2011年4月23日24日の気仙沼

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    気仙沼市唐桑町にの甥一家が東日本大震災で津波の被害に遭遇。お見舞いに駆け付けた時の撮影。

乱読

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2019年11月 8日 (金)

陽気のいいベランダから

今年は、いつまでも暑っかったせいか、柿の葉がやっと色づきはじめたところだ。
銀杏の葉は、まだ緑をしているというものの、だいぶ色あせてきた。

「チュ、チュ、チュ、……チュク、チュク、チュ」あれは、縄張り宣言でもしているモズの高鳴きだろうか。
赤褐色をした尾の長い鳥が、ニセアカシアの梢で鋭い鳴き声を立てている。

落葉樹は、葉を落とす準備の最中である。
そして、モズが速贄(はやにえ)を立てている真最中なのだ。

今朝は寒かった、外は風が身に染みるように冷たかった。
なんて言ったって、今日は立冬だ。

時間が過ぎるにつれ空が高くなって、空気がいっそう澄んでくる。
ベランダに出てみた。

昔は、このベランダから日本一高いといわれた建造物、依佐美無線の鉄塔8基を見ることができた。
私の家から距離にして、南東3キロほどのところにそれはあった。
夜毎、明滅しつづけ、それはそれは見事だった。
市民はこの鉄塔と対峙して生きてきたともいえる。

日本独自の通信施設として昭和4年に竣工し、世界に向けて電波を発信した。
第2次世界大戦には、主に日本海軍の操縦するところとなった。
昭和16年12月8日の真珠湾攻撃に向けて、山本五十六連合艦隊司令長官から、現地の攻撃部隊にくだされた「ニイタカヤマノボレ」の暗号文は、依佐美無線からの送信だったと聞く。
戦後は、米国海軍基地として、平成6年まで電波は送信されていたが、送信停止後、撤去の運びになった。

平成8年晩夏のある日、けたたましいサイレンの音に、私は二階のベランダに出た。
数台の消防車と、それを追うように救急車が走り去った。
サイレンの尋常でない鳴り方に、大きな事故の予感がしたのは私だけではなかっただろう。

実はこれが、依佐美無線解体工事現場の大事故だった。
鉄塔を支えているハンドが切れたために、バランスを崩した塔が倒れたのだ。
解体工事関係者、取材に来ていた人など数人の犠牲者が出た。

この事故のため、撤去作業を一時中断していたこともあったが、その後の再開で平成9年の春にはすべての撤去作業が終了した。
長年、この鉄塔を見つづけてきた私には、今はちょっぴり寂しい南東の空だ。

ぽかぽか陽気のベランダで、そんなことを思った。

写録にアップしたが、今は記念館として、主要設備が保存されている。

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