2011年4月23日24日の気仙沼

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    気仙沼市唐桑町にの甥一家が東日本大震災で津波の被害に遭遇。お見舞いに駆け付けた時の撮影。

乱読

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2020年1月20日 (月)

まるで犬がマーキングしているようだ

  1. 行く雲や犬の駆け尿村時雨   芭蕉(六百番俳諧発句合)
    (ゆくくもや いぬのかけばり むらしぐれ)

雲が速く流れて時雨が来たり去ったり又来たり。まるでその度に、犬がそこらの板塀にオシッコをかけて行くみたいだ。村時雨の襲来を天から犬が放尿しているととらえた談林風。しかし、なんともいえないリズム感のよい句である。
芭蕉俳句全集より)   


「談林風」とは
大坂の西山宗因を中心に延宝年間(1673~1681)に盛行した俳諧の一派。また、その俳風。貞門一派の伝統的な方式に対し、奇抜な俳風で自由な表現形式をとった。蕉風 (しょうふう) が興るとともに衰退。(goo 辞書)

「村時雨」とは、雲行きが怪しくなり、突然、雨が降ったり止んだりする様子。
それが、まるで犬がマーキングしているようだ、と「村時雨」を犬の小便に例えたのだろう。

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犬と日本人とのつき合いは古く、文学作品にもさまざまなかたちで登場する。
なんでも日本で犬が飼われるようになったのは、縄文時代らしい。

岐阜大学の田名部 雄一名誉教授によれば「縄文人の生活の中心は狩猟採取でしたから、イヌを猟犬として使っていたと考えられます。」とある。
(アットホームの機関紙『at home TIME』より)

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犬は自分の情報を知らせるために、しばしば電信柱に片足をあげてオシッコを引っ掛ける。
自分の行動範囲を記して、再びそこに戻ったときに安心するためでもある。

その上、そこに掛けられた仲間の臭いをかぎ、どこどこに盛りの付いた犬がいるとか、仲間の情報の的を絞るのに都合がいい、という意味がある。

オシッコに含まれている性ホルモンで性的状態がわかるということだし、前立腺分泌物で個体もわかるらしい。

ところが片足を上げてオシッコをするのは雄で、雌の場合は腰を落としてするのが一般的だ。
これは体の構造上の問題もあるのだろう。

雌は雄のように勢い良く飛ばすことが出来ない。
片足を上げたのでは、それこそ脇腹の方に垂れてしまう。
清潔好きな雌犬は、それを避けているのかも・・・。

我が家の飼い犬トイプードルは、おしっこの後、足で地面を蹴る(?)ような仕草をする。
これにはさまざまな説があるが、一つには、犬の祖先は糞に土を掛ける衛生的な習性があったというのがある。

ペットとして飼われるようになり、その習性も薄れてきたとか言うが、祖先のなごりが未だにあって「ふり」をしているのかも知れない。
いずれにしても、犬に聞いてみないとわからないから、犬語でも勉強して聞いてみようかな(笑)

 

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