2011年4月23日24日の気仙沼

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    気仙沼市唐桑町にの甥一家が東日本大震災で津波の被害に遭遇。お見舞いに駆け付けた時の撮影。

乱読

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2020年6月

2020年6月30日 (火)

詩もどき達

詩心を誇れるはずもなく
どだい下手な詩
詩人だけが詩を書いて良い法はない
選ばれた人生なんって
どこにもないはずだ

自分ごとでないとは言え
隣人のアクシデントには
我が事のように感じつつも
なんの手助けもできない
ふがいなさや苛立ち
今日も日が昇って
日が沈んだ
このあたりまえの中に
隙を見て入り込むアクシデント
厚底のブーツで蹴っ飛ばしたい

6月の庭に
草だけは何もないように
すくすくと生える
自然愛好家の影響で
草の生えるのも自然
自然は自然のままでも良い
と思うようにした

スポーツクラブを休んでいたら
私が病気らしいという噂が流れたとか
例年この時期は草取りに余念がない
今年のこの時期はニューパソコン操作に余念がない
と答えておいた 

Airise

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五・七・五のリズムに乗って、今日の一句。(不注意もはなはだしい)

クーラーの冷え焦りけり午後三時

2020年6月28日 (日)

さようならするには惜しい

家族が二人だけというのに部屋数ばかり多いので、ついつい「捨て下手」になる。

あとが困るだろうと、早朝の犬の散歩後に暇をみては整理をしているが、昔書いた文章が出て来ると読み直しているから一向に整理の手が進まない。

名古屋の朝日カルチャーセンターで小説の勉強をしていたとき、当時、老人ホームをテーマにした小説を書いたことがある。

自分としては力作のつもりが、先生に「上っ面をなでているだけ・・・」と酷評され、原稿用紙40枚程度書いて挫折した。

整理の途中、その作品を読み直しているが、まさに先生の言われたとおりだ。

イメージが貧困なのは自分の中に蓄積されたものが乏しいからであって、結果、上っ面をなでているだけになるのだ。

その際、先生に度々言われたのは「田辺聖子を模倣せよ」だった。

ところが、関西弁の喋り捲りの家族ものというのが、どうも馴染めなかったのを記憶している。

斜め読みだったのだろう、何を読んだかタイトルさえも忘れている。

彼女の箴言がノートに書いてあったが、今読むとそれが実に面白い。

・トシなんか、個人的に伸び縮みするもんやさかい、自分の思うトシをてんでに申告しといたらよい。『週末の鬱金香(チューリップ)』

・イモに交わればイモになる。『人生の甘美なしたたり』

・六十を過ぎたら、自分が神様じゃ。『人生の甘美なしたたり』

・この日本にはヤングと老人ばかりのようだ。オトナはどこへいってるのだろう?『人生の甘美なしたたり』

・人間が人間のプロになれる頃には、八十にはなっているだろう。『人生はだましだまし』

ちょっと苦笑いしたくなる箴言だが、まさに言い得て妙な表現だ。

「80だろうが、90だろうが屁とも思っておらぬ」と、豪語していた彼女も去年亡くなっている。

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厚生労働省のデータによれば、日本人の健康寿命は約70歳という。

あくまでも目安だが、今、自分が老人ホームにお世話になってもいい年代になっているわけで、当時、自分が書いていた文章がいかに「上っ面をなでているだけ・・・」だけだったか、先生の言われたことがこの年になってわかる。

その先生(文芸評論家 清水信)も、数年前に亡くなっている。

Komeda

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五・七・五のリズムに乗って、今日の一句。

さようならするには惜しい閑古鳥

 

2020年6月27日 (土)

目薬を差して、無茶をする

2009年11月にコンパクトデジタルカメラ「IXY DIGITAL 830IS」を購入した際の、付属のアプリケーションソフト「ZoomBrowser EX」が、画像の管理がいいことと、編集加工が私には合っているのでWindows XP、Windows Vista まで使い続けてきた。

ところが、スマフォを持つようになって以来、カメラを持ち歩かなくなり、写真や動画の編集をすることもなくなった。

スマフォで撮った画像は、パソコンのフォルダーに放り込むだけだった。

動画編集のフリーのソフトがないものかと探していたが、いずれも操作が難しそう。

そこで思い付いたのが「ZoomBrowser EX」。

Windows10ではむろん対応不可だが、もしかして・・・と、期待を込めて無茶を承知でWindows10にインストールした。

「ZoomBrowser EX」の方は何とかインストールできたが、一緒についている画像再生のQuickTime Playerのインストールが進行しない。

アンインストール、インストールの繰り返しで、取りあえず「ZoomBrowser EX」だけは起動できたものの、動画の編集ができなかったし、画像編集もパノラマ合成がうまく行かず固まってしまう。

結局、アンインストールという羽目になった。

このせいでか、買ったばかりのパソコンに不備が生じ、昨日は一日中パソコンの前で奮闘。

押し入れに放り込んであるWindows Vista を出して、そちらでパノラマ合成をやってみた。

なんと、きれいにできるではないか。

今では、Vistaを捨てなくって良かったとさえ思っている。

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五・七・五のリズムに乗って、今日の一句。

目薬を差してふたたび時間ロス

 

2020年6月24日 (水)

日録

◆7月23日(火)
犬のトリミングを月1回で定期予約していたお店が、トリマー不足により、予約が取にくくなった上に、ペットホテルも時間短縮で、預ける方としては、かなり不都合になった。

そこはタクシー会社運営の店だったから、安い追加料金で送迎サービスがあったので、雨の日には重宝していただけに残念だ。

そんな訳で、今月からは店を変えることにした。

今度のお店はスーパー内にあり、営業時間が9:00~21:00まで。

ホテルに預けても夜の9:00までに迎えに行けば良いわけで、これは助かる。

23日は、我が家のトイプードルにとって、新しいお店でトリミングしてもらう初日だった。

2時間余のトリミング時間の間、初対面のトリーマーさんに暴れないだろうか、スムーズにトリミングしてもらえるだろうか、心配は尽きなかったが・・・。

このお店はガラス越しにトリミング風景が見えるので、2時間後の迎えの時間よりも早めに行って様子を見ていたが、あのやんちゃな我が家のトイプードルが、おとなしくトリミング受けていた。

家でのシャンプー時には大暴れするのに、初対面のトリーマーさんの手にあったら、あたかも催眠術ににかかったように、すっかり体を任せきっているではないか。

トリマーさんは、経験豊かなプロなのだから、心配するには及ばなかった。

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◆7月24日(水)

コロナで生活様式は大きく変ったが、私の通うスポーツクラブでも、7月からZOOMを使ってのオンラインレッスンが本格的に稼働する。

6月一杯は無料体験ということで、時間を見て予約しておいた。

今日はその初日で、まずはヨガを受講したが、全国196店同時オンラインレッスンで、受講者が160人と、多いのには驚いた。
私はパソコンでの受講だが、自分が運動するスペースからパソコンの距離が離れているために、講師の画面を固定してもかなり見づらかった。
それよりなにより、久しぶりのヨガで体中が筋肉痛だ。

Zoom

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五・七・五のリズムに乗って、今日の一句。

笛と美ともつるる如くわが名前

2020年6月22日 (月)

勘違い植物名

先日のブログ”植物の知識”で、カキツバタとアジサイの表記について書いた。

牧野富太郎博士の『植物一日一題』では、日常よく見る植物を取り上げて、その名前の違いを指摘しているが、それが山ほどあるわけで読んでいると、いかに間違った名を日常平気で使っているか、思い知らされる。

例えば
・馬鈴薯とジャガイモ
馬鈴薯というものは中国の福建省の一地方に産する一植物の名で、ジャガタライモ(ジャガイモ)は、南アメリカのアンデス地方の原産のもので、そもそも形状が違う。

・百合とユリ
百合とは中国名で、日本でいうユリとは違う植物。

・キャベツと甘藍
キャベツは葉が層々と密に相包んで大きな球になるが、甘藍は球にならず、拡がった葉ばかりの牡丹の花の様子をしている。

「こんな間違った名を日常平気で使っているのはおろかな話で、これこそ日本文化の恥辱でなくてなんであろう。」というのが、牧野博士の弁である。
誤用が慣用化されてしまっているので、今さら・・・と思うが、正しく表記するに越したことはないだろう。

Eiji

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当分、ブログはのんびり更新します。

夫が80歳まで司法書士をしていたので、昨年亡くなった弟の「不動産所有権移転登記申請」を行うことになり、必要書類集めと、書類作成の手伝いの日々です。
船橋と愛知だから必要書類を集めに手間取っていますが、かなり勉強になります。

先日は、豊田市役所に行ってきた。

Toyota

フリートークに頂いた画像から、 五・七・五のリズムに乗って、今日の一句。

赤焼けの空に立ちたる雀かな

 

2020年6月20日 (土)

植物の知識

5月、6月の庭を楽しませてくれるカキツバタやアジサイを取り上げて記事を書いたが、その花の表記に戸惑うことも多かった。

記事内容によって、その時々のインスピレーションで、漢字、平仮名あるいはカタカナといった具合で統一性のない書き方をしていたが、実際はどうなのか。

植物と言えば植物学者の牧野富太郎博士が思い浮かぶから、青空文庫での書籍から調べてみた。

「植物知識」の中の『カキツバタ』の項に次のようにある。

「世人、イヤ歌読みでも、俳人でも、また学者でも、カキツバタを燕子花と書いて涼しい顔をして納りかえっているが、なんぞ知らん、燕子花はけっしてカキツバタではなく、これをそういうのは、とんでもない誤りであることを吾人は覚らねばならない。」

続いてアジサイについて次のように指摘している。

「燕子花と同様な大間違いをしているものは、紫陽花である。日本人はだれでもこの紫陽花をアジサイと信じ切っていれど、これもまことにおめでたい間違いをしているのである。この紫陽花は、中国人でもそれが何であるか、その実物を知っていないほど不明な植物で、ただ中国の白楽天の詩集に、わずかにその詩が載のっているにすぎないものである。元来、アジサイは海岸植物のガクアジサイを親として、日本で出生した花で、これはけっして中国物ではないことは、われら植物研究者は能くその如何を知っているのである。」
                                                        
                                                 牧野富太郎「植物知識」より

中国の白楽天(白居易)の詩というのは「白氏文集/卷020の96」に記載されている『紫陽花』のことで、次のようにある。

何年植向仙壇上,早晚移栽到梵家。 雖在人間人不識,與君名作紫陽花。

(訳)
いつのころ、仙人の世界で植えられたのか,それがどうしてこの寺に植えられたのか。
人間の世界にあっても誰も知らない,君に紫陽花と言う名前を上げよう。

この詩には、前書きがあるようで、「植物一日一題」の中の『紫陽花とアジサイ、燕子花とカキツバタ』の項に次のようにある。

招賢寺ニ山花一樹アリテ人ハ名ヲ知ルナシ,色ハ紫デ気ハ香バシク,、芳麗ニシテ愛スベク,頗ル仙物ニ類ス,因テ紫陽花ヲ以テ之レニ名ヅク。

(訳)
招賢寺に花を着けた1本の木があるが、その木の名を誰も知らない。花は、色が紫で、香りが良く、大変に美しくまさに仙境にふさわしい花である。そこでこの花を紫陽花と名づけた。

この前書きからも、白楽天の『紫陽花』という詩のどこを見てもアジサイにはなってないし、単に紫の花を開く山の木の花であるというに過ぎないことが、私でもわかる。

「元来アジサイは日本固有産のガクアジサイを親としてそれから出た花で断じて中国の植物ではないから、これが白楽天の詩にある道理がないではないか。従来学者によっては我がアジサイを中国の八仙花などにあてているが、それは無論間違いである。」

続けて

「とにかくアジサイを中国の花木あるいは中国からきた花木だとするのは誤認のはなはだしいものである。そしてこのアジサイを日本の花であると初めて公々然と世に発表したのは私であった。すなわちそれは植物学上から考察して帰納した結果である。」

            牧野富太郎 「植物一日一題」より

そもそも、牧野博士の命名した純粋に日本産の花であるアジサイが、中国の白楽天の時代にあるはずがない。

アジサイ=紫陽花、カキツバタ=燕子花という認識で、同一文章以内で統一すればよい程度に思っていたが、こうして知見を得たからには、植物学的な正確さで書いた方が良いだろう。

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五・七・五のリズムに乗って、今日の一句。

目薬をさして点検記法かな

 

2020年6月19日 (金)

ぐうたらデー

昨夜から、今日の朝が雨であることを期待して寝たが、ラッキイ~~

今朝は雨だったので、犬の散歩に行かなくって済んだ。

飼い犬のトイプードルは、朝の4時30分になると必ず吠える。

5時になると散歩に連れて行ってもらえる、散歩から帰えれば餌をもらえる、という彼の体の中の生物時計が反応しているのだ。

これがなんとも正確であるのには驚かされるが、不思議なことに雨の日は決して吠えない。

濡れる不快感や雨音の恐怖など、自然のリズムを体で感じ取っているに違いない。

毎日のそうしたサイクルを、犬が感覚として覚えているのだ。


私といえば、一日雨が降り続いていて、すっかり老体になってしまった。

ぶよぶよの老体だ。

朝から晩まで、計画通り時間に縛られて行動するよりも、時間の無駄になるだけの寝だめをしよう!

「食っては寝、食っては寝」と、ぐうたらデーを決め込んだ。

「果報は寝て待て」とぃうではないか・・・。

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五・七・五のリズムに乗って、今日の一句。

食っちゃ寝食っちゃ寝して梅雨明けぬ 

 

2020年6月18日 (木)

そろそろ犬の散歩が苦痛になりかけて来たので、雨が待ち遠しかった。

ここのところ、起き掛けの、ぼやけて消えてしまいそうな頭で、またとろりとひと眠りする時間が欲しくて仕方がない。

今朝も雨の降っているのを心待ちにして、ひそかにカーテンを触って外を覗いてみたが、雲は厚くかかっているものの、雨は落ちてこなかった。

案の定、散歩の催促に犬が鳴き出したので、しぶしぶ犬を引っ張って出掛けた。

いったん外に出た以上は、いつもの散歩コースを歩くのに苦はないが、梅雨に入ってからの雨が少ない気がする。


その雨が、午後になって久しぶりに降ってきた。

庭の紫陽花軍の、雨に濡れてしっとりとした佇まいが物静かな気分をただよわせている。

花は、やはりぬれて咲くところに風情がある。

「梅雨」は夏の季語で、夏を彩るさまざまな花や景色が、雨とのバランスにあって特別な美しさを醸し出す。

テレビの天気予報などでよく言われるが、太平洋高気圧と、湿った冷たい空気のオホーツク海高気圧のぶつかり合によって前線が発生し、その状態が一進一退を繰り返して長続きするのが梅雨ということだ。

梅雨が明けて7月に入れば、西日本の各地には激しい雨が降り、大きな被害をもたらす「集中豪雨」と言われるものがある。

これも地球の大気の大規模な流れによって起こるわけで要注意だ。

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五・七・五のリズムに乗って、今日の一句。

 くちなし顔をもたげてや白い花

2020年6月17日 (水)

紫陽花

我が家の庭は、紫陽花が満開だ。
土の特性で花の色が七度も変わり、盛りの長い 紫陽花だから、色の変化を毎日楽しんでいる。

江戸前期の俳人天野桃隣は1691年に芭蕉に同伴して、江戸に移住し、俳諧師として身を立てた。
1694年の芭蕉の死後、三回忌に“おくのほそ道”の跡をたどり《陸奥鵆(むつちどり)》をまとめ上げている。

その中に芭蕉の紫陽花の句がある。

紫陽花や帷子時の薄浅黄  芭蕉
(陸奥鵆)
(あじさいや かたびらどきの うすあさぎ)
貞亨元年(41歳頃)以後の作だが作句時期不明。

アジサイの花が咲いて、帷子を着る季節がやってきた。アジサイの色はその薄浅葱の帷子色をしている。浅葱色とはネギの葉の色に近いところからこう呼ぶ。アジサイについては、「紫陽花や薮を小庭の別座舗」などがある。芭蕉発句全集参照

紫陽花の微妙に変化する色合いが、薄浅黄の帷子の色とちょうどマッチしていて、軽やかなその色合いが、帷子の着心地の良さを醸し出している。
帷子:生絹(すずし=生糸の織物で、練っていないもの)や麻布で仕立てた単衣もの。
薄浅黄:薄い葱の葉の色の意で、薄い青色、水色で上品な色合いとされている。

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2020年6月16日 (火)

なぜ東京なのか?

昨日、れいわ新選組の山本太郎代表が東京都知事選に党公認で立候補すると表明した。

山本太郎さんの師匠である小沢一郎さんが、つねづね野党統一の体制で戦うことを主張していたが、消費税の減税を主張する「れいわ」と消費税の減税を認めない野党とでは政策の要の部分で違っているから、独自路線で進むしかなかったのだろう。

私も、小沢さんの主張する「野党統一体制」には賛成だが、市民と野党の共闘で立候補した宇都宮健児さんと政策面で共通する部分の多いだけに票の奪い合いになること必至だ。

一本化できるなら、一本化した方がいいと思う。

東京都民ではない私は部外者だが、山本さんを押したい。

太郎さんの「なぜ東京なのか?」の論旨は、簡潔で明解である。

ぜひ多くの人に読んでもらいたい。

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2020年6月15日 (月)

あやしうこそものぐるほしけれ

焼き物の町、愛知県瀬戸市に「陶祖祭」というのがある。

毎年4月の第3土曜日・日曜日に行われる。

陶祖・藤四郎を偲んでの祭りだそうだが、数年前にそこを訪れた時、既成の素焼きお面に、色つけをさせてもらった。

今、玄関の壁に飾ってあるが、深夜に浮かぶこれら四つの面は、怪しいほどに物ぐる欲しく見える。

闇の中に浮かぶ四つの面は、

私の 生の物語

過去・現在・未来

黒は過ぎ去りし日々

赤は現在

白は未来

いや、未来は赤・・・

じゃ、白は現在なの?

いやいや、現在は黒・・・

眠れぬ夜のとめどもない問答

あやしうこそものぐるほしけれ

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2020年6月13日 (土)

三河の国の八橋

昨日は「カキツバタ、アヤメ」について書いた。

動植物名を学術的名称として使う場合には、通常カタカナで書くわけで、例えば「カキツバタはアヤメ科アヤメ属の植物」となる。

昨日の記事は、生育場所や花弁の根元の模様から違いを書いたので、あえてカタカナ表記にした。

漢字と平仮名表記の区別は、常用漢字表にあれば漢字で、なければ平仮名というらしいが、文章表現の場合は好みでよいだろう。

それはさておいて、「杜若(かきつばた)」といえば、どうしても『伊勢物語』【第 九 段(八橋)】を思い出してしまう。

在原業平とおぼしき主人公が、東海道を東へ東へと三河の国までやって来て、その時の気持ちを詠んだ歌である。

(原文)むかし、男ありけり。その男、身をえうなきものに思ひなして、「京にはあらじ。あづまの方に住むべき国もとめに」とて往きけり。もとより友とする人、ひとりふたりしていきけり。道知れる人もなくてまどひいきけり。 三河の国八橋 といふ所にいたりぬ。そこを八橋といひけるは、水ゆく河のくもでなれば、橋を八つわたせるによりてなむ八橋といひける。その沢のほとりの木のかげにおり居て、かれいひくひけり。その沢に、かきつばたいとおもしろく咲たり。それを見て、ある人のいはく、「かきつばたといふ五文字を句のかみにすゐて、旅の心をよめ」といひければ、よめる。 
  唐衣きつゝ馴にしつましあれば はるばる来ぬる旅をしぞ思ふ
とよめりければ、みな人かれいひのうへに涙おとしてほとびにけり。
(「伊勢物語・原文」のホーム参照)

(訳)
昔、男があった。その男が、(京にいても)仕方ない身だと自分を思い成して、京にはおるまい、東国の方に住むべき国を求めようと、かねてからの友人一人二人とともに出かけた。道を知っている者もなく、迷いつつ行った。そして三河の国の八橋というところに着いた。そこを八橋といったのは、水の流れが蜘蛛手のように別れていたので、橋を八つかけていたからだった。その水の畔の木陰に馬から降りて腰をおろし、乾飯を食ったのだった。そこにカキツバタがたいそう美しく咲いていた。それを見てある人が、「カキツバタと言う五文字を句のそれぞれの冒頭に据えて旅の心を詠め」といったので、(このように)詠んだのだった。
  唐衣を着て慣れ親しんだ妻が都にいるので、はるばるここまでやって来た旅が、つくづくと思われることよ
このように詠んだので、皆が乾飯の上に涙を落し、乾飯がふやけてしまった。

ここで言う「三河の国八橋」とは、愛知県知立市の八橋のことである。

私の住む刈谷市の隣の市だから、毎年杜若の花咲く時期にはよく行ったものだが、今年はコロナ禍で無量壽寺境内で行われる「史跡八橋かきつばたまつり」が中止になってしまった。

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五・七・五のリズムに乗って、今日の一句。(写真整理で出てきた昔の写真で一句)

一つ葉に結んだ玉や夏の雨

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6月は予定が多く、スポーツクラブをお休みしているので運動不足

2020年6月12日 (金)

どちらがどちら・・・?

去年の画像を整理していたら、アヤメなのかカキツバタなのか、さっぱりわからない画像が出てきた。

私の記憶の中では、アヤメもカキツバタも深い青紫色をしており、雨が似合う印象だ。

「いずれアヤメかカキツバタ」という慣用句があるが、どちらも優れていて甲乙つけがたいというのが語源由来だ。

アヤメ、カキツバタいずれも緑の茎は真っすぐに伸び、蕾は上を向き、花開けばしっとりとした和服姿の女性を連想させる。

アヤメ、カキツバタ、どちらがどちら・・・?

調べてみたら、アヤメは畑や草地に生育し、花弁の根元が網目状の模様になっている。

一方のカキツバタは、池の浅瀬に生育し、花弁の根元が白い。

この画像のプロパティを見たら、2019年5月6日撮影で位置情報は安城市のデンパークとある。

フォルダーの中の前後の写真群を見ると、デンパークの「淡墨桜の池」の水辺に咲いていたことがわかるので、カキツバタと結論付けておく。

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五・七・五のリズムに乗って、今日の一句。

立ちつくす網目もようのあやめかな

しっとりと水辺にありしかきつばた

2020年6月11日 (木)

忘れていたが、昨日は「時の記念日」

昨日、6月10日は「時の記念日」だったのだが、今朝思い出した。

遅きに失した感があるが、「時の記念日」について、昨年書いた記事を再投稿しておく。

時の記念日が、『日本書紀』の「漏剋(ろうこく)を新しき臺(うてな)に置く。はじめて候時を打つ」に由来していることを新聞で知った。

漏刻(ろうこく)とは、671年4月25日(太陽暦の6月10日)に天智天皇が日本で初めて設置した水時計のこと。

この水時計は、壷の水がぬれ落ちるにしたがって、壷に立てた矢の目盛りが時を示すという。

時間は、生活するうえで欠かせない、とても大切なものだ。

記事を編集 - ココログ管理ページ:@nifty

誰の言葉か忘れたが、「時はそれが何であるか、と問わなければ、誰にでも分かっている。しかし一旦それを問い始めると、たちまち分からなくなる」・・・確かにそうだ。

或癲癇病院の部屋の中で、終日椅子の上に坐り、為すこともなく、毎日時計の指針を凝視している男が居た。おそらく世界中で、最も退屈な、時を持て余して居る人間が此処にいる、と私は思った。ところが反対であり、院長は次のように話してくれた。
この不幸な人は、人生を不断の活動と考えて居るのです。それで一瞬の生も無駄にせず、貴重な時間を浪費すまいと考え、ああして毎日、時計をみつめて居るのです。何か話しかけてご覧なさい。きっと腹立たしげに怒鳴るでしょう。
「黙れ!いま貴重な一秒時が過ぎ去って行く」
(萩原朔太郎『宿命』より

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五・七・五のリズムに乗って、俳句もどきの今日の一句。

日めくりをめくれば分かる記念日か

 

2020年6月10日 (水)

ショートショート

暗闇の中、薄目を開けてあたりを見渡した。

誰もいない。

机上のコンピューターが繋がったままになっていて、規則正しい機械音を響かせている。

ディスプレイ上には、オンラインマガジンの1ページが開かれていた。

そこには「究極の殺る方法」が記されている。

瞬間、オンラインの友人から「今から決行?大丈夫なの・・・」というメッセメッセージが入った。

私は、ふうっと吐息をついき、「OK」と、ゆっくり打ち返した。

「今夜こそ、絶対に殺るさ。これほど私を悩ませるヤツの顔など、もうこんりんざい見たくもない。きっと、きっと殺ってやる。」

私は自分の声の大きさの中に、現実のものとしての殺気を感じた。

手元の電気スタンドのスイッチを入れ、誰もいないのにほっとして、目の前のシェードに目をやり思わずぎょっとした。

シェードと電球の隙間から、赤みを帯びまるまる太った生き物が、じっと私を見つめていた。

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五・七・五のリズムに乗って今日の一句。

まだ書けるまだまだ書けとブログ記事

2020年6月 9日 (火)

毒があるから美しい

犬の散歩は大抵決まったコースを行くが、この2~3日は途中から犬の行く方へだまってついて行くことにした。

犬の案内に任せて、そこを歩くのも良いだろう。

野良猫のいるクリニックの駐車場から出て、坂を上り切ったところを横道に入ると広い空き地に出る。

広っぱの片隅には、雑草にまぎれてダチュラ(チョウセンアサガオ)が、白い清楚な花をつけて輝いている。

背高の赤い夾竹桃が空に向かってい1本、ぎっしりと密生して華やかに花をつけている。

雑草中に輝く清楚な白と、背高の華やかな赤が対照的で、それぞれに趣がある。

そう言えば、昔「夾竹桃殺人事件」なんっていう推理小説を読んだような気がする。

夾竹桃の枝で箸を作り、人を殺してしまう話だったような記憶がある。

夾竹桃の枝には、毒素が含まれているらしい。

なんでも、夾竹桃には枝だけでなく、花にも葉にも根にも人を殺す事が出来るほどの毒があるという。

真偽のほどはどうだか・・・。

ダチュラ(チョウセンアサガオ)の方は、ググってみて分かったのだが、毒性があり、幻覚症状を引き起こす危険な花のようだ。

華岡青洲はダチュラを用いて麻酔薬を開発し、乳癌の手術を行ったが、実験に協力した青洲の妻は失明した、という。

どちらも、毒があるから美しいのかも知れない。

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五・七・五のリズムに乗って、俳句もどきの今日の一句。

ダチュラや 犬の目そらす 剣呑かな

2020年6月 7日 (日)

野良二匹

朝の散歩コースの途中、クリニックの駐車場の車寄せのところに野良が寝そべって、こちらをジッと見詰めている。
以前は不器量なシャム猫といった感じのが一匹だったが、最近は雑種の茶トラが一緒だ。

野良猫は、食べ物を取り合ってけんかをするというが、この二匹は相性がいいのか、猫のことはよくわからないが、交尾を終えた後の睦み合いか・・・。

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五・七・五のリズムに乗って、俳句もどきの今日の一句。

野良猫の 腹空かしけり 夏の朝

2020年6月 6日 (土)

蒸暑い日

今日は朝から蒸し暑い。

私の住む所の気温と湿度を調べてみたら、15時時点で気温29℃、湿度52パーセントということだ。

外は薄曇りで、カンカン照りではないから気温の方は昨日よりだいぶ低い。

よく言われることだが、インフルエンザウイルスは高温多湿に弱い。

1961年に研究者のG・J・ハーパー氏が、インフルエンザウイルスは「温度20度以上、湿度50~60%で空気中での感染力が下がる」という研究成果を発表している。

それでは、今回の新型コロナウイルスの場合はどうか?

新型コロナが流行する傾向を、中国をはじめとした世界の研究者によって分析・研究されているが、確固とした成果が出るのはこれからだろう。

終息のめどはいまだ見通せないわけで、これからも「ウィズコロナ」でコロナ時代を生きていくわけだ。

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五・七・五のリズムに乗って、俳句もどきの今日の一句。

小さめの アベノマスクか 今届く

マスクが届いた

 

2020年6月 5日 (金)

勢揃いの面々

高須クリニックの高須克弥院長が「大村秀章・愛知県知事のリコール」を求める団体を設立し、署名集めをしているようだ。

趣旨は「あいちトリエンナーレ」で、税金を使うなだ。
(文化庁は一部を減額し、愛知県に支給すると決めた。名古屋市は補助金不払で大村知事から訴訟を起こされている。)

これに賛同し、集まったのは百田尚樹、有本香、竹田恒泰、武田邦彦という「桜を見る会」でおなじみの面々。

昨年夏のトリエンナーレでは、行政の介入や圧力から「表現の自由」を守り、コロナ対策でも堅実な結果を出している大村知事を潰すような行動をとる、この面々の頭の中は一体どうなっているのか・・・。

高須クリニック院長は愛知県の一色町(現西尾市)出身で、もとはと言えば愛知県民なのだ。

大村知事は碧南出身で高校が西尾、二人はある意味同郷者だ。

さらに、吉村大阪府知事が高須院長への応援ツィッターをしているのだから、何をか言わんやだ。

影響力のある人が自分の偏った価値観で、煽るように発信しているのはおかしい。

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五・七・五のリズムに乗って今日の一句。

 リコールに 桜出揃う 仲間かな

2020年6月 4日 (木)

死にまつわるエピソードが興味深い

寝るときベッドに持ち込むのが、iPadと二冊の本。

持ち込む本の方は、時として変わることもあるが、大抵は『追悼の達人』(嵐山光三郎著/新潮社)と、『芭蕉ハンドバック』(尾形 仂編/三省堂)だ。

『芭蕉ハンドバック』の方は、ブログ記事を書く時の参考にすることが多い。
  
『追悼の達人』の方は、作家の死にまつわるエピソードが興味深い。

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死してもなお評価されるのが作家というものだろう。

ところが、恩人・友人である作家の死に対して、遠慮なく切り捨てる追悼文もあるわけで、「死ねばいい人」という一般的な風潮は、文学の世界では通用しないのかもしれない。

重体で死期が近い田山花袋の臨終に立ち会った島崎藤村は、「死んでいくときの気分はどういうものかね」と聞いたという。

それに対して花袋は「だれも知らない暗いところへ行くのだから、なかなか単純な気持のものじゃない」と答えた。

藤村は人の心の中に土足で踏み込む性格があったそうで、藤村なら、いかにもそう言いそうだが・・・真意は計り知れない。

私が想像するに、藤村も花袋も死という恐るべき事実に対して、平気では居れなかっただろう。

平気では居れなかったからこそ、死にゆく友人(花袋)に平時の会話であろうとする藤村と、死に際にしてなお、平時の会話で答える花袋。

小説家というのは、死に対してでさえ一つの物語性があるものだ、という印象を受けた。

Katabami

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五・七・五のリズムに乗って今日の一句。

花の束 添えて見守る 最後かな

2020年6月 3日 (水)

花三題

◆ドクダミ

白いクロスの花
その清楚な姿からは
想像できないほどの
強烈な匂いを発している
しかし、これが他の悪臭を
取り除いてくれる・・・
トイレの一輪挿しに添える白十字は
既成消臭剤の作られた匂いに
はるかに優る。


◆ベゴニア

今にも踊りださんばかりの
生気を持って咲いている。
深紅、薄紅、淡い桜色、白と
さまざまな色がある中で
私は、深紅が一番好き
四咲きだから
年中楽しめるのが良い。
花言葉は親切とか・・・


◆アジサイ

紫陽花の厚い葉っぱは
その周りを
鋭い歯のあるのこぎりで
武装しています
落葉の紫陽花が冬を生き延びた
強さでしょうか・・

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五・七・五のリズムに乗って今日の一句。

聞き耳を立てて他人の浮き名かな

 

2020年6月 2日 (火)

紫陽花

今朝の庭はしっとりしていた。

昨夜から今朝方にかけて雨が降ったらしい。

濡れた庭の濡れた紫陽花は風情がある。

額紫陽花の白い花びらが、洗濯仕立てのようにまぶしい。

額紫陽花は緑色のぎっしり詰まった小花の周りに、別の色をした大きな花びらが、花の冠のように縁取って咲いている。

それがちょうど額縁を思わせるのだ。

鮮やかな色を、中央からぎっしり詰まらせ咲いている普通の紫陽花の華やかさも良いけれど、額紫陽花の寂しげな風情になんともいえない愛くるしさを感じる。

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五・七・五のリズムに合わせて今日の一句。

紫陽花の色ふつふつと変わりけり

紫陽花は土壌の性質や時間帯で花の色が変わるので、その変化を観察するのも楽しい。

 以下画像は我が家の紫陽花たち

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五月雨

「五月雨」と書いて「さみだれ」と読み、梅雨時期の季語。

五月雨だから5月に降る雨だと思いがちだが、実はこれ旧暦の5月に降り続く雨のことで、今で言えば6月、つまり「五月雨」の降る雨の時候を「梅雨」というわけだ。

五月雨といえば、芭蕉が「奥の細道」で、岩手平泉と山形を訪れた時の、あまりにも有名な句がある。

①「五月雨の降り残してや光堂」
②「五月雨を集めて早し最上川」

上記二句を現代訳してみると

①あたりは雨で朽ちているが、この金色堂だけは光輝いて、あたかも五月雨がここだけには降らなかったかのように。

解説:すでに、鞘堂ができていたのでもとより五月雨の中に輝く光堂は視界には無いから嘱目吟ではない。観想としてのこぬか雨の中に屹立する光堂が芭蕉の心の中にあったのであろう。これも最高秀句の一つ。なお、現在の鞘堂は昭和30年代末の文部省学術調査後のものである。
芭蕉発句全集参照

②五月雨を集めてきたように流れが早いなぁ、最上川

解説:奥の細道全体を通して山形での作品に秀句が多いのはなぜだろう。これも最も人口に膾炙した句の一つである。山形では句会が多く催されたらしい。この作品は、5月29日夜大石田の船宿経営高野平左衛門 (一栄)方にて行われた句会の冒頭の発句「五月雨を集て涼し最上川」である。これはまた随分とやさしい句だが、「涼し」一語を「早し」と変えただけで、怒涛渦巻く最上川に変るから言葉の持つ威力はものすごい。
芭蕉発句全集参照

二句とも、梅雨の水量の多さが元にあるが、①では、降り続く長い雨で湿気によって物を腐食させる自然の力と対象に、雨の中に屹立する光堂が芭蕉の心の中にあったのであろ

② では水嵩の増した景観を流れの速さで豪快にとらえている。

時として梅雨はうっとおしい・・・これは、だれしも持っている季節感というものだ。

そうした梅雨の持っている性質を、芭蕉の場合は賞美しているように見える。

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2020年6月 1日 (月)

梅の実が実るころ

早いもので、今日から六月である。

沖縄、九州南部、四国では既に梅雨入りしたようだ。

梅雨の日々は、じめついて、カビが生えたりで不愉快な気分にもなる。

だがその反面、街並みはしっとり雨にけぶり、木々の緑は色濃くなり、どことなく大気の中に風情が伺える。

「梅雨がなかったらどんなにか私はものたらぬことであらう。それは春と夏とのあひだに特殊な風情のある季節をつくってゐる」と書いたのは、夏目漱石に師事した作家で詩人の中勘助である。

「梅雨は空の洗濯屋さんだ」といった人もいるが、長雨が大気中のチリを落とし、木々の緑が一段と美しくなる。

我が家の庭には、根の絶えることないドクダミ草が盛りだ。

ドクダミは、雨が降るたびに白い十字が次々花開く。

ドクダミは、独特の香りを持つために、その匂いをきらう人が多いが、古くから民間薬として重宝がられてきた。

地中に四方八方に地下茎を伸ばしているために、抜いても抜いても生える生命力の強い草だ。

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五・七・五のリズムに合わせて今日の一句。

どくだみや トイレにメーク 花白し

ドクダミの季節、我が家ではトイレに白い十字のドクダミを一輪挿しに飾っている。

Dokudami

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