ」について書いた。

動植物名を学術的名称として使う場合には、通常カタカナで書くわけで、例えば「カキツバタはアヤメ科アヤメ属の植物」となる。

昨日の記事は、生育場所や花弁の根元の模様から違いを書いたので、あえてカタカナ表記にした。

漢字と平仮名表記の区別は、常用漢字表にあれば漢字で、なければ平仮名というらしいが、文章表現の場合は好みでよいだろう。

それはさておいて、「杜若(かきつばた)」といえば、どうしても『伊勢物語』【第 九 段(八橋)】を思い出してしまう。

在原業平とおぼしき主人公が、東海道を東へ東へと三河の国までやって来て、その時の気持ちを詠んだ歌である。

(原文)むかし、男ありけり。その男、身をえうなきものに思ひなして、「京にはあらじ。あづまの方に住むべき国もとめに」とて往きけり。もとより友とする人、ひとりふたりしていきけり。道知れる人もなくてまどひいきけり。 三河の国八橋 といふ所にいたりぬ。そこを八橋といひけるは、水ゆく河のくもでなれば、橋を八つわたせるによりてなむ八橋といひける。その沢のほとりの木のかげにおり居て、かれいひくひけり。その沢に、かきつばたいとおもしろく咲たり。それを見て、ある人のいはく、「かきつばたといふ五文字を句のかみにすゐて、旅の心をよめ」といひければ、よめる。 
  唐衣きつゝ馴にしつましあれば はるばる来ぬる旅をしぞ思ふ
とよめりければ、みな人かれいひのうへに涙おとしてほとびにけり。
(「伊勢物語・原文」のホーム参照)

(訳)
昔、男があった。その男が、(京にいても)仕方ない身だと自分を思い成して、京にはおるまい、東国の方に住むべき国を求めようと、かねてからの友人一人二人とともに出かけた。道を知っている者もなく、迷いつつ行った。そして三河の国の八橋というところに着いた。そこを八橋といったのは、水の流れが蜘蛛手のように別れていたので、橋を八つかけていたからだった。その水の畔の木陰に馬から降りて腰をおろし、乾飯を食ったのだった。そこにカキツバタがたいそう美しく咲いていた。それを見てある人が、「カキツバタと言う五文字を句のそれぞれの冒頭に据えて旅の心を詠め」といったので、(このように)詠んだのだった。
  唐衣を着て慣れ親しんだ妻が都にいるので、はるばるここまでやって来た旅が、つくづくと思われることよ
このように詠んだので、皆が乾飯の上に涙を落し、乾飯がふやけてしまった。

ここで言う「三河の国八橋」とは、愛知県知立市の八橋のことである。

私の住む刈谷市の隣の市だから、毎年杜若の花咲く時期にはよく行ったものだが、今年はコロナ禍で無量壽寺境内で行われる「史跡八橋かきつばたまつり」が中止になってしまった。

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五・七・五のリズムに乗って、今日の一句。(写真整理で出てきた昔の写真で一句)

一つ葉に結んだ玉や夏の雨

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6月は予定が多く、スポーツクラブをお休みしているので運動不足

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