2011年4月23日24日の気仙沼

  • Img_3342_1
    気仙沼市唐桑町にの甥一家が東日本大震災で津波の被害に遭遇。お見舞いに駆け付けた時の撮影。

乱読

« 名古屋の風物詩 | トップページ | 「羅馬に似寄つた風俗があった」そうな »

2020年2月 2日 (日)

慣れが能力を変える

2月に入った。陰暦で言えば如月(きさらぎ)。
この月は年間でも一番寒い時期で、衣類をさらに重ねて着るという意味で「衣更着(きさらぎ」が語源と言われている。

実際、昨日からの寒さは、ことのほか厳しい。

Rap

犬の散歩には1枚余計に着込んでいったが、それでも寒さが皮膚を刺すように感じられる。
手は手袋をしていても氷のように冷たい。
顔はマスクを着ければ、さほど冷たさを感じない。

自分の防寒には気を遣うものの、飼い犬にはいつも通り適当に1枚を着せているだけだが、寒いとも言わず朝の冷気を喜んでいるかのようにピョンピョン飛び上がっている。

エセ―の著者ミシェル・ド・モンテーニュは、かつて新大陸の原住民の顔について次のように書いたことがある。『わが国の乞食が真冬にもシャツ1枚でいるのに、耳まで貂(てん)の毛皮にくるまっているひとと同じように元気なのを見て、誰か或るひとが、乞食のひとりに、どうしてそんな我慢ができるのかたずねたところ、乞食は答えた。《旦那さまだって、顔はむきだしだ。私は全身が顔なのだ。》(松浪信三郎訳)
「まなざしの記憶」 (角川ソフィア文庫 著者: 植田正治、 鷲田清一)より

散歩コースに中学校がある。
早朝の部活に参加する女子生徒に会うが、スカートに生足で歩いている姿はいかにも寒そうだ。
そんなときにこの言葉がよぎる。

人間も犬も習慣の動物であるし、慣れてしまえばなんでもないのだろうけれども、しかし、私にはそう容易に慣れられるものではない。

Kiku

« 名古屋の風物詩 | トップページ | 「羅馬に似寄つた風俗があった」そうな »

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

« 名古屋の風物詩 | トップページ | 「羅馬に似寄つた風俗があった」そうな »