2011年4月23日24日の気仙沼

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    気仙沼市唐桑町にの甥一家が東日本大震災で津波の被害に遭遇。お見舞いに駆け付けた時の撮影。

乱読

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2020年5月20日 (水)

備忘記

この4~ 5日の間、パソコンのトラブルで記事を書かずじまいだったが、この間の情報をメモっておく。

◆検察庁法改正案の衆院通過を急ぐ自民党の国会対策を担うある議員が「我々は天ぷら屋。出されたものを早くあげるのが仕事だ」と言ったという。

うまい!「あげる」という言葉を天ぷらにかけての秀逸な表現に思わず座布団をあげたくなる。

冗談はさておき

◆一昨日(18日)、安倍晋三首相は「検察庁法改正案」について、今国会での成立を断念した。

ツイッター上での反対抗議が止まらないことと、元検事総長を含む検察OBからも反対する意見書が影響していると思う。

私も意見書を読んでみたが、5のロッキードについて書かれた部分に違和感を感じた。

以下、一部引用

5 かつてロッキード世代と呼ばれる世代があったように思われる。ロッキード事件の捜査、公判に関与した検察官や検察事務官ばかりでなく、捜査、公判の推移に一喜一憂しつつ見守っていた多くの関係者、広くは国民大多数であった。

 振り返ると、昭和51年(1976年)2月5日、某紙夕刊1面トップに「ロッキード社がワイロ商法 エアバスにからみ48億円 児玉誉士夫氏に21億円 日本政府にも流れる」との記事が掲載され、翌日から新聞もテレビもロッキード関連の報道一色に塗りつぶされて日本列島は興奮の渦に巻き込まれた。

 当時特捜部にいた若手検事の間では、この降って湧いたような事件に対して、特捜部として必ず捜査に着手するという積極派や、着手すると言っても贈賄の被疑者は国外在往のロッキード社の幹部が中心だし、証拠もほとんど海外にある、いくら特捜部でも手が届かないではないかという懐疑派、苦労して捜査しても造船疑獄事件のように指揮権発動でおしまいだという悲観派が入り乱れていた。

 事件の第一報が掲載されてから13日目の2月18日検察首脳会議が開かれ、席上、東京高検検事長の神谷尚男氏が「いまこの事件の疑惑解明に着手しなければ検察は今後20年間国民の信頼を失う」と発言したことが報道されるやロッキード世代は歓喜した。後日談だが事件終了後しばらくして若手検事何名かで神谷氏のご自宅にお邪魔したときにこの発言をされた時の神谷氏の心境を聞いた。「(八方塞〈ふさ〉がりの中で)進むも地獄、退くも地獄なら、進むしかないではないか」という答えであった。

 この神谷検事長の国民信頼発言でロッキード事件の方針が決定し、あとは田中角栄氏ら政財界の大物逮捕に至るご存じの展開となった。時の検事総長は布施健氏、法務大臣は稲葉修氏、法務事務次官は盬野宜慶氏(後に最高裁判事)、内閣総理大臣は三木武夫氏であった。

 特捜部が造船疑獄事件の時のように指揮権発動に怯(おび)えることなくのびのびと事件の解明に全力を傾注できたのは検察上層部の不退転の姿勢、それに国民の熱い支持と、捜査への政治的介入に抑制的な政治家たちの存在であった。

 国会で捜査の進展状況や疑惑を持たれている政治家の名前を明らかにせよと迫る国会議員に対して捜査の秘密を楯(たて)に断固拒否し続けた安原美穂刑事局長の姿が思い出される。

検察は田中角栄逮捕に相当の誇り持っているが、田中角栄という戦後日本の礎を築いた最大の政治家を抹殺して満足だったのか。

法を犯したら裁かれるのは当然だが、傑出した功績を残した一国の総理への尊敬の念もなく逮捕拘留し、裁判に引きずり出しても心は痛まなかったのか。

◆この検察官定年延長問題では、戦後日本検察・司法がどこを(アメリカ)向いて奔走して来たかに眼を向けるべきだ。

ロッキード事件におけるP3C導入と児玉誉士夫について、ジャーナリストの田中良紹さんが「中曽根康弘と田中角栄―その裏面史」に詳しく書かれているので参考までに。

ロッキード事件以外でも、佐藤栄佐久元福島県知事の原発反対での不当逮捕、小沢さんの陸山会事件など、戦後ずっと検察・司法が国民のために動いては来なかったと言う恐るべき事実がある。

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