2011年4月23日24日の気仙沼

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    気仙沼市唐桑町にの甥一家が東日本大震災で津波の被害に遭遇。お見舞いに駆け付けた時の撮影。

乱読

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2020年1月

2020年1月31日 (金)

朝の健康な空気

今朝は寒い.
やっと本格的な寒さがやってきた感じだ。

早朝の犬の散歩がてら、朝の風景をスマホ撮影してきた。

気温の低い分、風もなく空気が澄んでいて、真っ赤な朝の陽光が徐々に上がってくる。
道端の雑草に降りた霜が美しく輝いている。

梢から梢へスズメの飛んでいるのが見える。
くちばしの大きなカラスが一羽、電線の上にとまって、あたりを用心深く見回している。
さてこれから、どんな悪だくみをしようかと思案しているのだ。

そういう風景を眺めながら、朝の健康な空気を吸った。
手袋をとってのスマホ撮影だったので、手が氷のように冷たい。

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塩分は目には見えないので

 Natto

犬の餌でもない、ウサギの糞でもない。
実はこれ、刈谷ハイウェイオアシスの下りパーキングエリアの売店で購入した納豆。

納豆にもいろいろあって、納豆といえば、まず第一に糸を引く納豆を思い浮かべるが、あれは蒸した大豆を納豆菌で発酵させて作る。
この浜納豆は、大豆を麹で発酵させた大豆発酵食品で、納豆のように無塩発酵ではなく、納豆菌も用いていないために糸を引くことはない。
直径1センチほどの小さな黒い粒をしていているが、うまみと塩分が凝縮したその一粒にかなりのインパクトを受ける。
浜納豆は味噌のルーツと言われる食材で、中国の唐の時代に遣唐使により渡来し、京都の寺で作られた。
それが浜名湖畔の寺に伝わり「浜納豆」と呼ばれるようになったと言われている。

徳川家康も食したという浜松名産だが、今では味噌造りをしているところなら大抵製造している。

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私は浜納豆が好きで、定期的に買い求めている。
これを炊きたての御飯の上に載せて食べると、かなり食が進む。

ところが塩分が多いので食べ過ぎは禁物。
塩分は目には見えないので、知らず知らずのうちに摂りすぎてしまいダメージを受ける。
高血圧症の私には要注意食品だが、ほどほどに・・・。

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2020年1月29日 (水)

テディベアカットのつもりだが

「動物はまことに気持ちのいい友だちである。かれらはいかなる質問もしないし、いかなる批評もしない。――ジョージ・エリオット――」
(「格言の花束」堀秀彦編/221現代教養文庫/社会思想社より)

名言といえば名言だが、犬をよく観察していると、その多彩な仕種の中に彼なりの意思表示をしているわけで、犬から言わせれば人間の都合のいい勝手な解釈なのかも知れない。

今日は、飼い犬・トイプードルのトリミングの日。
王道のテディベアカットのつもりだが、さっぱりし過ぎて似合わなかったかな・・・。
トリマーさんによって、仕上がりが微妙に変わるので、似合うときと似合わないときがある。

人間でもそうだが、美容院に行きたては何だか顔に似合わないことがある。
いかにも「美容院に行ってきました。」という感じに見えてしまうが、日が経てば、徐々に見慣れてくる。

犬もそれと同じだろう。

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今日の参議院予算委員会の国会中継の一部見ていたが、立憲民主党の蓮舫副代表は、桜を見る会に飲食を提供したケータリング会社と、安倍首相夫妻の関係について写真を示して追及していた。
これは私も見たことがあるが、昭恵夫人がfacebookにアップしているものだ。

今に始まったことじゃないけど、総理が自分の身内やお友だちに税金をばら撒いたり、便宜をはかったりして政治を私物化している。
これだけ疑惑が深まっているのに、安倍内閣の支持率はなぜ下がらないのか不思議でたまらない。

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2020年1月28日 (火)

ただの人になってはたまらない

サルは木から落ちてもサルだが、代議士は選挙に落ちればただの人だ
この名言を残したのは大野伴睦。

岐阜県出身で、戦後は鳩山一郎を支えて日本自由党の創設に参加、自民党結成後は長く副総裁を務めた。
70代以上の人なら、大野伴睦という名前を見聞きしていると思う。

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昭和三十八年十月二十三日である。この日、池田隼人首相は衆議院を解散した。その直後、本会議から控室へ引き上げてきた自民党員を前にして万歳三唱の音頭をとることになった大野伴睦副総裁は、「前代議士諸君」と呼びかけて爆笑をまきおこすと、「サルは木から落ちてもサルだが、代議士は選挙に落ちればただの人」とつづけ、「当選してまた会おう」でしめくくった。万歳の音頭としては型破りである。
ー外山滋比古ー
(『名言の内側』著者:木村尚三郎/外山滋比古/村山吉廣 発行:日本経済新聞社)

人は時にしくじることがある、どんなに立派な人でもだ。
それをサルも木から落ちるというのにふまえて、サルなら落ちてもサルだが、代議士は落ちればただの人になってしまう。

昨日書いた河井案里参院議員も、県議をやめての出馬で必至だったであろう。
また、閣僚が政治と金で辞任に追い込まれても、大臣を辞任するだけで議員辞職はしない。
ただの人になってはたまらないから、恥ずかしげもなくしがみ付いているわけだ。

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2020年1月27日 (月)

壊れたレコード

今日、やっと始まった衆院予算委員会。
私は午後の野党質問の一部だけ見ていたが、桜を見る会問題、IRの問題、二閣僚辞任、昨年7月の参院選で河井案里参院議員に自民党本部から1億5000万円の選挙資金が渡っていた問題などに焦点が当たった。

安倍総理は例の如く誤魔かしと隠蔽、はぐらかしの連続で、壊れたレコードのように何度も同じ答弁の繰り返しだ。
疑惑を晴らそうとする姿勢が全く感じられない。

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モリカケ問題もそうだったが、「人の噂も75日」で、季節が変われば消えていくくらいの認識でやり過ごされてしまうのではないか・・・。

1億5000万円の選挙資金は、下村博文選挙対策委員長でさえも寝耳に水だったようだ。

同じ広島選挙区で6選を目指し落選した自民党の溝手顕正元防災担当相への支給は1500万円という。
同選挙区から二人の候補を立てて、10倍ものこの格差は何なのだろう。
選挙対策委員長さえ知らないこのお金の流れは、安倍総理と菅官房長官の肩入れがあればこそだと思う。

忘れてはならないのは、この原資は政党交付金。
つまり国民の税金であることだ。

溝手顕正元防災担当相には、2012年の総裁選の前に安倍さんを「過去の人」と言い放つなど安倍批判を繰り返した経緯があるようで、河井案里さんは、総理が溝手さんに差し向けた刺客とも言われている。

依怙贔屓されずに怒っている自民党議員も多いだろうに、官邸に近い関係にあれば優遇される、逆に逆らえば徹底的に干されるという実態を目の当たりにしては、おいそれと反旗を翻す気骨のある議員も出てこないだろう。

なにもかもが未解明なまま、闇に葬ろうとする力だけが働き、世間が飽きて忘れてくれるのを待っているかのようだ。

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カロリーは1枚(300 g)で21 kcal

蒟蒻の刺身もすこし梅の花 芭蕉(芭蕉庵小文庫)

元禄6年春。去来に関係する人の追善供養に詠んだとされる句。
コンニャクは、ウリ、蕎麦切、豆腐、酒とならんで芭蕉の好物だったらしい。
コンニャクについては他に、「蒟蒻に今日は売り勝つ若菜哉」がある。

仏前には、コンニャクの刺身が少し供えられている。寺の庭には梅の花が咲いて春はもう近い。

(「芭蕉発句全集」参照)

芭蕉のコンニャク好きはかなり有名だったようで、門弟たちの言にもあるようだ。

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上で取り上げたもう一つの句「蒟蒻に今日は売り勝つ若菜哉」は、訳すと「七草粥の日は、若菜(七草)の方がコンニャクよりも売れ行きが良いだろう」となる。

水溶性の食物繊維「グルコマンナン」の豊富なコンニャクは「おなかの砂おろし」と言われるように、体に不必要なものを掃除してくれる。
メタボ予防にも最適な食品であるから、コンニャクが芭蕉の長旅を支たに違いない。

さらに、芭蕉の故郷伊賀は、当時では魚のとれない山国で、コンニャクを刺身代わりにして食べたようだ。
芭蕉にとっては、コンニャクは故郷の味でもあったわけだ。

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2020年1月26日 (日)

ペットの問題行動

パソコンの前で画面に映し出される文字を追っていたのだが、そのとき付けっ放しにしていたテレビから聞こえてきたトイプードルの話題に目を奪われた。

番組は、日本テレビの「天才!志村どうぶつ園」だった。

なんでも、飼い主の家のおばあさんの入れ歯を取って持って行き、自分(犬)の口に嵌めてしまって離さないという話だ。

一度咥えたらなかなか離さないわけで、寝る時も咥えたままでオモチャには全く興味を示さない。
衛生的にも良くないし、他の入れ歯を用意したものの、それには見向きもしない。

動物と話せるというアメリカ人女性に、犬のそうした行動の理由を聞いてみるという番組構成だ。
紹介されたトイプードルの行動はどこに問題があるのか、パソコンをしながらのチラ見だから、明確には定かではないが、犬と対話したアメリカ人女性は、おおよそ次のような点を指摘した。

・自分(犬)が入れ歯を持っていった時には、おばあちゃんは出掛けないということを事を覚えている。
・おばあちゃんの入れ歯には、おばあちゃんの匂いがしみ込んでいて、それが好き。
・他の入れ歯では、本物の食べ物と食品サンプルくらい違いがあり難しい。
・犬の歯の両側にある左右上下の尖った歯におばあちゃんの入れ歯がうまく嵌り込むらしい。

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ペットの問題行動にはいろいろあるが、入れ歯を咥えて離さないという犬には仰天した。

人間の言葉がしゃべれないけど、よく見ていると、人間の言葉を理解しているし、人間の感情を理解し、彼は彼なりに自分の感情を表現している。

人間にもさまざまな欲求や思いがあるように、犬にも欲求や思いがある、と私は思う。

食事が遅すぎるか、早すぎるかによって犬の心は騒ぐだろう。
おやつにはビスケットよりもジャーキーの方がいい。
ちゃちなおもちゃよりも、たくさんのぬいぐるみがいい。

そのときそのときの犬の心の動きを理解してやりたい、というのが飼い主の気持ちだ。
とは言うものの、犬の気持ちなど容易に読みきれるものではない。

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↑道頓堀戎橋で見かけたペット。

2020年1月25日 (土)

過去ブログを読んで再び八木重吉

時々、自分のブログをじっくりと読んでいる。
過去に書いた記事に改めて考えさせられること、継ぎ足して書きたいことが出てくる。

2019年9月16日 (月)に書いた「秋は、これから」で取り上げた八木重吉の詩について、その続きを少々。

八木重吉の詩に、「死」という言葉が頻繁に使われているということで「風が鳴る」と「柿の葉」を取り上げた。
死をどのように認識するかということは、個々人によって違いがあると思う。

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平成最後の月、4月に実弟を亡くした時に思ったことだが・・・
自分があるものを失った場合、失われたものへの愛惜と共に、事の重大さに今更のように気付かされる。

それと同様に、死を意識した人の目には、周りが新鮮な様相を呈して輝いてくるもののようだ。
二度と取り戻すことのない生への自覚は、同時に二度と見ることのできない周りへの凝縮に繋がる。

自らに残された生の短さに愕然として気付き、周りのものがすべて懐かしく、いとおしいもの、美しいものになってくるのだろう。

そこには、昔からある日本人の死生観(死を自然なものとして受け止めようとする考え方)がある。

つまり、死は生の延長であり、死が生に比べて見劣りする世界だという考えは微塵も存在しない。
したがって、死は決して不吉なものでもないという認識の上で、どこまでも生が肯定されるべきものであるはずだ。

では、八木重吉の捉える死はどうであろうか……

もう一度、「風が鳴る」と「柿の葉」そしてもう一つ「断章」を見てみよう。

とうもろこしに風が鳴る
死ねよと 鳴る
死ねよとなる
死んでゆこうとおもう(「風が鳴る」)


柿の葉はうれしい
死んでもいいといったような
みずからをなみする
そのすがたのよろしさ(「柿の葉」)


もえなければ
かがやかない
かがやかかなければ
あたりはうつくしくない
わたしが死ななければ
せかいはうつくしくない(「断章」)


三作とも明らかに死を肯定し、心を飾らずに言葉にしている。

とうもろこしや柿の葉に死への親近感を見いだし、自分が死ななければ世界は美しくないと詠うには、生からの逃避が伺われ、生への肯定はない。

病に明け暮れた中での現実からの逃避なのか・・・
彼がすでに死を意識し、受け入れる心境に到達しているからであろう。

病に打ち勝とうとする心を捨て、死を美しいものとして受け入れようとすることこそが、彼の心を平安にさせたのかもしれない。

こういう境地は信仰から来るものだろうか。

彼はキリスト教の信者であった。
明らかに信仰の心から詠われたと思われる作品も多い。

しかし、キリスト教の精神は、死は生によって克服されるべきものではなかったのか。

八木重吉の詩をどのように読むのか……死を美化し、生から逃避するのは、果たして病に苦しむ人にとって心癒されるものだろうか疑問だ。

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2020年1月24日 (金)

飼い犬のおかげで早朝散歩

昨晩は珍しく早く寝たし、ぐっすり寝たつもりだが眠い。
多分、8時間以上は寝ている。
睡眠過多による脳機能低下なのかもしれない。

このまま寝続けたいところだが、飼い犬のおかげで朝の散歩は欠かせない。
寝ぼけ眼をこすりこすりつつも、犬のリードに引かれ散歩の道は進む。

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2020年1月23日 (木)

いいおおせて何かある

「いいおおせて何かある」は芭蕉の言葉である。
俳句における心得は余情、余韻を残すことで、説明に尽きたような作品はダメだということ。
政治の世界では、これは通用しない。

以下、中日新聞「中日春秋」(2020/1/21 紙面)からの引用。

弟子の編んだ撰集(せんしゅう)に芭蕉(ばしょう)が疑問を呈した。なぜこの句が載っているのかと。<下臥(したぶ)しにつかみ分けばやいとざくら>。巴風という人が詠んだ発句という。弟子の去来は答える。「しだれ桜が満開に広がっているさまをよく言い尽くしているではありませんか」

▼芭蕉が答えていわく。<いひおほせて何かある>。言い尽くしたとして、それがなんになるのだと。余情、余韻の美学を表現した言葉は、俳諧論書『去来抄』に伝わる

▼言い尽くさない美徳があるのは句作の世界である。政治の世界は逆だろう。例の「桜を見る会」の疑惑について、ひと言でもあるかと興味を持って聞いたが、ない。安倍首相の施政方針演説である

▼カジノを含む統合型リゾート(IR)の汚職事件に関してもそうだった。不都合な話題はほとんど触れられていない。野党に材料を渡したくないという配慮もあるのかもしれない。「説明してなんになる」といっているようではないか

▼内閣の基本政策を語る演説にそぐわないという理屈もあろうか。ただ、世論調査によれば、桜を見る会の疑惑で大半の人は説明が足りないと考えている。IR整備への疑問も膨らんでいるという。多くの人が「言い尽くす」ことを望んでいるはずだ

▼この先、疑惑について説明し尽くすという意欲はどうも感じられない。今年の国会の第一句というべき演説の余韻である。

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後ればせながら、1月20日に行われた安倍総理の施政方針を首相官邸ホームぺ―ジで見た。
次々と虚飾の自慢話、夢のような施策が飛び出すし、美辞麗句のオンパレード。

地方創生ということで若者の起業を積極的に促した結果、東京から島根県に移住した若者の成功例として実名を出して紹介していた。

ところが、この男性はすでに仕事をやめて転居していたという。
施政方針演説 “成功例”のはずがすでに・・・

本人に事実確認も了解もとらずに、首相が実名を上げて施政方針演説で日本中に広げてしまった。

安倍政権は、問題が起きると「個人情報だから回答を差し控えたい」と拒否するが、支離滅裂、やりたい放題のご都合主義も良いところだ。

桜を見る会や、逮捕者を出したIR問題、閣僚辞任には一切触れていない。

安倍さんにとっては、事実なんてどうでも良いことらしいが、国民は騙されてはならない。

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2020年1月22日 (水)

夢うつつ老体のわざ

年をとっても、これから先の夢とか願望があるわけで、NETの中で夢を見たり、夢の中で夢を見たり、その夢が理解できなないまま、現実と仮想との間を行きつ戻りつしている。

理解できない夢は、開封できなかった手紙のようなもので、それが貯まりに貯まると、比較的長く続いたオマージュがプツンと切れることがある。

何であれ、クヨクヨと特定なことにこだわっているのは、生き方としては下の下だろう。

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(メモ)今日の一日はこうだ。

◆今日(1/21)の未明から明け方がたにかけて、南東の低空で細い月と火星が接近して昇るというので待ち構えたが、月齢25.9の二十六夜の月は見えたものの、火星はどこ?
昨年12月のふたご座流星群を見るために、スマホに『星座表』というアプリを入れたが、設定ミスなのか火星が確認できなかった。
諦めて早朝の犬散歩。

◆スポーツクラブ
 ・ヨガ 10:30~11:30
 ・マッサージチェアでマッサージ 18:00から約25分(アクトスコース、ストレッチコース)
 ・ランニングマシーンでランニング 18:30~7:00
 ・ヨガ  19:15~20:00

スポーツクラブと自宅を行ったり来たり。

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2020年1月21日 (火)

食べて、見て、立ち去る

以前、V.S.ラマチャンドラン、サンドラ・ブレイクスリー共著 山下篤子=訳『脳のなかの幽霊』の中に書かれている、腕を失ったり、脳の一部を損傷した人たちだけが経験する特異な症状から、脳に知覚されるという幻肢について書いた。

そうした特異な症状から脳の働きのメカニズムを読み解いていくという内容の本だが、笑いのメカニズムについても書かれている。
その中でジョークのことが取り上げられているが、その一つを紹介する。

ある男がカリフォニアのとあるトラックサービスエリアの食堂で昼食をとっていると、突然ジャイアントパンダが入ってきてハンバーガーとフライドポテトとチョコレートシェイクを注文した。パンダは座って注文の品を食べ、立ち上がると、数人の客の方を見て、ドアから走り去った。
男は仰天したが、ウエイターは平然としている。
「いったいどういうことだ」と男が聞くと「ああ、別に驚くことはありませんよ」とウエイターは答えた。
「辞書で<パンダ>のところを見てご覧なさい」
そこで男が図書館に行き、辞書でパンダを調べると、こう書いてあった。
「大型で白と黒の毛におおわれた動物。中国の多雨林に生息する。若枝や葉を食べる[It eats shoots and leaves.食べて、見て、立ち去るという意味にもとれる]」

この話がなぜ面白いのか・・・
ジョークやおもしろい挿話は、次のような論理的構成から成り立つているのだそうだ。

聞き手を惑わして間違った予想の方向に誘い、少しずつ緊張を高める。
そして最後に、先の情報を根本的に解釈しなおさざるを得ない予想外のどんでん返しをする。
しかも新しい解釈は、全く予想外であるにも関わらず、もともと予想されていた解釈と同じくらい、事実全体を意味のあるものにする解釈であることが不可欠ということだ。

この論理的構成は理解できるが、要は聞き手がそれを見抜くことが出来なければおもしろくも何でもない話になってしまう。

上に紹介した話にユーモアを感じるか?

こうした笑いのメカニズムを培うと、新しい情報に照らし再解釈する能力が出来てくるということだ。
つまり、発想の能力が出来上がってくる。

正直にいうと再々読しないとよく理解できない。

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2020年1月20日 (月)

まるで犬がマーキングしているようだ

  1. 行く雲や犬の駆け尿村時雨   芭蕉(六百番俳諧発句合)
    (ゆくくもや いぬのかけばり むらしぐれ)

雲が速く流れて時雨が来たり去ったり又来たり。まるでその度に、犬がそこらの板塀にオシッコをかけて行くみたいだ。村時雨の襲来を天から犬が放尿しているととらえた談林風。しかし、なんともいえないリズム感のよい句である。
芭蕉俳句全集より)   


「談林風」とは
大坂の西山宗因を中心に延宝年間(1673~1681)に盛行した俳諧の一派。また、その俳風。貞門一派の伝統的な方式に対し、奇抜な俳風で自由な表現形式をとった。蕉風 (しょうふう) が興るとともに衰退。(goo 辞書)

「村時雨」とは、雲行きが怪しくなり、突然、雨が降ったり止んだりする様子。
それが、まるで犬がマーキングしているようだ、と「村時雨」を犬の小便に例えたのだろう。

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犬と日本人とのつき合いは古く、文学作品にもさまざまなかたちで登場する。
なんでも日本で犬が飼われるようになったのは、縄文時代らしい。

岐阜大学の田名部 雄一名誉教授によれば「縄文人の生活の中心は狩猟採取でしたから、イヌを猟犬として使っていたと考えられます。」とある。
(アットホームの機関紙『at home TIME』より)

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犬は自分の情報を知らせるために、しばしば電信柱に片足をあげてオシッコを引っ掛ける。
自分の行動範囲を記して、再びそこに戻ったときに安心するためでもある。

その上、そこに掛けられた仲間の臭いをかぎ、どこどこに盛りの付いた犬がいるとか、仲間の情報の的を絞るのに都合がいい、という意味がある。

オシッコに含まれている性ホルモンで性的状態がわかるということだし、前立腺分泌物で個体もわかるらしい。

ところが片足を上げてオシッコをするのは雄で、雌の場合は腰を落としてするのが一般的だ。
これは体の構造上の問題もあるのだろう。

雌は雄のように勢い良く飛ばすことが出来ない。
片足を上げたのでは、それこそ脇腹の方に垂れてしまう。
清潔好きな雌犬は、それを避けているのかも・・・。

我が家の飼い犬トイプードルは、おしっこの後、足で地面を蹴る(?)ような仕草をする。
これにはさまざまな説があるが、一つには、犬の祖先は糞に土を掛ける衛生的な習性があったというのがある。

ペットとして飼われるようになり、その習性も薄れてきたとか言うが、祖先のなごりが未だにあって「ふり」をしているのかも知れない。
いずれにしても、犬に聞いてみないとわからないから、犬語でも勉強して聞いてみようかな(笑)

 

2020年1月19日 (日)

さりげなく出掛け、さりげなく帰宅

幼児が親に対して精神的依存度が高いと、一時も離れられない病的な状態になることがあるが、犬の場合もそうした問題行動を起こすことがある。

こうした状態を「分離不安」というそうだ。
例えば、出かける時に、犬に対して、ついつい「じゃぁ、行ってくるよ。」とか、声掛けをしてしまいがちだが、犬は少しの時間でも飼い主がいなくなると不安になる。

こうしたパターンが続くと、吠えたり、排尿排便の粗相をしたり、家具を壊したりする。
これは飼い主が家を空けるときに、犬は自分が一人(一匹)で留守番をしなければならない、と分かってくるようになり、精神不安になるわけだ。

私は出かけるときに、飼い犬に外出の言葉を掛けないようにしている。
帰宅しても無視を通している。
一見冷たいヤツだと思われるかもしれない。
これが功を奏しているかどうかは分からないが・・・。

さりげなく出掛け、さりげなく帰宅。
普段と変わりない状態にしておくのが一番良い。

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2020年1月18日 (土)

書くに事欠いて脱糞

木の葉ふるふる野糞する
落葉ふみわけほどよい野糞で

上の二句は共に種田山頭火の句である。

句作をしながら旅に暮らした山頭火らしく、旅の情景が思い浮ぶ。

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便の種類にも硬便、軟便があって、誰でもがそのどちらを定期的に排泄するわけで、これを汚いものと拒否しては生きていけないわけで、人間生活必定の最低辺なりとでも言っておこうか・・・。

脱糞することによって健康が維持でき、ピカピカの肌が出てくるなら、これは結構なことである。

夏目漱石の『草枕』(一)のなかに、「芭蕉(ばしょう)と云う男は枕元(まくらもと)へ馬が尿(いばり)するのをさえ雅(が)な事と見立てて発句ほっくにした。余もこれから逢う人物を――百姓も、町人も、村役場の書記も、爺じいさんも婆ばあさんも――ことごとく大自然の点景として描き出されたものと仮定して取こなして見よう。」

とあるように、見よう次第でどうにでも見立てが付く。

オードリー・ヘップバーンはティファニーで朝食をだった。
私は、薄汚いキッチンで朝食を・・・お後はラバトリーで脱糞を。

トイレはラバトリーに雪隠、厠、西浄(不浄、改め)など呼び名が春の花のように美しいではないか。
この呼び名の如く、脱糞する私の心も豊かになる。

さしずめ今日の私は、そこに花一輪を飾って春を愛でる。

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2020年1月17日 (金)

裸眼では気づかない

出掛けた時に、その場所、その時間の空気を思いつくままデジカメで撮っていたものだが、最近はデジカメを持ち歩くのも面倒でスマフォ撮影にしている。

ところが近頃のスマフォはカメラ機能が高性能のだから、自分の顔を撮ってパソコンに取り込むと、普段、裸眼では気づかないようなシミ、シワまでがバッチリと映し出される。
これは、何とかしないと・・・

ネットで話題になっている美容方法をいろいろ試しているが、効果を期待する以前に根負けしてしまう。

最近では、手っ取り早く皮膚科でシーピー配合顆粒(ビタミンCとパントテン酸カルシウムの複合ビタミン剤)とトラネキサム酸250㎎を処方してもらっている。

ついでに勧められたのがハイドロキノンクリーム。
このクリーム、効果のほどはともかく保健適用外で5g2800円。
高いし、ここらでやめようかな・・・。

人間は外観じゃないんだ。

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2020年1月16日 (木)

話題性豊富な二人

第162回芥川賞が「背高泡立草(せいたかあわだちそう)」の古川真人さん(31歳)に決定した。
直木賞は川越宗一さん(41)の「熱源」に決まった。

前回(第161回芥川賞・直木賞)は共に女性が受賞し話題性があったが、今回は共に男性の受賞だ。

今回の古川真人さんも、経歴から見たらかなりの話題を呼ぶだろう。
大学を2年生で中退(在籍は4年間)、その後6年ほどはひたすら寝転がっているような生活(本人インタビューより)を送っていたようだ。
それにしても、何度も芥川賞の候補になっている。

2016年、「縫わんばならん」で第48回新潮新人賞
2016年下期、第156回芥川賞候補「縫わんばならん」
2017年上期、第157回芥川賞候補「四時過ぎの船」
2017年度、第31回三島由紀夫賞候補「四時過ぎの船」
2019年上期、第161回芥川賞候補「ラッコの家」
2019年下期、第162回芥川賞候補「背高泡立草」

6年間は無職だったようだが、今は歴とした小説家だ 。

背高泡立草とは、河原や空き地などに群生する黄色の小さな花を多く付けた「要注意外来生物」のことだが、「背高泡立草」というタイトルと、作者の経歴とに違和感を感じるが読んでみないと何とも言えない。

Seitaka

直木賞の川越宗一さんもユニークな経歴の持ち主で、大学在学中にバンド活動に目覚めて中退を余儀なくされたという。
その後はフアッション通販のニッセンの公式ツイッターの情報発信担当で、ニッセンの ツイッター人気が上昇していったとか。

2018年に歴史小説『天地に燦たり』(文藝春秋)で第25回松本清張賞を受賞しデビュー。
今回受賞の「熱源」はアイヌ人の物語ということだ。

Takasu

名古屋の朝日カルチャーセンターで小説の勉強をしていたとき、老人ホームをテーマにした小説を書いたことがある。
原稿用紙40枚程度書いて挫折した。
講師の先生に「上っ面をなでているだけ・・・」と酷評された。
私には上っ面のイメージしか湧いてこないのだ。
イメージが貧困なのは、自分の中に蓄積されたものが乏しいからである。
平凡な主婦は社会性にも欠ける。
万人が読んで、感動し納得するようなイメージは湧いてこなかった。

村上龍がエッセイに書いていた。
『私は「異物による依存」を経験していない小説家を軽蔑する。異物とは、例えばアルコールであり、薬物であり、精神分析でいうところの快感原則を打ち破るものである。・・・(中略)小説においては、ことばは、ざわざわと震える細胞からのみ発せられなくてはならないのである。』(『村上龍全エッセイ』講談社文庫)

私には異物による依存はないし、今後もそういうものに依存する気もない。
このまま駄文を書くだけで終わりそうだ。

2020年1月15日 (水)

制御不能に燃えている

森林火災の恐ろしさと言っても、目の当たりにした事もないからピンと来ないが、オーストラリアで昨年9月に始まった火災で2000軒近くの家屋が破壊され、少なくとも25人が死亡。数億匹の動物が犠牲になったとみられている。(1/8時点の情報)
それが、未だに猛威を振り続けているという事だ。

美しい松林が、広がる山々が、ほとんど焼けてしまうという風景は想像に絶するものだろう。
オーストラリアで山火事は珍しいことではないようだが、今回は雨が例年の半分と記録的に少なく、大地と草木がカラカラに乾いているこで大惨事になったようだ。

しかし、この火事でなんとも心の痛むのは、その原因が放火によるところが多いということだ。
警察当局によって、オーストラリア全体で200人近くの人が放火容疑で逮捕されたという報道もある。

以下「Summit News」 2020/1/6投稿記事よりリンク、引用、独断と偏見で訳してみた。

気候変動を理由づけに、意図的に山火事を起こしたとして、オーストラリア全体で200人近くが逮捕された。
それでも、メディアと著名人は「気候変動」を非難し続けている。

この森林火災は少なくとも18人の死者を出し、数千の家屋、数百万ヘクタールの土地を破壊し、数億の動物が死んでいる。

報道機関AAPが明らかにしたところによれば、この火災に関して、過去数ヶ月にわたって、ニューサウスウェールズ州クイーンズランド州、ビクトリア州、南オーストラリア州、タスマニア州で警察により逮捕された人の合計は183人に上る。
ニューサウスウェールズ州では、放火で24人が逮捕され、最大25年の禁固刑が科せられた。
クイーンズランド州の警察管内では103件の火災が故意に放火され、98人(うち67人は少年)が犯人と特定されたと結論付けた。

ブライトバートのサイモンケントの報告によれば、「放火犯と毎年夏にオーストラリアを荒廃させる致命的な火災との関係はよく知られており、文書化もされている。学校の休暇期間中に意図的に山火事が起こる割合は急速に増大している」とある。

Bushfire and Arsonの国立研究センターの共同ディレクターであるPaul Read博士によると、山火事の約85%は故意または偶然に発生したものとし、「約85パーセントが人間活動に関連し、そのうち13パーセントが放火によるものと確認されており、37パーセントに放火が疑われた」と述べている。
「残りは無謀な焚火、または火遊びの子供たちによるものだ。」としている。

また、学校の休みと火事との関係を強調し、「学校の休暇の火災発生が最も多いが、それも特に夏の間に」と強調した。
「警察は現在、この山火事よって引き起こされた荒廃の多くを非難し、放火を前提として捜査に取り組んでいる」と7 News Sydneyは報告している。

森林所有者が寒い時期に可燃性の地面を制御された方法で焼き払う、「規定の燃焼」を制限する新しい環境政策も問題を悪化させた。

オーストラリアのこの山火事が意図的に行われたものであり、人工気候変動とは何の関係もないという事実が判明したわけだが、支配層は、それでもなお、気候変動を非難している。

先週、バーニー・サンダース(米国の政治家)は、「気候変動に対する行動を遅らせている」とし、人々を、「荒れ狂う山火事のためにオーストラリアの空を、血のように赤く、呼吸困難な空気にした」と非難した。

また、オーストラリア生まれの女優ケイト・ブランシェットは「 1つの国が気候災害に直面している時には、私達すべては気候災害に直面している。」と、気候変動を非難している。

二酸化炭素の大量排出が地球温暖化の原因として、二酸化炭素ばかりに罪をかぶせて「エコ、エコ」と叫んでいるが、オーストラリアの史上最悪の森林火災が、放火を含む人為的なものだと知り、何とも複雑な気分になる。

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2020年1月14日 (火)

ホットアイマスク

長い間、目から感情のない涙が出る。
花粉症か? 
いや、そういうアレルギーはない。

パソコンのやり過ぎ、特に電子図書での読書が多いので、ディスプレイの光も相まって、目がしょぼしょぼするのだ。
ドライアイになった目をかばっているのだろう。

こういうときは、目薬をさして目を休めるに限ると思っていたが、これではドライアイが改善されないどころか、かえって症状を悪化させてしまうことがあるようだ。

蒸気のアイマスクが良いというので、「めぐりズム」を試したことがあるが、コスパが悪いので、繰り返し使えるという「ホットアイマスク USB アイウォーマー 電熱式」をAmazonで購入した。

温度調節は勿論のこと、タイマー設定ができる。
早速使っているが、「目を温め、睡眠改善、眼精疲労の回復、血行促進、目の周りへの美容効果、理療の効果など、オフィスワーカー必須のアイテム」とのキャッチコピーの通り、目のしょぼしょぼが大分改善されたような気がする。

Eye-mask

2020年1月13日 (月)

新成人に会う

今日1月13日(月)は成人式。
一昔前まで、成人式は1月15日で固定していた。

それが2000年のハッピーマンデー制度導入により、1月第2月曜日に変更された。
変更されてすでに20年にもなるのに、年によって成人式の日取りが変わるのには何となく違和感を覚える。

今日は、各地で華やかに着飾った初々しい新成人たちに出会うだろう。

各自治体によっては、式典の開催日が違うようで、私の住む市は昨日「成人式式典」が行われたようだ。
買い物の途中、成人式を終えて市のホールから出てきた新成人たちに出会った。

Seijin

見るからに真面目そうな新成人ばかりで、数年前まで目立った、茶髪に紋付袴、金髪に振袖のペアがタバコの煙を吐きながら闊歩する姿など、どこにも見当たらなかった。

昨年の民法改正で、2022年4月から成人年齢が18歳に引き下げられるから、18歳の成人式となるわけだ。
選挙権年齢は既に18歳からになっている。

親の同意なくとも結婚できるようになるし、高校生夫婦だってできるわけだ。
ところが成人年齢になっても、飲酒と喫煙、競輪や競馬などは禁止とのこと。

かなりちぐはぐな成人扱いになってしまう。

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2020年1月12日 (日)

111ゾロ目のバースデー

胃腸風邪というやつでしょうか

出だしは咽痛だけだったのですが

あまりにも不摂生が続くもので

吐き気、腹痛、下痢と三拍子揃いました

これはいけませんね


倦怠というやつでしょうか

あまりにも体がだるいものですから

不消化に出たものを取り戻そうと

ちょっと厚めのステーキを食べました

また、惜しげもなく出て行きました

これはいけませんね


ナルコレプシーというやつでしょうか

ちょっと怠けて横になったら

すっかり眠りのとりこになりました

これはいけませんね

 
シナプスの抵抗値が高いというやつでしょうか

ちょっとのんびりしていたら

インプルスがスムーズに流れていきません

どっぷり自分の殻につかってしまったようで

分泌液が少ないのです

これはいけませんね


胃腸風邪というのは思い込みですから

倦怠というのは思い込みですから

ナルコレプシーというのは思い込みですから

シナプスの抵抗値が高いというのは思い込みですから


ちょっとコーヒータイムにします

目を覚まさなければいけません

Steak

  

2020年1月11日 (土)

ゾロ目の日

1月11日、111・・・ぞろ目。
ヤフーショッピングではゾロ目の日クーポンがあるようだ。
ちょうど私の誕生日でもあるので、自分へのプレゼントにちょっと覗いて見るつもりだ。

また一つ年を重ね、生まれた日から今日で28124日を経過したことになる。
この間の俗塵を、暮れの大掃除と一緒に一気に払おうと思った。

磨けばピカピカ肌が出てくるような生き方をしたいと思ったのものだが、そうは簡単にはいかない。
懐かしいものや未練で、生きるに価する切なさがこみ上げてくるのだ。

誰かが言っていたのを覚えている、「人生前半の主題は自立や独立をめぐるものであり、人生後半の主題は老いや死をめぐるものだ」と。

人は容易に大人になり、容易に老いや死を迎える。
これは悲劇なのだろうか・・・。
48歳の若さで亡くなった寺山修司は、『老いや死の悲劇を「大人になってしまった私」から私自身が復讐されるという復讐劇』と言った。

人は誰でも不純な部分を持っており、それを暴くことで、全人間としての無常を感じなければならない、と彼は教えているのだ。

今まさに、私は人生後半の中にいる。
いよいよ玄冬に入る自覚をしなければならない。

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とある誕生日の経過日数

 

2020年1月10日 (金)

昨日に続き情報から

以前にも書いたが、今の時代にも通ずるものがある ので宮沢賢治の詩を再び 

あっちもこっちも

ひとさわぎおこして

いっぱい呑みたいやつばかりだ

羊歯の葉と雲

世界はそんなにつめたく暗い

けれどもまもなく

そういうやつらは

ひとりで腐って

ひとりで雨に流される

あとはしんとした青い羊歯ばかり

そしてそれが人間の石炭紀であったと

どこかの透明な

地質学者が記録するであろう

(草野新平編『宮沢賢治詩集』「政治家」より)

Hananomi  

新年も国内外波乱の幕開けで問題が山積みのようだ

◆中東関係

イランの最高軍事指揮官ソレイマニ司令官がトランプ大統領の命令によって殺害された。
その報復として、イランは8日未明、イラン米軍基地など2拠点を十数発の弾道ミサイルで攻撃したとのことで緊張が高まった。
アメリカのSNSは大騒ぎとなり、ツイッターでは「#第三次大戦」がトレンド入りし、若者は徴兵を恐れてパニックになったという。

その後のトランプ大統領発言「素晴らしい軍事力と装備を持つからと言って、その力を使う必要もないし、使いたいわけでもない」と強調し、軍事力に報復をしない考えを示した。
これにより、とりあえず軍事攻撃を回避出来て良かった。

安倍首相の中東3か国訪問が、現地の情勢で延期するとされていたが、トランプ大統領がイランへの軍事攻撃に否定的な考えを示したことを踏まえ、一転予定通り実視される見込み。

河野防衛大臣は今日(10日)、「護衛艦1隻と哨戒機2機の派遣を命令することにしていて、哨戒機部隊は11日、日本を出発し、今月中から情報収集にあたる」と発表した。

日本政府は昨年末、国会の議決を経ずに中東への自衛隊派遣を閣議決定で決めている。

米国が求める「有志連合」に自衛隊は参加しない、日本独自の判断だと強調しているものの、戦闘に巻き込まれる危険は否定できない。
だったら、派遣を見合わすとか、しばらく様子をみるという判断もできたはずだ。


◆IR収賄疑惑の議員名が判明

カジノが中核となるIRがらみで、中国企業から献金を受けていたとして自民党の秋元司氏が逮捕されたが、これに関連して、5人の名前が挙がっている。

これは中国企業側からのものだが、自民党はトランプ大統領を支援する米カジノ経営者からの要請も受けていたようで、日米カジノ利権があるのでは・・・。

逮捕された秋元議員が朝日新聞の取材に対し、「中国企業なんて相手にしてないよ、こっちは。正直言って米国の企業の方がたくさん来てる」と答えていた。
まさに、これこそが核心部だろう。

◆昨日に続きゴーンさん関係

毎日新聞によれば

安倍晋三首相は8日夜、キヤノンの御手洗冨士夫会長らと東京・銀座の日本料理店で会食した。金融商品取引法違反の罪などで起訴され、レバノンに逃亡した日産自動車前会長のカルロス・ゴーン被告についても話題になった。

同席した自民党の河村建夫・元官房長官によると、ゴーン被告の記者会見も話題になり、首相は「本来、日産のなかで片付けてもらいたかった」と語ったという。【竹地広憲】

銀座の高級料理店で美味しいものを食べていると、心も緩むらしい。
本音がポロポロと出てしまった。
これでは日産に頼まれてゴーンさんを捕まえた、と言っているに等しい。

お粗末なのが森雅子法務大臣で、「ゴーン被告人に嫌疑が掛かっているこれらの経済犯罪について、潔白だと言うのなら司法の場で正々堂々と無罪を証明すべきである」との発言。

なんで被疑者が「無罪を証明」をしないといけないのか、ゴーンさんはそれが出来ないと判断したから逃亡したわけだ。

◆モリカケ桜を見る会は終わっていない。

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(メモ)3:30からアクトス「サルサ」レッスン

2020年1月 9日 (木)

情報から

昨夜、テレビ朝日「報道ステーション」のカルロス・ゴーンさんの会見を一部観ていた。

コメンテーターとして呼ばれた高井康行弁護士(元東京地検特捜部検事)の態度の悪さに唖然とした。
ああいう態度で取り調べてきたのだ。

ゴーンさんの言う「人権を無視した人質司法」「有罪率99.4%の司法制度のもとにおかれた。有罪を確実にする法律のなかで逃れる必要を感じた」との説明に納得できるものがある。

不正出国は確かに事実だけど、そもそもの経緯は何だったのか、まだよくわからないところがある。
ゴーンさんには、日産をここまでに建て直した自負があるだろう。

昨日の会見で、検察にゴーン逮捕・起訴を命令した政府関係者の実名を出すのではないかと言われていたが、それは控えられた。
今後、証言してくれると期待している。

ゴーンさんも言っていたが、日本では検察が起訴すれば99%有罪だという現実がある。

それについて高井弁護士は、それだけ慎重に取り調べているということで誇るべきことだと、踏ん反り返って言い放っていた。

ならば、森友問題の件で籠池さんだけを罪に問うやり方をどう説明する・・・?
実際に詐欺を働いたのは財務省、国交通省、大阪維新ではないか。

検察側の筋書きに沿った言い分だけをメディアに報道させ、一方で司法に囚われたものには何ら反論をさせない。
日本の刑事司法は中世だと言われても仕方がない。

それにしても昨夜のテレビ朝日のニュースステーションはコメンテーターが悪かった。
今日の各局ワイドショーも似たり寄ったりで、ゴーン氏の主張に異議を唱える方向で番組が進行している。

これが“公正な報道”と言えるのか?

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(昨日の備忘的メモ)

朝方は横殴りの雨で、そんな中病院に出掛けた。
6カ月に1度の検診の日だ。

私はC型肝炎で「ハーボニー」の治療を受け完治しているが、6ヵ月に一度、定期的に血液検査と腹部エコー検査を受けている。
エコー検査は腹部にゼリーを塗られて、プローブという機械を身体にあてて観察される。

このエコー検査でいつも思うことは、息止めの繰り返しが苦しいことだ。

息を吸ったり、吐いたりした状態で息を止め、腹の中央辺りからゆっくり右の脇腹に行って、また中央へとプローブが動いていく。
こんな繰り返しで、息止めが長いとむせかえる。

ヨガで鼻呼吸に慣れているつもりでいるが、いつも自分のペースで呼吸しているのか、指示通りに呼吸するのは辛い。

Oasis

2020年1月 8日 (水)

どのような事情があったのか、残念でならない

1/6の中日新聞夕刊記事に元衆院議員の三宅雪子さんの突然の訃報が載っていて驚いている。

東京都内の屋外で数日前、三宅雪子元衆院議員の遺体が見つかっていたことが捜査関係者への取材で分かった。
自殺した可能性もあり、警視庁が経緯を調べている。

三宅さんは「小沢ガールズ」として民主党(当時)で活躍されていた時期があったが、議員を離れてからもSNSを通じて憲法や原発、消費税等について積極的に活動を展開されていた。

元労相の石田博英を母方の祖父に持ち、元外交官の三宅和助を父に持つという血筋ながら「頑張れない人に寛大な世の中」をという、人権についての三宅さんの鋭敏な感性が私は好きだった。

フェイスブックでひょんなことからフォローし、フォローしてもらっていた。
とは言うものの、三宅さんの投稿記事に「イイね」を付け、たまに応援のコメントを付ける程度のことだったが・・・。

昨日、放置状態にしていたフェイスブックを開いてみたら「今日は三宅雪子さんとの友達記念日です。」との画面が飛び出してきた。
放置状態のままだったから、よくよく見れば「2019/11/07」ですね。
慌て者の私の早とちりでした。

それにしても、どのような事情があったのか、まだ真相は不明だが残念でならない。

三宅雪子さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます

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2020年1月 7日 (火)

無病息災というわけにはいかないが

一とせに一度摘まるる薺(なずな)かな   芭蕉(泊船集)

元禄7年1月7日、七草粥の朝。

ナズナは春の七草のペンペン草。
「誰々の歩いた後にはぺんぺん草も生えない」などと悪口をつくときに使われる強い生命力の象徴。
他の菜であれば何時と日が定まっているわけでもなく摘み取られるが、この薺だけは一年に一度この朝七草粥として食卓に上る。
春の到来とナズナへの愛惜を一句にまとめた嘱目の句。
なお、芭蕉にはナズナに関してほかに次のような句がある。

四方に打つ薺もしどろもどろ哉

古畑やなづな摘みゆく男ども

よく見れば薺花咲く垣根かな

芭蕉発句全集

お正月気分がまだちょっと残っているが、今日は「松納め」で正月飾りを取り払う日だ。
またこの日は「七草粥」を食べ、一年の無病息災と五穀豊穣を祈るとされる風習がある。 

我が家も今朝は七草粥を炊いた。
昨日、購入しておいた七草セットだが、それぞれの名前が違っている・・・かな?

Nanakusa

七草粥で1年を病気もせず健康に過ごせるものなら、と毎年願いを込めて食べているが、なかなか無病息災というわけにはいかない。
とは言うものの、この冬は風邪もひいていないし、これで良しとしておこう。

Kayu

これから寒さがきびしくなる

 

月花の愚に針立てん寒の入り 芭蕉(俳諧薦獅子集)

元禄5年冬。寒の入りとは小寒のこと。
冬至から数えて15日目で一年中で最も寒いとされる時期。
一年中、月よ蝶よ花よと風流三昧の生活をして今日は寒の入り。
この厳しい寒さは、まさに現実そのもの。とても風流などいっていられる寒さではない。
そう言いながらなお寒の入りを風流にしている自分がここにいる。
同じような句として「月雪とのさばりけらし年の暮」がある
芭蕉発句全集

厳しい寒さの中に身を置き、厳しい心で自己反省をしたのであろう。
花鳥風月を愛でて、心が深ければ深いほどそれに執着してしまうが、その一方では自分への厳しい精進の心が覆い隠されてしまっている。
月や花への偏執を断ち切れない気持ちを「月花の愚」とみなし、そうした心を戒めて「針立てん」と、厳しく自己反省している。

昨日は寒の入り、二十四節気の一つ「小寒」だった。

これから寒さがきびしくなりはじめる。
いろんな武道や芸事部門での寒中稽古が始まると思う。
早朝の寒さに打ち勝っての激しい訓練が、技術的・精神的に鍛えられていくのだろう。

私も、芭蕉にならって自己反省?をする。

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2020年1月 6日 (月)

寺か神社か

愛知県内の初詣といえば、熱田神宮に次いで2位の参拝客数を誇っているのが豊川稲荷。

これが京都の伏見稲荷大社、茨城県笠間市の笠間稲荷神社と並んで日本三大稲荷の一つと言われている。(この三大稲荷というのは諸説あるそうだ)
そんなメジャーな豊川稲荷だが、神社ではなくお寺であることは意外に知られていない。

ここには伏見稲荷で象徴されるような赤い鳥居のトンネルはないが、代わりに拝殿右側から奥の院・裏門にかけて、千本幟が奉納されている。

豊川稲荷の正式名は「円福山妙厳寺(みょうごんじ)」という曹洞宗の禅寺である。
本尊は、曹洞宗の禅師・東海義易が宗より伝来したという千手観音。

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豊川稲荷の「稲荷」というからには狐を祀った神社と思われがちだが、境内の鎮守として祀られているのは吒枳尼天(だきにてん)である。

この吒枳尼天は、東海義易の師の寒厳義尹が入宋した折に加護を受けたキツネにまたがった女神使のことで、寒巌自作の「豊川吒枳真天(とよかわだきにしんてん)」を山門の鎮守として祀ったと言われている。

白い狐にまたがった稲穂をかついだ吒枳真天像が「豊川稲荷」の通称で、江戸時代以降から寺全体が「豊川稲荷」として著名となった。

そもそも神社と寺の違いは、神道と仏教の違いである。
神道は古代から自然発生したもの。
仏教はお釈迦様が起こした宗教で、神佛習合という形態をとりながら民衆の中に溶け込んでいった。

明治時代になって、神仏分離令に基づき、妙厳寺にも神仏区別の厳しい取り調べが及ぶが、神道の神社系キツネを掲げているのではなく、仏教の吒枳尼天がまたがるキツネのことであると主張して難を逃れたという経緯がある。

仏法守護の善神である咤枳尼真天が、豊川稲荷という名前で本来の妙厳寺より有名になったのは、江戸時代からの商売繁盛、家内安全、福徳開運の神として、広く庶民の間に広まったことによるもののようだ。

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2020年1月 5日 (日)

犬の散歩でも意識を持って歩けば

今朝は寒かった。
今年一番の寒さのような気がしたが、どうだったか・・・?
明日1月6日は寒の入りになるから、寒の明け(立春の2月4日)までは、こんな状態で寒いのだろう。

寒い中、早朝の犬の散歩はつらいものがある。
犬のための義務と思う散歩だから、ついつい面倒になるわけだ。

たかが犬の散歩でも意識を持って歩けば、何かしら効用はあるだろう。
そう思って、夫の犬の散歩に付いていく毎日だ。

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「則天去私」という言葉がある。

これは夏目漱石の晩年の言葉だが、元々の発祥は仏教の悟りからきている。

「則天」は天地自然の法則や普遍的な妥当性に従うこと。
「去私」は私心を捨て去ること。

広辞苑には、「小さな私を去って自然にゆだねて生きること、宗教的な悟りを意味する」と書いてあるが、エゴを捨て去った、あるがまま、なすがままの境地を言うのだろう。

『「死ぬか、気が違うか、それでなければ宗教に入るか。僕の前途にはこの三つのものしかない」
 兄さんははたしてこう云い出しました。その時兄さんの顔は、むしろ絶望の谷に赴く人のように見えました。
「しかし宗教にはどうも這入れそうもない。死ぬのも未練に食いとめられそうだ。なればまあ気違だな。しかし未来の僕はさておいて、現在の僕は君正気なんだろうかな。もうすでにどうかなっているんじゃないかしら。僕は怖くてたまらない」』
(夏目漱石『行人』⦅塵労 三十九⦆より)

宗教には入れそうもない、自殺はできぬ、狂気にもなりきれなかった彼だが、次第に仏教に傾倒してゆく。
晩年、しきりに語った言葉「則天去私」は、自我を捨て去り、安らかな宗教的境地を得たいという彼の願望からくるものだろう。

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2020年1月 4日 (土)

嫁が君

餅花やかざしにさせる嫁が君 (芭蕉)

延宝年間(30歳~37歳)頃までの間の作。
なお、この時期の制作年次不明のものとして、7句がある。

「餅花」は小正月に飾る繭玉<まゆだま>のこと。
米の粉で作った様々な色や形に作った団子を樫の枝やケヤキなどの枝に挿して飾る。
豊作を祈願して行われる行事であった。そんな繭玉を飾ったところへネズミが現れて欲しがっている。
その姿は、「嫁が君」と言われるとおりなかなかかわいらしい。
「嫁が君」とは、新春に現れるネズミのこと。
(芭蕉発句全集)

季語は 「嫁が君」で、新年正月三ヶ日に現れるネズミのこと。
正月用に飾った花餅の枝を引きずっていくネズミを見て、「嫁が君が、花餅の枝をかんざしとして頭に挿しているよ」と詠んでいる。
ネズミは大晦日の晩に嫁入りするという言い伝えに由来するそうだが、お正月は、人間が捕らえようとしないことを感知してか、人に馴れた様子で、昼間から出てきて忙しそうに跳び回ったり食べ物を漁る嫁が君。

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種田山頭火の『雑記』の中に、正月に当ってその年の抱負が書いてある。
それが実に面白いし、私の今年の抱負と共通するところもあるので思わず笑ってしまった。

今年の私は山村庵居のよろこびに添えて、二つの望みがある。
好きなものは、と訊かれたら、些の躊躇なしに、旅と酒と本、と私は答える。今年はその本を読みたい。まず俳書大系を通読したいと思う。これが一つの望み、そしてその二つは、酒から茶へ転換することである。いいかえればアルコールを揚棄したい、飲まずにはいられない酒を、飲んでもよい酒としたいのです。前者は訳なく実現されましょうが、後者は自分ながらあぶない。そこでまあ出来るだけ割引して、せめて酒に茶をまぜたいと念じている(そんな無分別な考を起すなという悪友もある。じっさい、私にもそんな気がしないでもないのですが)。

余談だが、昨日の中日新聞「中日春秋」載っていたネズミにまつわる話題を一つ。

▼ネコが十二支に選ばれなかったのはネズミからウソの日程を教えられ、十二支の選抜試験に間に合わなかったせいだとか。

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2020年1月 3日 (金)

金運と福を呼ぶ年「庚子」

子の日しに都へ行かん友もがな     芭 蕉(蕉翁全伝)

貞亨2年。『野ざらし紀行』の旅で、2度目の伊賀上野。
年を越して正月。
子の日の遊びをしに都まで一緒に旅をする人がいるとよいのだが。
「子の日」は正月最初のねの日をいう。
古くはこの日に野に出て小松や若菜を「引く」行事。ネノビともいう。(芭蕉DB「芭蕉発句全集」参照

「子の日」が季語で春(新年)
久しぶりで故郷伊賀の春を満喫した芭蕉。
田舎びた故郷の正月の中にあって、子の日遊びに都へ行きたいが、そんな旅を一緒にしてくれる友があると良いのだが、という願望がこの句となったのだろう。
因みに今年2020年(令和2)干支は庚子(かのえね)年で、60年に一度の特別縁起の良い年だ。
この年の1月の最初の子の日は1月10日になる。

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テレビで「箱根駅伝」を観ながら津に住む中3の孫娘とラインでやり取り。
スマホのイヤホンを間違って洗濯してしまい、私が使っていないのを送って欲しいと言ってきた。

彼女と昨日は名古屋で買い物。
孫娘が名古屋で唯一行きたいデパートというのが近鉄パッセ(正式名称は「近鉄百貨店名古屋店」)。
女子中高校生や大学生向けのフアッションビルで1階から7階までのフロアがすべてレディス&雑貨のお店になっている。
そこでお目当ての福袋をゲット。

高島屋では高級ふりかけ錦松梅の福袋をゲット。
錦松梅は孫達のお好みのふりかけで、お土産用に購入。
中身に有田焼の陶器入り錦松梅が入っているのでこれが目玉。
プラス家庭用プラスチック容器入り錦松梅や、小袋の錦松梅等が入って3000円とかなりのお値打ち価格。

次に向かったのが松坂屋で、ここでは孫娘の財布を購入。
アニエスベー(agnes b.)の財布のコーナーで熱心に見入っている。

どれを見ても、私の持っている財布の4倍以上の価格だ。
私はブランド物には全く興味がないし、ブランド物を得意気に持って歩く人をあまり好きでないが・・・

中高一貫の女子中学で自由な校風らしく、特に持ち物に制約もないので、友達の持っているものが羨ましいと感じる年頃だ。
4人兄弟のうちの女子一人だが、常日頃我慢を強いられている様子を見ているので、お正月くらいは私の心と財布も緩む。

今年は高校に進級の年だ。
進級祝いのつもりで欲しいものを買ってあげる、との約束だったから少々奮発したわけだ。
買ってもらえる時に買ってもらい、使える時に使いこなせばいいわけで、あとは 内面を磨いて中身のある人間に成長して欲しい。

一通りの買い物を終え、荷物も多いので飲食店での昼食を止めて孫娘の家に直行。

それぞれにお年玉を渡し、昼食をとったが松坂屋地下で購入したお持ち帰り専門店「矢場とん」の串カツ20本と特大ロースカツ3枚があっという間になくなった。
一人が塾に行って留守だったので残り家族5人プラス私だが、家族が多いということはこういうことかと仰天した。
その夜、泊らずに帰宅した。

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2020年1月 2日 (木)

今も昔も元旦の朝はお雑煮で

餅を夢に折結ふしだの草枕  芭蕉(真蹟短冊一)

延宝9年、芭蕉38歳の作。

貧しい庵の生活は正月が来たからといって特に何もない。
餅は歯朶の飾りに結わえられて、夢の中に現れてくるだけだ。
人生を旅路の草枕と観念したのだから、これでよいのだ。
世俗から離れた芭蕉のニューイヤーリゾリューションだが悲壮さは無い。

今も昔も元旦の朝はお雑煮で 始まる。

我が家のお雑煮は、伸し餅の角に切ったものを焼いて、御汁は鰹出汁にお醤油とお砂糖を少々、具は蒲鉾に白菜という至ってシンプルなものだ。
お雑煮を頂きながら、高齢の夫婦二人の会話は、「よく噛んで、ゆっくり時間をかけて食べるように」だ。

昨日の中日新聞プラスによれば、

名古屋市消防局管内で1日、餅を喉に詰まらせて救助を求める事案が市内で4件。
いずれも60代、70代の男性。
うち3人が病院に搬送され、70代の2人が心肺停止の状態。

というものだ。
年末年始には、餅を食べる機会が増えるので、餅を喉に詰まらせて起こる窒息事故が多いようだ。

Kaco

2020年1月 1日 (水)

目覚めてみれば周囲は明るい

二日にもぬかりはせじな花の春  芭蕉

久々の故郷伊賀上野で迎える年越し。
臍の緒に感動したり、甥や姪たちの話にうち興じたかもしれない。
世を捨てた旅ではあったが、郷里の暖かさに触れてみると緊張も緩んでしまう。
忘年のために旧友達がやってきて呑みすぎた朝寝坊の元日の朝。
貞亨5年元旦の句。

この句の、「二日にも」には解釈が二通りある。
「二日といえども」の意と、「二日もまた」の意である。
『三冊子』では、「この手爾葉<には>は「二日には」といふを、「にも」とはしたるなり。
「には」といひては余り平目に当りて、聞きなくいやしとなり。」として、土芳は後者を支持している。
芭蕉DB「芭蕉発句全集」参照)

「笈の小文」の旅の途中の記に
「旧里(ふるさと)や臍(へそ)の緒に泣くとしの暮」

宵のとし、空の名残惜しまむと、酒のみ夜ふかかして、元日寝わすれたれば、
 「二日にもぬかりはせじな花の春」
とある。

伊賀の生家に立ち寄って「旧里や臍の緒に泣く としの暮」と詠い、故郷の大晦日で周りの‎人々の温かさに気も緩み、ついつい呑み過ぎてしまったようだ。

目覚めてみれば周囲は明るい。
元旦を迎え損ねたが、明日は寝坊しないぞ、と決意している。
Nishiizu

幾霜に心ばせをの松飾り 芭蕉

あけましておめでとうございます

いく度もの霜にあっても芭蕉庵の春は、緑の色を変えぬ松(庭の芭蕉)
その気概に心を寄せ、年頭に当たっての芭蕉の意気込み感じる句だ

私も、この句にあやかって、松の気骨ある心の働きを見習い、気持ちを引き締めきびしくこの年を送りたい

本年も、どうぞよろしくお願いいたします

Oseti

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