2011年4月23日24日の気仙沼

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    気仙沼市唐桑町にの甥一家が東日本大震災で津波の被害に遭遇。お見舞いに駆け付けた時の撮影。

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2019年12月28日 (土)

年の暮れ

「分別の底たたきけり年の昏」 松尾芭蕉
貞亨元年(41歳頃)頃から死の元禄7年(51歳)までの間の制作といわれるが年代は不詳。
ただし『蕉翁句集』では元禄6年年末となっている。

作句時期が年末であれば、ここにいう分別は年越しの分別である。わけても金銭の分別とするのが妥当であろう。押し詰まった年末もはやどう工面しても年を越す条件が整わないとき、分別は底をついてしまうのである。
ところで芭蕉のように脱俗の人には年の瀬の分別も大したものでは無かろうから、ここで呻吟している人は他人としておいてもよさそうである。
(芭蕉DB「芭蕉発句全集」参照

芭蕉が生きた江戸時代は「ツケ」という文化があったようだ。
通常の物品の販売方法として「掛け売り」が一般的だったという。

それには、もちろん身元がはっきりしているのが前提だが、代金はまとめて月末に払っていたわけだ。
何カ月か払いを延ばすことはできても、大晦日はそうはいかない。
払わないと年を越せない。

ツケで売った方は、踏み倒されてはたまったものではないから命がけで集金する。
江戸の貧乏人の年の瀬は「越すに越されず 越されずに越す」日々であった。

しかし今、この国の貧困化はこんな江戸下町の風景が蘇ったような状況である。
貧富の格差の一段と増した上に、消費税が10パーセントに上がり一般庶民の負担が大きい。

食料品を買って、支払金額が合算で出る分には、こんなものかと気にもしないでいる。
ところが1000円の本を買ったとき、消費税の100円というのはいかにも大きく感じる。

消費税が上がって、分相応の分別で対処しているのが一般庶民だ。

一方で政治に目を向ければ、思慮分別のない政治家ばかりで分別も底をついて、越されずに越してしまう子年となりそうだ。

Kako2

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