2011年4月23日24日の気仙沼

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    気仙沼市唐桑町にの甥一家が東日本大震災で津波の被害に遭遇。お見舞いに駆け付けた時の撮影。

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2019年12月 8日 (日)

サンタクロース

これは2000年に拙ホームページ「オクターブ」 に書いた記事である。
クリスマスにふさわしいので再録してみる。

Momi 去年のクリスマスイブのことです。

一通の手紙が私の元に届きました。

差出人は「San」となっていました。

???・・・いくら考えても、Sanに記憶がありません。

不審に思いながらも、手紙に添えられた美しい幻想的な教会の写真とバックミュージックの「ルドルフ・ザ・レッド・ノーズド・レインディア(赤鼻のトナカイ)」に心が浮き立ったものです。

今日、それを取り出して読んでみました。

手紙には、1898年9月21日ニューヨーク・サン新聞「社説」にのった実際の記事が書かれていました。

この記事を、わざわざ私に送ってくれたSanとは、きっとサンタクロースに違いありません。

今日、再びSanからの手紙を読んで、サンタクロースの存在を強く確信しました。

サンタクロースは、本や良いお話の好きな私に粋な贈りものをしてくれたのですね。

決して豪華な贈りものではないけれども、どこかミステリアスな素敵なお話と、寒くて暗い冬の夜に映える教会ともみの木の幻想的な写真に、遠い昔の子供の頃に戻って、うたかたの夢を見ました。

サンタクロースを見た人は、ほとんどいないでしょう。

でも、私のお友達に、小学校の4年生からサンタクロースと親戚になった人がいます。

親戚になってからは、時々お話するとか・・・

人それぞれのサンタクロースがあるのですね。

ほら!

真っ赤なお鼻のトナカイさんが・・・ソリをひいてやってくる。

耳をすませてごらん!

そりの音が聞こえてくるでしょ。

1年にたった一回のクリスマスはもうすぐそこ。

サンタクロースから、どんな贈り物があるのかな?

5903

きしゃさま
あたしは、八つです。
あたしの友だちに、「サンタクロースなんていないんだ。」っていっている子がいます。
パパにきいてみたら、
「サンしんぶんに、といあわせてごらん。
しんぶんしゃで、サンタクロースがいるという なら、
そりゃもう、たしかにいるんだろうよ。」
と、いいました。ですから、おねがいです。 おしえてください。
サンタクロースって、ほんとうに、いるんでしょうか?
                    バージニア=オハンロン
                    ニューヨーク市西九五丁目一一五番地

Keisen

バージニア、おこたえします。
サンタクロースなんていないんだという、あなたのお友だちは、まちがっています。
きっと、その子の心には、いまはやりの、なんでもうたがってかかる、
うたぐりやこんじょうと いうものがしみこんでいるのでしょう。
うたぐりやは、目にみえるものしか信じません。
うたぐりやは、心のせまい人たちです。
心がせまいために、よくわからないことが、たくさん あるのです。
それなのに、じぶんのわからないことは、みんなうそだときめているのです。
けれども、人間が頭で考えられることなんて、おとなのばあいでも、子どものばあいでも、もともとたいそうかぎられているものなんですよ。
わたしたちのすんでいる、このかぎりなくひろい宇宙では、人間のちえは、
一ぴきの虫の ように、そう、それこそ、ありのように、ちいさいのです。
そのひろく、またふかい世界をおしはかるには、世の中のことすべてをりかいし、すべてを しることのできるような、大きな、ふかいちえがひつようなのです。
そうです。バージニア。
サンタクロースがいるというのは、けっしてうそではありません。
この世の中に、愛や、人へのおもいやりや、まごころがあるのとおなじように、サンタクロース もたしかにいるのです。
あなたにも、わかっているでしょう。
世界にみちあふれている愛やまごころこそ、あなたの まいにちの生活を、
うつくしく、たのしくしているものなのだということを。
もしもサンタクロースがいなかったら、この世の中は、どんなにくらく、さびしいことでしょう!
あなたのようにかわいらしい子どものいない世界が、かんがえられないのとおなじように、サンタクロースのいない世界なんて、そうぞうもできません。
サンタクロースがいなければ、人生のくるしみをやわらげてくれる、子どもらしい信頼も、詩も、ロマンスも、なくなってしまうでしょうし、わたしたち人間のあじわうよろこびは、ただ 目にみえるもの、手でさわるもの、かんじるものだけになってしまうでしょう。
また、子どもじだいに世界にみちあふれている光も、きえてしまうことでしょう。

サンタクロースがいない、ですって!
サンタクロースが信じられないというのは、妖精が信じられないのとおなじです。
ためしに、クリスマス・イブに、パパにたのんでたんていをやとって、
ニューヨークじゅうの えんとつをみはってもらったらどうでしょうか?
ひょっとすると、サンタクロースを、つかまえることができるかもしれませんよ。
しかし、たとい、えんとつからおりてくるサンタクロースのすがたがみえないとしても、それがなんのしょうこになるのです?
サンタクロースをみた人は、いません。
けれども、それは、サンタクロースがいないというしょうめいにはならないのです。 この世界でいちばんたしかなこと、それは、子どもの目にも、おとなの目にも、みえない ものなのですから。
バージニア、あなたは、妖精がしばふでおどっているのを、みたことがありますか? もちろん、ないでしょう。だからといって、妖精なんて、ありもしないでたらめだなんてことにはなりません。
こ世の中にあるみえないもの、みることができないものが、なにからなにまで、人があたまのなかでつくりだし、そうぞうしたものだなどということは、けっしてないのです。
あかちゃんのがらがらをぶんかいして、どうして音がでるのか、なかのしくみをしらべることはできます。
けれども、目にみえない世界をおおいかくしているまくは、どんな力のつよ い人にも、いいえ、世界じゅうの力もちがよってたかっても、ひきさくことはできません。 ただ、信頼と想像力と詩と愛とロマンスだけが、そのカーテンをいっときひきのけて、まくのむこうの、たとえようもなくうつくしく、かがやかしいものを、みせてくれるのです。
そのようにうつくしく、かがやかしいもの、それは、人間のつくったでたらめでしょうか?
いいえ、バージニア、それほどたしかな、それほどかわらないものは、この世には、ほかにないのですよ。

サンタクロースがいない、ですって?
とんでもない!うれしいことに、サンタクロースはちゃんといます。
それどころか、いつまで もしなないでしょう。
一千年のちまでも、百万年のちまでも、サンタクロースは、子どもたちの心を、いまとかわらず、よろこばせてくれることでしょう。

        (フランシス=P=チャーチ)

         <1898年9月21日 ニューヨーク・サン新聞「社説」より>

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