2011年4月23日24日の気仙沼

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    気仙沼市唐桑町にの甥一家が東日本大震災で津波の被害に遭遇。お見舞いに駆け付けた時の撮影。

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2020年1月 5日 (日)

犬の散歩でも意識を持って歩けば

今朝は寒かった。
今年一番の寒さのような気がしたが、どうだったか・・・?
明日1月6日は寒の入りになるから、寒の明け(立春の2月4日)までは、こんな状態で寒いのだろう。

寒い中、早朝の犬の散歩はつらいものがある。
犬のための義務と思う散歩だから、ついつい面倒になるわけだ。

たかが犬の散歩でも意識を持って歩けば、何かしら効用はあるだろう。
そう思って、夫の犬の散歩に付いていく毎日だ。

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「則天去私」という言葉がある。

これは夏目漱石の晩年の言葉だが、元々の発祥は仏教の悟りからきている。

「則天」は天地自然の法則や普遍的な妥当性に従うこと。
「去私」は私心を捨て去ること。

広辞苑には、「小さな私を去って自然にゆだねて生きること、宗教的な悟りを意味する」と書いてあるが、エゴを捨て去った、あるがまま、なすがままの境地を言うのだろう。

『「死ぬか、気が違うか、それでなければ宗教に入るか。僕の前途にはこの三つのものしかない」
 兄さんははたしてこう云い出しました。その時兄さんの顔は、むしろ絶望の谷に赴く人のように見えました。
「しかし宗教にはどうも這入れそうもない。死ぬのも未練に食いとめられそうだ。なればまあ気違だな。しかし未来の僕はさておいて、現在の僕は君正気なんだろうかな。もうすでにどうかなっているんじゃないかしら。僕は怖くてたまらない」』
(夏目漱石『行人』⦅塵労 三十九⦆より)

宗教には入れそうもない、自殺はできぬ、狂気にもなりきれなかった彼だが、次第に仏教に傾倒してゆく。
晩年、しきりに語った言葉「則天去私」は、自我を捨て去り、安らかな宗教的境地を得たいという彼の願望からくるものだろう。

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