2011年4月23日24日の気仙沼

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    気仙沼市唐桑町にの甥一家が東日本大震災で津波の被害に遭遇。お見舞いに駆け付けた時の撮影。

乱読

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2019年10月

2019年10月31日 (木)

四天王寺を出て

四天王寺を出て、四天王寺前夕陽ヶ丘駅から谷町線の谷町九丁目で千日前線に乗り換え日本橋で下車。
目的は黒門市場とアメリカ村だ。

大阪は毎年1~2回来ているが、黒門市場とアメリカ村はいつも外しているので、今回は立ち寄ってみた。

雨は上がり、快適な物見雄山ができると思ったが、ここも道頓堀周辺と同じで、中国や韓国、東南アジア諸国からの人が多い。
黒門市場のお店の方も外国人観光客目当ての商売をしているのか、価格が少々高いのでは・・・?

アメリカ村はさすが若者の街で、いたるところにハロウィンの飾り付けがしてあり楽しめる。
アメリカナイズされた店が多いし、やはり外国人観光客が多い。

本当は、アメリカ村で美味しいものを食べながら昼飲みをするのが楽しみだったが、ここも外国人観光客に占領されている。
黒門市場もアメリカ村も、どちらも入店し辛い店が多かった。

結局、道頓堀の 大阪松竹座B2にある「和食 たちばな 道頓堀 大阪松竹座」で、大阪ミナミ唯一のクラフトビールを堪能した。
ここでは店内にビール工場を併設していて、いつでも出来たて「生ビール」が飲めるという触れ込みでかなりの人気店だ。

取り敢えずは「道頓堀ビール3種飲み比べ」を注文。
1.大阪ポーター(黒)2.大阪ケルシュ(金) 3.大阪アルト(赤)

歩き疲れからか、3種類の違いがよくわからない。
全く同じ味に思えてしまった。
ビール好きの私でも、こんなことがある。

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2019年10月30日 (水)

四天王寺

四字熟語によく出てくる「用和為貴」、「用」は「以」と同じで、聖徳太子が定めた「十七条憲法」の第一条にある有名な語である。

第一条の中のほんの一部を抜粋すると「一曰。以和爲貴、無忤爲宗。」とある。
読み方は、「いちにいわく。わをもってとうとしとなす、さからうことなきをむねとせよ。」で、意味は「一に言う。和を何よりも大切なものとし、いさかいを起こさぬことを根本としなさい。」聖徳太子十七条憲法参照)

その聖徳太子が建てた七大寺の一つで、日本最古のお寺と言われている四天王寺に行ってきた。
目的は四天王寺の御朱印を頂くため(夫の目的で、私は同伴しただけ)。

ここ四天王寺は御朱印をいただける多くの札所を兼ねているということもあるが、仏教でいう○○宗というものがない。

最澄が聖徳太子を誰よりも師と崇拝していたこともあって、天台宗に属していたこともあるが、聖徳太子の建立当初の基本に戻り、宗派の概念がなく誰でもが参拝できるよう願いを込めて1946年(昭和21年)に天台宗から独立。
十七條憲法の第一條「和を以って貴しとなす」の「和」をとって1949年(昭和24年)「和宗」となった。(和宗総本山四天王寺参照)

ところで昨日は大阪も朝から雨。
雨の中、広大な境内の様々な札所回るのも厳しい。
納経所で目的の御朱印をいただくことにした。

地下鉄谷町線の「四天王寺前夕陽ヶ丘駅」から西重門方向を目指し、石の鳥居をくぐり、極楽門から入って左すぐ横に納経所が見つかった。

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納経所の横にある御朱印一覧の立て看板には16種類(下記)が載っていたが、実際は全23種類ということだ。

新西国三十三観音霊場 第一番
近畿三十六不動尊霊場 第一番
河内飛鳥古寺霊場 第一番
聖徳太子御遺跡めぐり 第一番
神仏百五十霊場 大阪二番
おおさか十三佛霊場 第四番
法然上人二十五霊場 第六番
西国薬師四十九霊場 第十六番
大阪七福神霊場 布袋尊
なにわ七幸めぐり 聖徳太子
摂津八十八ヶ所霊場 第二十五番
摂津三十三観音霊場 第三十三番
西山国師十六霊場 客番
四国八十八ヶ所霊場 番外
西国三十三観音霊場 番外
役行者めぐり 役行者

いただいた御朱印は3種類。

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   西国薬師四十九霊場 第十六番

 

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   四国八十八 ヶ所霊場 番外

 

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   西国三十三観音霊場 番外

 

神社やお寺の参拝というのには、さほど興味を持たなかったが、参拝した証として御朱印をいただくことで、神仏を身近に感じられる気がした。
私の旅する目的が、主に地ビールやクラフトビール探しだったが、御朱印めぐりの旅も良いかな・・・。

 

2019年10月28日 (月)

ミニライスクッカー

私は間食はしないが、3度の食事量の炭水化物量が多いのと、フライ好きが高じてなかなかダイエットができない。
体重増加が膝裏の脂肪腫にも影響すると思われるので、食生活の見直しをしているが、取り敢えずはご飯の量を減らしている。

我が家は二人家族だが、基本的に朝食はパン食。
昼と夜はご飯で、昼に2回分の2合を炊く。

ここのところの炭水化物ダイエットよる、私のご飯量減少で、茶碗に1杯分の余りご飯が出る。
余ったご飯はラップに包んで冷凍ご飯にするが、なぜか冷凍ご飯が貯まってしまう。

そんなわけで、アマゾンで一人暮らし用炊飯器を探していたが、価格的に思うものがなくそのままになっていた。
唯一、チェックしていた1.5合炊きの炊飯器が「数量限定タイムセール」で、アマゾンの通常価格より1000円安いという案内が来たので、ダメもとで注文した。
昨日の注文で今日届いた。

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まず、デザインが良い。
試し炊きしたが、操作もシンプルで20分弱で炊き上がり。
炊きあがりも上々、おいしいご飯が出来た。
通常炊飯より約15%少ない消費電力で炊飯出来るということだから、少々の電気代節約にもなる。

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↑炊きあがってかきまぜた状態

2019年10月27日 (日)

身の丈に合わせて

センター試験を廃止して、2021年1月からは、「大学入学共通テスト」が導入される。
センター試験にはなくて、共通テストに新たに導入されるものは「記述式問題」と「英語4技能(聞く、読む、話す、書く)評価」の二つ。

とりわけ問題になっているのは、英語の民間試験の利用だ。

民間試験を使用するとなると、経済格差や、地域格差が問題になる。
このため高校生や学校関係者、保護者を中心に見直しを求めているが、この問題を取り上げた10/24のBSフジテレビ プライムニュース で萩生田光一文科相は、とんでもない発言をしている。

司会の反町理さんとのやり取りの一部を取り上げる。

反町:「民間の資格試験を使うということはですね、お金や地理的な条件に恵まれてる人が受ける回数が増えるのか、それによる不公平・公平性はどうなんだと、ここの部分はいかがですか?」

萩生田:「あの、そういう議論もね、正直あります。ありますけれど、じゃあそれ言ったら、『あいつ予備校通っててずるいよな』って言うのと同じだと思うんですよね。だから、裕福な家庭が回数受けて、ウォーミングアップできるみたいなことは、もしかしたらあるかもしれないけれど、そこは、自分の、あの、私は身の丈に合わせて、2回を選んで、きちんと勝負してがんばってもらえば」

裕福な家庭の受験生と、経済的事情でできない家庭の受験生が出てくることを認めたうえで、「身の丈に合わせて」と格差助長を当然視している。

「大学入学共通テスト」は政府の政策で、入学試験制度そのものだ。
その不平等性を問われているのに、管轄の文科大臣が予備校と同レベルの話にすり替えしまうとは、びっくりするほど心がない発言だ。

考えようによっては、昨日辞任した菅原一秀経済産業相より度し難い。

今の新自由主義社会の中にあっては、予備校に通える通えないというような格差が出てくるのも当然だが、せめて政府が介入できる試験制度くらいは、少しでも公平性が保たれるような施策をとるべきだ。

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2019年10月26日 (土)

昨日のニュースから

入閣からわずか1カ月半で菅原一秀経済産業相が辞任した。
地元の有権者に公職選挙法が禁じる寄付をしたということだ。

秘書給与の一部をピンハネしていた、との報道もある。

発覚は、秘書による 内部通報らしいが、後ろめたいことをすれば何倍にもなって自分に跳ね返ってくる。
秘書給与ピンハネは、この菅原元大臣にか限ったことではない。
他にも、秘書給与を自身の資金管理団体に寄付させるといった、姑息なことに神経を費やす国会議員もいる。

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安倍改造内閣の新閣僚15人の保有資産が公開された。

家族を含めた総資産は小泉進次郎環境相が2億9001万円でトップ。
その全額が奥さんの滝川クリステル名義で、小泉大臣の申告資産はゼロ。

当の小泉大臣「妻のっていうことに関して言えば、私と結婚することで、こういう形で公開をしなければいけない。これはルールでありますけど、率直に何か申し訳ない」と言っているが、にわかには信じがたい話だ。

親の七光りで地盤、看板、金をを引継いだ世襲議員が資産はゼロとは、そんなバカな話は誰も信じない。
資産ゼロで庶民派をアピールしているのかも知れないが、下手なウソもいい加減に!

それにしても、公開された閣僚の資産が少なすぎの感じで驚いた。

土地と建物の評価額は、実際の取り引き価格ではなく、固定資産税の課税標準額だから低く出ているのはわかるが、それにしても預金がなくって、次期選挙に出るのに困るだろうが・・・、。
そう思っていたら、計上される金融資産は「定期預金」のみで、「普通預金」は載せなくて良いらしい。
普通預金で1億円持っていても載せる必要はない、ということだ。

あくまでも自己申告である上に、虚偽罰則もないらしい。

資産が低いほど「つつましい議員」として歓迎される風潮にある資産公開など意味がないと思うが・・・?

私は、お金にクリーンな議員が必ずしも良い政治家だとは思わない。

「所得倍増計画」によって一気に高度経済成長を遂げ、黄金の昭和30年代を作った池田勇人元総理や、「日本列島改造論」で、国民生活の向上と安定に寄与した田中角栄元総理ように、少々、黒い金を動かす度量があっても、国民生活や国の安全のを託せる政治家を望む。

今の自民党は売国色が強く、親米、従米、媚米派ばかりになった気がする。

政治家は自らの身を汚しても国民のためになることをやる、そうあって欲しい。
清濁併せ呑めることのできるような度量の大きな政治家であって欲しい。

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2019年10月25日 (金)

ハンドルネーム

ハンドルネームとはネットで使用するニックネームのことだ。

私はハンドルネームを、「hituji」から一時「sango」に変えたのだが、馴染み難いようで元の「hituji」に戻した。

「hituji」は干支が「未」だからという単純な理由。
「sango」は言葉を散らすという意味の「散語」で、かなり出任せだ。

「hituji」の方は、結構気に入っていて「hituji」になりきってしまっている。

有名人でも、口から出任せのような名前にびっくりするものが多い。
ビートたけし、そのまんま東、つまみ枝豆は勿論だが、作家でも、ちょっと古いが寒川猫持、田口ランディ、乙一、貞奴、さくらももこ、姫野カオルコなど、結構、昔は流行作家だった。
芥川賞作家でも、モブ・ノリオ、玄月、花村萬月なんていうのもある。

名前がおかしいからといって、声を張り上げたところで作品の売れ行きに影響するわけでもないし、ましてや作品の質が落ちるわけでもない。
時の流れというものだろう。
抵抗しても仕方がない。

自己撞着は表現者の自由であって、名前などどうでも好いわけだが・・・占い好きの私、ハンドルネーム占いをやってみた、結果は次のよう。

(sangoの場合)努力せど報われず、途中で挫折する運気。愛着がなければすぐ改名するように、とのことで凶と出てしまった。

(hitujiの場合)総運15で中吉。人柄もよく、誰からも好かれます。自然と周囲には才能豊かな人が集まり、知らぬまに己の才能も向上。
信頼を崩さず、才能を開花させれば、やがて大業を成し遂げるでしょう。

当たるも八卦 当たらぬも八卦、お遊びのつもりだが、どうせなら運気のあるものが良いが、自分が気に入っていれば、それが一番だ。

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2019年10月24日 (木)

考える力、自力で飛び立つ力

「グライダーと飛行機は遠くから見ると、似ている。空を飛ぶのも同じで、グライダーが音もなく優雅に滑空しているさまは、飛行機よりむしろ美しいくらいだ。ただ、悲しいかな自力で飛ぶことができない。」と、これは『思考の整理学』(外山滋比古著/筑摩書房)の書き出しの一部。

学校教育が、決められた教師と決められた本の中で従順さばかりを尊重し、勝手に飛び立つ者を規律違反としてチェックする。
優等生は優秀なグライダーではあっても、自力で得た知識ではない。
彼らが学校を出て、自由な思考や発想で飛び立つことを要求されても戸惑うばかりだ。

義務教育修了の15歳を対象とするOECD(経済協力開発機構)のPISA(学習到達度調査)の結果が、しばしば話題になる。
・数学的リテラシー
・科学的リテラシー
・読解力
上記の3つの到達度調査を国際比較する。

2015年の国際結果によれば、日本は参加72カ国のうち、数学的リテラシーは5位、科学的リテラシーは2位、読解力は8位。

2000年の初回調査以降の日本のランキングを表にすると

  数学的リテラシー 科学的リテラシー 読解力
2000年 1位 2位 8位
2003年 6位 2位 14位
2006年 10位 6位 15位
2009年 9位 5位 8位
2012年 7位 4位 4位
2015年 5位 2位 8位

(参照元:OECD 生徒の学習到達度調査Programme for International Student Assessment~ 2015年調査国際結果の要約~|文部科学省国立教育政策研究所)

全体として常に上位にいるものの、特に読解力には苦戦している。
PISAでは、4割ほどが自由記述式の問題になっているようだから、自分で発信するような回答を求められる。
暗記や選択肢問題のように答えを当てにいくのではなく、自分で考える力を求めているわけだ。

「趣味としての読書」をしない生徒が多いようだが、教科書と先生に引っぱられ、引っぱられの勉強では、自力で飛び立つ飛行機にはなり得ない。
読書は、そのプロセスのなかで思考や読解力が付いていき、総合的な学習能力も備わっていく、と私は思う。

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2019年10月23日 (水)

ラブにアレゴリー

最近、WinXPのフォルダーを開いては昔に書いた文章を読み直している。

若いころの発想は柔軟性があるというか、時の時勢になんでもかんでも関連させてしまう。
2004年という年は、スーパーカミオカンデが、世界に先駆けて行った長基線加速器ニュートリノ実験で、ニュートリノ振動を確認した年だ。
で、こんな文章が出てきた。

《ラブにアレゴリー》

書きかけのものが、一気呵成に仕上がりそうな気がした。
昔、テレビドラマでやっていたようなラブストーリーのつもりだ。
いやいや、ラブストーリーは、今やラブ<恋愛>そのものが死語化して幻想だ。

師曰く「追求すべきは、幻想の共有と、その中の連帯だ。いわば無きものの現実化である。」

以前、昼寝をしていたら、私は夢の中で真空中に閉じ込められた。
その私の頭の上を、青い光が走ったことがある。
真空中に閉じ込められれば死んでしまうが、如何せんそこは夢の話だから、蓄えられている記憶がめちゃくちゃにはじき出される。

あの青い光の正体が何なのか・・・長い間疑問だった。
そうそう、昔の映画「キングコング対ゴジラ」の中で、ゴジラを閉じ込めていた北極海の氷山が青い光を放っていた――あれは、超高速粒子から出る光の設定だった。

玄関チャイムの音で昼寝を妨げられた。
不機嫌にボンヤリすること数十分、そのボンヤリの中で閃いた。
光よりも速い粒子が存在するはずもない真空中で、光が観測されれば、それはニュートリノ・・・

科学音痴の疑問が、ほんの少しだけ判りかけてきた。
書きかけの創作の筆は進む。

いやはや何とも ・・・ラブに、真空中に閉じ込めらというアレゴリーを盛り込んだら、作り物の恋愛に違和感を感じ出した。
少女漫画やアニメに出てくるような、目に星の入った世界になってしまった。

幼心の抜けきらない60代の感性とは、この程度のものだ。

2004年5月13日(木)

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2019年10月22日 (火)

スズメのお宿

夕暮れ時に駅前を自転車で通ると、街路樹に群がったスズメ達の鳴き声を聞く。

「チュン、チュン、チュン・・・」一羽では寂しいけれど、薄暮れの空に染み渡る大合唱となると、かなりの迫力がある。その騒々しいこと。

そこはスズメ達の社交場なのか、情報交換の場なのか。
一心不乱に、鳴くことに夢中になっているスズメ達は、お宿に戻らないのだろうか。
それとも駅前の街路樹をお宿にしているのだろうか。

確か、スズメのお宿は竹やぶだったはずだが・・・
おばあさんの洗濯の糊を食べて、糸切りバサミで舌を切られたスズメは、竹やぶをお宿にしていた。

そこには、今でも「大きなつづら」「小さなつづら」があるはずだ。
いつかスズメのお宿を訪ねて「小さなつづら」をもらって来よう。

いや、「大きなつづら」の方が良い。 

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2019年10月21日 (月)

今村昌平映画の続きで

今村昌平映画の感想を、以前やっていた「オクターブ」からリンクした。
ついでだから、オクターブロゴについて記しておく。

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↑(タイトルロゴについて)
2001年にホームページ「オクターブ」を立ち上げたころ、コンピューター関係の仕事に携わっておられるヤン王子(仮名)さんが、「オクターブ」のタイトル部分が寂しいということで、タイトルロゴとあわせてバーナーを製作プレゼントして下さった。
8分音符をヒツジの角をアレンジして表わしたということだ。
左上の角の部分は、年が変わるごとに私が書き換えていた。

ブログの普及によって、私も自然に自作ホームページからブログに移行、今は使用していないが、改めて見ると見事なデザインだ。

ブログはコンテンツの更新がとても簡単で、ホームページのようにHTMLを覚える必要がない。
デザインや機能があらかじめ用意されているから、それをベースにあとは記事を書いて更新するだけだ。

ちょっと、味気ない気もするが・・・。

今村昌平映画

昨日は川島雄三のことを書いたが、今村昌平にも触れた。
かなり昔に書いた今村映画の感想文が、以前やっていたホームページ「オクターブ」に残っているのでリンクしておく。

今村昌平映画

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(備忘的メモ)

Windows 10の「設定」⇒「アカウント」⇒「ユーザーの情報」で、自分が設定したユーザーアカウント画像を表示できるが、いったん設定した画像を削除して編集したいのだが、削除用ボタンがないし、編集用のボタンもないのだ。

ヘルプを参照して、試行錯誤しながらやったら出来たのでメモしておく。

設定画面から[アカウント]→[ユーザーの情報]の順に開いていき、[自分の画像作成]のところの[参照]をクリック。

すると[開く]ダイアログボックスが表示されるから、アドレスバーをクリックして「\ProgramData\Microsoft\User Account Pictures」と入力し、[Enter]キーを押せば、最近のアカウント画像が表示されるので、右クリックすれば管理人権限で削除できる。

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2019年10月20日 (日)

1年遅れの生誕100年川島雄三

Amazonから"偽善への挑戦 映画監督 川島雄三"という件名のメールが来た。
川島雄三(1918年2月4日~ 1963年6月11日)の、 生誕100年を記念しての単行本の宣伝だった。
元女優の芦川いづみさんが寄稿しているということで興味深いが、正確に言えば去年が生誕100年。
今年は1年遅れの生誕100年だ。

生誕100年の去年は、CSチャンネル・衛星劇場で川島映画が放映されたようだが、スカパー契約していないから見逃した。
今年4月から5月にかけては、本の街・東京神保町のシアターでは、1年遅れの生誕100年で、文芸映画を中心とした川島の監督作品が上映されたという。

川島映画はAmazonプライムで探しても「幕末太陽傳 デジタル修復版 Blu-ray <川島雄三生誕100周年記念エディション>(完全限定版)」しか出てこない。

今更、通販でDVDを買う気もないので、ヤフーのGYAOを探したらダイジェスト版が沢山でてきた。
さわりだけでも観てみようと思う。

勢いで本の断捨離をしてから後悔することが度々あるが、もしかして川島関連の本を残しているかもしれない。
そんな思いで、物置に残しておいた本群の中から2冊が見つかった。
ついでに、WinXPの中をのぞいたら、ホームページ作成ソフト"フロントページ"の中に、川島雄三のことを書いた14年前の文章が出てきた。

懐かしいので、それをそのまま載せる。

飼い犬のコロが床の上に粗相をしてしまったことで思い出したのが、藤本義一の小説『鬼の詩/生きいそぎの記』だ。
こんな箇所がある。

「小便、糞を垂れ流す人間を、君は汚い人間だと思いますか」
おれの胸倉を把えんばかりに、監督は迫ってきた。

映画監督川島雄三(1918年2月4日 - 1963年6月11日)のことを藤本義一が書いた小説『鬼の詩/生きいそぎの記』は、昭和49年に初版が講談社から出ているが、既に絶版となっている。
川島雄三と藤本義一の出会いが、撮影所の掲示板に貼ってあった「思想強固デナク、身体強健デナク、粘リト脆サヲモチ、酒ト色ニ興味アルモノヲ求ム。監督室内、股火鉢ノ川島」という募集の手帳の切れ端であった。
この見事な貼り紙に興味をもって、応募したのがシナリオライター志望の藤本義一だ。
泥酔・喧嘩・恋愛・嫉妬・ケチ・痛快・憎悪のなかでの狂気の論争が、読んでいて実におもしろい。

川島雄三45歳(昭和38年)の夭折はあまりにも短いが、その間に51本の作品を作っていることを思えば、「死にいそいだ」というよりも「生きいそいだ」というにふさわしい。

その後、この小説にプラスして川島と藤本の共作シナリオ「貸間あり」も収録された『川島雄三、サヨナラだけが人生だ』が、平成13年に河出書房新社から出た。

しかし、それ以前に今村昌平・編の『サヨナラだけが人生だ映画監督川島雄三の生涯』(ノーベル書房/絶版)が昭和44年出ている。
こちらは川島の関係した50人をこえる映画関係者たちの、川島に捧げるレクイエムであり、心うち震える生の感情が出ていて印象深い。
この中にも藤本義一の小説『生きいそぎの記』が収録されている。

こんなことを書いているが、不思議なことに私は川島作品を一本も観ていない。
観る機会がなかったのだと思う。

彼の一番弟子であったという今村昇平の作品が好きで、今村作品に関する書籍を読んでいるうちに川島監督の名前を知った。

巨匠今村昇平を育てた人とはどんな人か、興味を持って書籍を漁った。
既に絶版ものでもNET上で検索すれば出てくるもので、上記3冊は手元に置いた。

その熱も今では冷めてしまったが、コロの粗相から思い出して再読をはじめている。
                           (2005/10/8)


藤本義一はすでに故人(1933年1月26日 ~ 2012年10月30日)で、放送作家だったが、TVの11PMの司会者の印象が強い。
番組中、原発の危険性について言い出したゲストに、番組スタッフからストップをかけられた際、「本当のことを言って何が悪い」と言って、ゲストにそのまま話を続けさせたというエピソードがある。

最近のテレビ司会者は、政権の徹底擁護ばかりで番組を進行させている。
自民党政権そのものへの批判は全くなく、情報操作による世論誘導番組と言った方が良い。

藤本義一の爪の垢を煎じて飲ませたい。

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2019年10月19日 (土)

今回の増税

10月からの消費税の10%は、たかが2%の増税という人もいるが、じわじわと家計に響いて来ていると実感する。

ここ2週間のうちに、私が買い物以外で税の負担感を感じたものをあげると、交通機関の運賃値上げ、宅配便の配送料値上げ、定形郵便が82円から84円になった。
食品は8%据え置きというものの、今年に入ってから大半の食品が値上がりしている上での増税だから、かなり高くなったと感じる。
その上、今回の台風災害でさらに値上がりが予想される。

電気、ガス、水道などの公共料金は口座引き落としだから、切り詰めないと先が思いやられる。

キャッシュレスでポイント還元とか、オープン価格とか、わけのわからない有様で、本来の物の値段が信用できない。

今回の増税について「日刊ゲンダイ デジタル」に、同志社大学教授で経済学者の浜矩子先生が『支離滅裂の消費増税 「政策」が人々の生活を狂わせている』と題して寄稿されているので、是非ご一読を。

浜先生はいつも広い視野、鋭い分析力で持論を展開される。
本当に浜先生の指摘の通りだと思う。

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2019年10月18日 (金)

今日は雨

今日はどうも雨がやみそうもないので、家でのんびりしようかなと思っている。

本当ならスポーツクラブで15時45分から1時間のサルサダンス。
いったん帰宅して、19時30分からはプールで泳法の日。
泳法は今月に入って背泳ぎだが、まだまだスタートのコツもつかめていないし、休みたくはないが、雨の中を自転車で行くのも、歩いていくのも、どちらも抵抗がある。

さて、今日10月18日は旧暦でいえば9月20日、月齢19.4の二十夜、呼び名は更待月(ふけまちづき)。
夜が更けるまで待たないと月が出てこない、というわけだ。
だいたい午後10時頃に月の出となるというが、この分では今宵の月は見られないだろう。

月は日ごとに満ち欠けしてその姿を変える。
月の満ち欠けを月齢で表すが、それではなんとも味気ない。
味気ない数字の月齢とは別に、今日の「更待月」のような風情ある呼び方がある。

旧暦の15日頃の満月は望月とか十五夜と言ったりする。
その十五夜の月を少し過ぎた月のことは、十六夜と書いて「いざよい」と読む。

月はどんな大きさでも意識してみると、その呼び名からくる 風情を楽しむことが出来る。

「日本文化研究ブログ Japan Culture Lab」サイトの『月の満ち欠けと名前一覧。読み方と意味とは?』に、詳しく書かれているから参考までに。

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2019年10月17日 (木)

謎の生物

容易には信じることができない情報だが・・・

FRIDAY DIGITALに驚くべき記事があった。

東京電力が撮影した福島第一原発・原子炉格納容器の映像を見て、東京工業大学地球生命研究所の丸山茂徳教授が「何か、生物のようなモノが映っています……」と指摘している。
丸山教授によると、多数の生物らしき物体が確認できるというのだ。

被曝したら、人間なら即死の放射線量。
その中でも生きていける生命体が存在するとは驚きだ。
これが事実なら、放射線の中でも生きていける強靭な生命体が存在することが、証明されたことになる。

「人は大量の放射線を全身に一度に浴びると死に至りますが、被曝でDNAが損傷しても生き続けられる生物もいます。例えば『デイノコッカス・ラディオデュランス』と呼ばれる細菌は、毎時5000グレイ(ガンマ線換算で5000シーベルト、人間なら即死)を浴びても死にません。1万5000グレイの被曝でも約4割が生き残る。こうした放射線耐性の高い生物たちが、超高線量の格納容器内にいると思われます」(丸山教授)

確かに、40年前に事故を起こした米スリーマイル島原発でも、原子炉から藻類などが見つかっている。

もともと地球には、強い自然放射線が存在していたというから、福島第一原発原子炉内の環境はそれに近い。
福島原子炉内の生物を検証することにより生命起源の手掛かりになるのかもしれない。
「過酷な環境でも生き続ける生物の研究をすべき」と丸山教授は話す。

私の感想としては、高放射能にさらされている中で、鮮明な画像が取れるものだと、その技術に驚くばかりだ。

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2019年10月16日 (水)

魚と音楽

魚の頭を見ても、どこにも耳はついていないが、頭の部分に耳と同じ働きをする「内耳」といわれるものがある。
この「内耳」のほかにも、体の両側の前から後ろまで点線のように見える「側線」というのがあり、おもに水の流れを感じるが、この「側線」を使って音の一部も聞いている。
 
例えば、水槽の中の魚に水槽をたたいて振動を与えると、音の方向に寄って来る。
例えば、池のコイが、拍手や水面を叩く音で近くまで寄って来る。

手術をして内耳を取り去ると、振動を与えても反応しなくなるらしい。

お魚博士の故末広恭雄さんの『魚の歳時記』に、「魚と音楽」の関係について興味深いことが書いてあった。
魚は音に反応するどころか、音を聞き分けるそうだ。

ドイツのフリッシュという魚学者の研究では、淡水魚を使って、ド(C)の音を聞かせる度にエサを与え、ソ(G)の音を聞かせる度に、その魚を苛めるように訓練したら、魚はすっかり音を覚え、ドの音を聞かせればエサが無くっても寄って来るし、ソの音を聞かせただけで逃げる。
そればかりか、更に研究を続た結果、魚は絶対音感(他の音と比較することなく、音の高さを例えばド(C),レ(D),ミ(E),ファ(F)と、音高名で言い当てる能力)を持っていることがわかったということだ。

不幸にして、私は絶対音感を持っていないので、魚がうらやましい。

Mado

2019年10月15日 (火)

セブンイレブン

セブン&アイ・ホールディングスが10月10日に発表した事業構造改革の中で、「セブン-イレブン・ジャパンについては、加盟店に課しているインセンティブ・チャージを減額する一方、19年下期以降、約1000店舗の閉鎖・立地移転を進めるなどして不採算店の整理を加速する」とある。

その影響か、我が家の前のコンビニ「セブンイレブン」に、閉店を知らせる張り紙がしてあった。
10月31日(木)をもっての閉店ということだ。開店して、まだ2年も経つていないと思う。

私の住むところは、住宅やマンションが多い割には一人暮らしが増えているので、車に乗れない買い物弱者にとっては身近な存在だ。
私も車に乗らないので、宅配便を受け付けてもらえるのにとても重宝していたので残念な思いがする。

セブンイレブンで思い出すのが、今年7月の参議院選で「れいわ新選組」から立候補し、残念にも落選した三井よしふみさんのこと。
フランチャイズ規制法を制定し、加盟店が幸せに働ける業界を目指して立ち上がった人だ。

三井さんは大手の銀行を早期に退職して、定年を考えずに働けるとして、セブンイレブンでコンビニオーナーになったものの、待っていたのは「24時間365日営業・15年縛り」の契約。
人手不足が加速する現状では、オーナーやその家族に無償で無限大の労働を要らせる。
店を食い物にして、本部に利益が吸い上げられるコンビニ独特の会計システム等々。

そうした中で次々と体調を崩し、自殺するオーナーも出たとか。
「コンビニは現代の奴隷制度」と、警鐘を鳴らしていたのが思い起こされる。

家の前のセブンイレブンが、10月31日(木)をもって閉店する事情は、私にはわからない。
しかし、オーナー家族で昼夜働いていたのを見ると、過酷な労働実態が伺われる。
わずかの期間での閉店は、本部の理不尽な対応を想像せざるを得ない。

コンビニエンスストアの「24時間営業」の是非についてのツィートがあったが、ある国際政治学者が、「私の住んでいる地域は眠らない街なので、24時間やっていないのは想像できない」「コンビニ営業規制は社会主義、全業種24時間営業こそ経済的新自由主義」と、宣っていた。

アメリカにもオーナーを守るためのフランチャイズ法がある。
豪州や韓国でもフランチャイズ本部を規制する法整備が出来ている。

そんなことも知らない国際政治学者がいたのが驚きだ。

とかく、人間は便利さを求めるが、便利さだけが先進性ではないし、便利な生活の裏側を理解しないといけない。

Yuuyake

2019年10月14日 (月)

キンモクセイ(金木犀)

今回の台風19号、私は自分の住んでいる所ばかりを心配していたが、東海、関東・甲信越、東北と広範囲に渡った。
NHKの今日20時台の情報では、全国で58人が死亡、14人が行方不明ということだが、いまだに被害の全容さえはっきり見通せていない。

被災された皆様の一日も早い復旧を心よりお祈り申し上げます。


キンモクセイの花は9月下旬から10月半ばにかけて咲く。
オレンジの花を、放射状に広げた枝先の葉のつけ根部分に細かくまとまって咲く。
私は、この香りが好みで、風がお隣のキンモクセイの香りを運んでくれるこの時期が好きだ。

中国では「春のジンチョウゲは七里香、秋のキンモクセイは九里香」と言う。
つまり、七里離れていても匂うジンチョウゲ、それ以上の九里離れていても匂うのがキンモクセイということだ。
それほど芳香の強い木だ。

このキンモクセイ、実はダイエット効果があるそうだ。

「金木犀の香りをかぐことで、脳内の摂食中枢が反応し、オレキシンなどの食欲増進物質が抑えられます。同時に満腹中枢への働きが促進されるため、食欲が抑えられるものと考えています。

このことは、5年ほど前にラットを使った実験で確認が取れていました。このほど学生を対象に、金木犀の香りをかいだ場合とそうでない場合に分けて、お菓子を食べる量を比較する実験を行いましたが、金木犀の香りをかいだ場合の方が明らかに食事量が減っていました」(畿央大学健康科学部の山本隆教授の話)
          出所:2018/10/02 07:11 ウェザーニュースより 

「金木犀の香りを使用した芳香剤や化粧品などを使って、食事前の30分~1時間の間、自分あるいは周囲に香りが漂う状態になっていれば効果的です。先ほど紹介した実験では、マスクの裏に金木犀の香りを塗布しておきました。そうすることで自然に食べ過ぎを防ぎ、腹八分目程度で満足して食事を終えられると思います」(山本教授)

ダイエットはしたいけど、好きなものを我慢するのは耐えられないという私、食前に金木犀の香りを試してみよう。

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2019年10月13日 (日)

台風から

「天災は忘れた頃やって来る」は、科学者で随筆家の寺田寅彦の言葉とされている。

自然災害はその被害を忘れたときに再び起こるものだという戒め。「天災は忘れられたる頃来る」、「天災は忘れた頃来る」、「天災は忘れられた頃に来る」などとも記述される。また、上記の「天災」の箇所は「災害」と書かれることもある。(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より)

天災に見舞われると、その恐ろしさに大騒ぎし、二度とそん目に合わないよう対策を考える。
ところが、そう度々あることでもないので、その恐ろしさが忘れ去られた頃に不意打ちされ、人命が奪われ、財産が奪われる。
そんな歴史の繰り返しだったからこそ怖いという、この寺田寅彦のアフォリズムには納得させられる。

文明が進むほど天災による損害の程度も累進する傾向があるという事実を十分に自覚して、そして平生からそれに対する防禦策を講じなければならないはずであるのに、それが一向に出来ていないのはどういう訳であるか。その主なる原因は、畢竟そういう天災が極めて稀にしか起らないで、丁度人間が前車の顚覆を忘れた頃にそろそろ後車を引き出すようになるからであろう。(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より)

注:1934年(昭和9年)に相次いで起きた函館大火、手取川決壊による水害、室戸台風による被害を取り上げた随筆集「天災と国防」での記載。

個人個人が、常に災害を心しておかなければならないのは勿論、政治を念頭に置いて、長いスパンで国を守ることを考えるよう訴えたものだ。

今回の台風19号は伊豆半島に上陸し、本州の半分以上を覆うほど大型で、勢力も強かったため、大雨に加えて暴風、さらに高潮といったあらゆる現象を伴い、河川の氾濫が生じた。
結果、各地で尊い人命が奪われるなど、甚大な被害が発生している。

ひと月前の15号台風に続き、今回の19号である。
度重なる大型台風は、「天災は忘れた頃やって来る」どころか、恐ろしさが薄れるほどの時間も与えず、次から次へと自然の猛威をさらけ出した。
日本は国土面積の4分の3が山地で、そこに住む人々とのことを考えれば、まず治水対策だ。
安倍内閣にとって有事は戦争なのか・・・?
イージスアショアや戦闘機よりも、防災対策にお金を使うべきだと思う。
国土強靭化計画は、どうなっているのか?

もう一つ、この台風で思ったことは、ラグビーワールドカップの不手際だ。
台風で試合を中止せざるを得なかった2試合。
12日に開催予定だったニュージーランド対イタリア戦(豊田スタジアム)、イングランド対フランス戦(横浜国際総合競技場<日産スタジアム>)
選手や観客などの安全面を第一に考えるのは当然だが、事前から会場の変更などを含めて対応策を考えることが出来なかったのか。
これだけの大きなイベントで代替措置がなかったとは、お粗末としか言いようがない。
準備は万端で調整してきた各国からの選手、試合会場のある地元、チケットを購入して楽しみにしていた人達に大きな落胆を残した。

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2019年10月12日 (土)

気になること

台風情報が刻々と入ってくる。
状況が変化するので、テレビから目を離せない。

早めの台風情報で、昨日、最寄りのホームセンターでは、窓に使う養生テープが品切れになったと言う。
行きつけのスーパ―も、今日12日の休業を早々に決めたので、昨夜は物が品薄状態だった。
今となっては、台風19号の被害の少ないことを祈るばかりだ。


神戸市の小学校で若い先生が、先輩の4人の先生から暴力などのいじめを受けていた問題が発覚した。

加害者側の先生は、「自分が面白ければよかった」「悪ふざけだと思っていた。そこまで嫌がってるとは思っていなかった」と弁解してるようだが、ここまで適格性を欠く先生がいるのには驚きだ。

これでは、学校現場での生徒間のイジメが後を絶たないわけだ。

昔の先生(私が小学校・中学校だったころ)は、本当に知識の豊富な、尊敬される対象だった。
悪い事をすれば平手で叩く、授業中の居眠りやおしゃべりには、チョークが飛んできた。
宿題を忘れれば、廊下に立たされる。
何事にも揺るがない確固たる信念を持った先生たちだからこそ、その言動に知性や思いやりがあり、父兄も生徒もそれを当たり前のように受け入れていた。

今回のような激辛カレーを無理に食べさせるとか、被害教諭が受け持つ児童に対し、「反抗しまくって学級をつぶしたれ」との発言は言語道断。
教員として、人として許されるべきではない。

当該校長も、「隠すつもりは一切なかった」と会見で説明していたが、現場の最高責任者として問題が起これば重い負担がのしかかってくる校長職。
出来れば、内々で処理したかったのだろう・・・報告の遅れも教育行政の閉鎖性にも関係している。

立派に大学教育を受け、今や難関の公務員試験や教員試験に合格しているはずなのに、何かが大きく間違ってしまっている日本。
何でも安倍政権に繋げるつもりはないが、安倍政権下では、お友達には徹底して便宜を図り、側近の犯罪者は逮捕起訴どころか栄転してるのが多い。
これでは、上がやってるから問題ないという意識が全国に広がってしまう。

国が正常に機能することを願うばかりだ。

Sakuramati

 

三つの大きな岩

昨日の記事「今年も呼ばれなかった」の続きで、村上作-品『アフターダーク』の中の逸話を思い出した。

高橋という男が主人公マリに向かって話すその逸話は、教訓になる話だから紹介しよう。

三人の兄弟は海岸に三つの大きな岩を見つけた。
そして神様に言われたように、その岩を転がして行った。
とても大きな重い岩で、転がすのは大変だった。

いちばん下の弟が最初に音を上げた。
「俺はもうここでいいよ。海岸にも近いし、魚もとれる。じゅうぶん暮らしていける。そんなに遠くまで世界が見られなくてもかまわない」

上の二人はなおも先に進み続けた。
しかし山の中腹で次男が音を上げた。
「兄さん、俺はもうここでいいよ。ここなら果物も豊富に実っているし、じゅうぶん生活していくことができる。そんなに遠くまで世界が見れなくてもかまわない」

いちばん上の兄はなおも坂道を歩み続けた。
力の限り、岩を押し上げ続けた。
何ヶ月もかけて、その岩をなんとか高い山のてっぺんまで押し上げることができた。
彼はそこで止まり、世界を眺めた。
今では誰よりも遠くの世界を見渡すことができた。
そこが彼の住む場所だった。
食べ物と言えば、苔をかじるしかなかった。
でも後悔はしなかった。
彼には世界を見渡すことができたからだ。

この話には、教訓が2つある。

ひとつは人はそれぞれに違うという事。

ふたつめは、何かをほんとうに知りたいと思ったら、人はそれに応じた代価を支払わなくてはならないということ。

この話の中に出てくる三兄弟のうちで、自分ならどのポジションなのかを考えてみると、私の今までのライフスタイルから言えば、一番下の弟なのかな?
世界を見渡すことができる場所までたどり着きたい、という長男には憧れるものの、肉体的な苦痛を負ってまでの意志の強さは私にはない。

後悔しない生き方を求めるならば、計り知れないほどの犠牲を払わなければならないわけだが・・・。

Banri

2019年10月11日 (金)

今年も呼ばれなかった

今年もまた「ハルキ・ムラカミ」の名前は呼ばれなかった。
今年のノーベル文学賞は2018と2019年のノーベル文学賞の同時発表ということでダブルチャンスだったが、村上春樹さんは今回も受賞を逃した。
毎年毎年、受賞を見届けるべくどこかに集まって、その瞬間を待つハルキスト達がいたものだが今年は大分様相が違ったようだ。
待つことに、もうお腹いっぱい・・・という感じかな?

村上さん自身が著作の中で「脳減る賞」「(毎年騒動になるのは)正直なところ、割に迷惑です。だって正式な最終候補になっているわけじゃなくて、ただ民間のブックメーカーが賭け率を決めているだけですからね。競馬じゃあるまいし」と、否定的に言っている。

私はハルキストじゃないけど、村上作品は初期の頃から愛読している。
私がたまらなく惹かれる点をあげてみる。

①ビールがおいしそうなのが良い。

②クールで都会的なのが良い。

③まるで、私にだけ話しかけてくれるようで、親密感を感じる。

④私には、とても表現できそうもない意識を言語化しているところ。

⑤あちら側」と「こちら側」がユーモラスに描かれているところ。

ノーベル文学賞という大きな賞だが、個人的には村上作品が受賞しようがしまいが、どっちでもいい。

Yagi

2019年10月10日 (木)

惜夏

10月に入って、朝夕の冷気が身に染みるようになった。

週末に台風19号が日本列島を直撃するらしい。
9月が台風の季節と思っていたが、10月も半ばになっても台風はやって来るのだ。
非常に強い勢力ということだから、早めの対策を心がけたい。

台風が過ぎれば、冬の足音が感じられるようになる。
寒いのは苦手だから、気温の変化がこのまま止まってくれればと思う。

今年は9月に入ってからも真夏のような日々が続いたので、秋の訪れをことさら望んでいたはずなのに、人間(私)というものは、いつのときも勝手なものだ。

庭に散水をしながら見る草花の変化には、目を見張る。
裏庭では、つい先日まで青々と大葉をつけていたシソは、可憐な白い花にとって変わっている。
夏場、盛んに花をつけていたフェンネル(ウイキョウ)が、今は夏を惜しむかのように一、二本だけが花を残している。

塀の外では、秋分の日には開花していなかった彼岸花が見事に咲き開いて、妖艶な姿を誇っている。

庭の草花の変化を見ているだけでも、すっかり夏が去った感じである。
これらの草花を眺めていると、立ち止まって、逝く夏を惜しむかのように身辺を振り返ってみたくなるから不思議だ。

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フェンネル
葉はビネガーやオイルに
つけて様々な料理に最適。
(別名)ウイキョウ
彼岸花
茎がすくっと伸び、花は
毒をもつと言われているが、何とも妖艶な美しさがある。
(別名)マンジュシャゲ
シソの花
あまり目立たないけれど、
可憐な白い花をつけている。

 

 

 

2019年10月 9日 (水)

命の長さ

知り合いが亡くなった。
73歳だった。

「人生100年時代」と言われる今、73歳というのは若死だというのだろか?

人間の運命は早いか遅いかの違いがあるものの、誕生と同時に必ず死を迎える。

死はいずれ誰にもくる当たり前のことと思っても、死者の年齢に関係なく身近の人を失うのは悲しいに違いない。

一方で他人は、人の死の悲しみの度合いを、生の期間を尺度として表現したがる。

若い人や子供が死ぬと「お若いのにお気の毒なことで」「可愛そうに・・・神様はなんて無情なんでしょう」と、言いたがる。

人の運命はそれぞれであって、命の長さは物指しで計れるようなものではない。

それが長かろうが短かろうが、それだけの生であり、それだけの死であったと理解するのもいいのでは。

「最初の呼吸が死の始めである」(イギリスの神学者トーマス・フラーの言葉 )

Gandera

2019年10月 8日 (火)

再び木梨憲武展

船橋から妹(今年4月に亡くなった弟の嫁)がやってきた。
相続の関係で豊田市役所に用事があり、付き添って豊田まで出かけた。

ラグビーワールドカップ2019日本大会の試合開催中(豊田市スタジアムでは4日間、残すところ10/12のニュージーランドVイタリア戦)とあり、豊田市駅前は、ラグビー雰囲気一色だった。

Ragubi

その足で、豊田市駅から名古屋矢場町に出て松坂屋へ。
油絵をやっている妹に「木梨憲武展 Timing -瞬間の光り-」をぜひ、観てもらいたいと思ったからだ。

芸能人に、絵の上手い人が多い。
画家やイラストレーターなど、その道を本業にしている人より上手い芸能人も結構いる。

中でも、お笑いコンビ『とんねるず』メンバー木梨憲武さん。
絵が得意で、1994年に名古屋 PARCO で初めての個展を開いて以来、全国各地の美術館で個展ツアーをやっているという。
2015年には、アメリカ・ニューヨークのギャラリーで『Noritake KINASHI SOLO EXHIBITION』を開く。
2018年には、イギリス・ロンドンのProtein Studiosで『Noritake Kinashi Londo Exhibition -Moment-』を開く等々、創作面で大活躍のようだ。

静物画や風景画などが中心だが、幾何学的な記号とか文字を使い、彼独特の表現で描いている作品も多い。
他にもドローイング、映像、オブジェなど多彩な作品群。

一見抽象的に見える作風だが、実際は対象を忠実に描く器用さを持ち合わせているから、タイトルからくるイメージと作品が素直結びつく。

芸術、特に絵画は職人の手仕事的領域に属するものだ。
人それぞれの精進の道も違えば、好みにおける価値観も違うわけで、そこに個人的な性格が如実に現れる。
したがって、それぞれの作家が作り上げた作品は、もっともらしい形や言葉による説明だけでは理解できるものではないと思う。
とは言っても、木梨さんの作品は、私には素直に受け入れられた。

妹は、表現方法に縛られない木梨さんの自由な作品、作品の多さに感動していた。
動画以外は撮影許可があったので、二人ともスマフォで作品をたくさん撮ってきた。

木梨さんにはパワーをもらえるし、愛着があり私にとっては9/17に続く2度目の観賞。

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Mzdo

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2019年10月 7日 (月)

ホトトギス3つの俳句

ツイッターを眺めていたら、豊臣秀吉の「鳴かぬなら鳴かせてみせようホトトギス」をもじって、次のようなツイートがあった。

「鳴かぬなら鳴いたことにしようホトトギス(安倍晋三)」

「鳴かぬなら一緒に鳴こうホトトギス (山本太郎)」

まさに言い得て妙、言われてみれば確かにそうだ。


人間のタイプを分類する方法にはいろいろあるが、未だに引き合いに出されるのが戦国時代の三英傑、織田信長、豊臣秀吉 、徳川家康だ。
鳴かないホトトギスへの対応に三人がどうしたかで、その性格を象徴するものだ。

・織田信長の「鳴かぬなら殺してしまえホトトギス」は、裏切り行為は絶対許さずに殺戮する様子が詠われている。

・豊臣秀吉「鳴かぬなら鳴かせてみようホトトギス」は、農民からの下剋上で天下人になっただけあり、人たらしと言われ、人を引き付ける魅力もあり要領の良さが詠われている。

・徳川家康「鳴かぬなら鳴くまで待とうホトトギス」は、とにかくチャンスを待ち、戦わずして天下を取っただけある。

このホトトギスを用いた俳句は、3人のそれぞれの個性が詠われていて面白い。

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怖いもの知らず

昔よりは簡単になったと言われるパソコン操作だけれど、どうしてどうして・・・一旦機嫌を損ねると、素人ではなかなか手におえなくなる。
昨日からトラブルで、数時間を費やしてしまった。
いや、数時間どころか、丸1日を費やした。

OSの起動が高速化したり、使用可能メモリが増加したのは良いのだが、常駐アプリケーションやサービスが多すぎる。

ブログ記事を書くとき、ココログのサイトに直接書くのではなく、取り敢えずは「Win10メモ帳」に下書きを書いてから、コピー&ペイストで更新している。
何故メモ帳かと言えば、軽いし、立ち上がりが速いという理由からだ。

その「メモ帳」の不具合が続き、入力できなかったり、応答なし(フリーズ、固まる)状態になったりのエラーが多く、デバイスドライバやレジストリのエラーが無いか・・・いろいろ弄りまくり。
結局、お手上げ状態になったので、「Win10メモ帳」に代わるものがないかと探し、「CubeNote」というのをインストールしたが、使い勝手が悪い。

「Win10メモ帳」に未練があり、エラー原因や対策をネットで調べていたら、「サービス同士が干渉して発生する不測のエラー」というのがあったので、タスクマネージャーを開きサービスを確認。
「無効」にした方がリソース的に軽快になると考えて、大胆にも一気に無効化した。

Windows98やXPのころは、サービスを無効にして動作を軽量化したものだが、勘で無効にしてOSが立ち上がらなくなったことがある。
Windows10は、本当に大切なサービスは停止できなくなっているので、OSが起動しないということは先ずない。

不具合が出たらその都度、一つずつ戻せば良いと思ったのだ。

結果、OSは立ち上がったものの、NET接続もできなくなるし、Audioも不可、メールも起動しなくなった。
そのほか諸々の不具合で、復元ポイントも動作せず。
無効化していたサービスを元に戻そうと思っても、私の環境で255もあるサービスを、一つずつ確認していくのも気が遠くなる。
結局、パソコンの初期化をした。

せっかちで、慎重性がないところが私にはあるのか・・・
大抵の人は、パソコンを壊さないように慎重に慎重に操作をしているようだが、私は、ことパソコンに限っては怖いもの知らずのところがある。
マニュアルで理解できないところは、ほとんど勘に頼って操作している。
疑問に思ったときは、後先の故障などお構いなく、抵抗なしに操作してしまう。
習うより慣れろで、私はそうして覚えてきた。

Oosaka

2019年10月 5日 (土)

読書感想『なめとこ山の熊』宮沢賢治

単調な生活リズムの中で、惰性的な日々を繰り返していると新鮮な感動を覚えることからも遠のいてしまう。
たまには何かに感動することがあっても、自分ではそれを表現するすべを持たない。

表現できなければ、単に自分の中に埋もれさせているだけだ。
これは才能の問題だろう。

しかし、文学の中で自然や人生の美について書かれているものを手にすると、自分の中にある美的意識を代弁してくれるようで新たな感動が湧いてくる。 

宮沢賢治の童話『なめとこ山の熊』の中で、熊達は熊捕り名人の小十郎によって捕らえられ殺される対象になった。
小十郎にとっても、気性の激しい熊が両手を振りかざしてくれば命がけだ。
熊と小十郎が、獲り獲られる敵対関係にあるのは必然的なこととはいえ、その間の交流が何とも美しい。
「小十郎はもう熊のことばだってわかるやうな気がした。」とあるが、後に2匹の母子熊が風に淡い月光の中で、向こうの谷を見詰めながら会話をする場面の伏線になっている。
その描写がまた美しい。

「どうしても雪だよ、おっかさん谷のこっち側だけ白くなってゐるんだもの。どうしても雪だよ。おっかさん。」
「雪でないよ、あすこへだけ降る筈がないんだもの。」
「だから溶けないで残ったのでせう。」
「いゝえ、おっかさんはあざみの芽を見に昨日あすこを通ったばかりです。」

こうした母熊と小熊のたわいない会話が続くが、この光景を眺めていた時の小十郎は「まるでその二疋の熊のからだから後光が射すやうに思へてまるで釘付けになった」と、深い感動を受けたのだろう。
母熊と小熊、それを感慨深く見守る小十郎、この三者が一体となったこの光景は、先に引用した「小十郎はもう熊のことばだってわかるやうな気がした。」という言葉が、いかに見事な伏線になっているかがわかる。
隙あれば、いつでも撃ち捕ることの出きるこの母子熊を撃ち捕るどころか、小十郎はその場を静かに去った。
熊の言葉がわかるのは、熊と小十郎の間に精神の交流があるということだ。

この幻想的な美しい光景に続いき、現実の厳しさへと場面は転換する。

町へ毛皮と肝を売りに行ったときの、みじめな小十郎だ。

荒物屋の主人に買い叩かれ、うれしくてわくわくしている小十郎には、富める者が貧しい者にする搾取とごまかしについての本質がわかっていない。

しかし、作者宮沢賢治は「けれどもこんないやなづるいやつらは世界がだんだん進歩するとひとりで消えてなくなって行く。僕はしばらくの間でもあんな立派な小十郎が二度とつらも見たくないやうないやなやつにうまくやられることを書いたのが実にしゃくにさわってたまらない。」と、鋭い口調で書き添えている。

小十郎は熊を捕り殺して、その肝と皮を売って年老いた母と5人の子供を養っていかなければならない。
熊を捕ったのも生活の為であり、捕りたくってとったわけではない。

そんな小十郎に対して「なめとこ山あたりの熊は小十郎をすきなのだ。」
小十郎が目を光らせて鉄砲を構えると「大ていの熊は迷惑そうに手をふって、そんなことをされるのを断った。」
小十郎が殺したのは、気の激しい熊だけで、両手を振りかざして小十郎に向かってきた時だけだ。
現に「二年目にはおれもおまへの家の前でちゃんと死んでゐてやるから。毛皮も胃袋もやってしまふから。」と命乞いをした熊を殺さなかったが、物言わぬ熊が擬人化されて、小十郎に話し掛けている。
そんな小十郎も、最後には大熊にやられた。
「おゝ小十郎おまへを殺すつもりはなかった。」と言う大熊。
「これが死んだしるしだ。死ぬとき見る火だ。熊ども、ゆるせよ。」と、熊に詫びる小十郎。
獲り獲られる関係で、両者が生き残ることは難しい。
悲しい運命の世界だ。
なめとこ山の熊たちは、小十郎の死を悼んで祈るように小十郎の死体を囲んでいつまでもいつまでも動かなかった。
美しい場面、それは風景であり人間と熊という異質のものとの精神の交流である。

『なめとこ山の熊』 宮沢賢治全集第九巻/筑摩書房)
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2019年10月 4日 (金)

良い時間

昨日は、どんよりとした厚い雲で覆われていたが空が、突然、スコールのような激しい雨に見舞われた。
今日は、昨日の雨で外気が洗われたのか、空気がいっそう澄んで、吸い上げられるような気持になる。

昨日と今日、それぞれ別の雲と別の風、別の太陽があり、季節は巡っている。
それを素直に受け止められるのも、心に余裕ができているのだろう。

昨日は、スポーツクラブの友人と三人で女子会。
と言っても、70代も半ばを過ぎた女三人の飲み会。

食べ物の話、体調の話、おしゃれの話、故郷の話(一人は北海道出身、一人は東京出身、私は愛知)、お互いの連れ合いの話・・・等々。
時間が過ぎるのも忘れ話し込んでいた。
年齢が近いからか、相性が良いからか、本音で話し合え良い時間を過ごした。

年とれば故郷こひしいつくつくぼふし 
(種田山頭火『行乞記』十月十二日 晴、岩川及末吉町行乞より)

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2019年10月 3日 (木)

フラグメント

(白い空間)

厚い雲がやっぱり雨をもたらした。
松坂屋の南館7階から、下の久屋大通の風景を眺めていると、雨は白い色をしていた。
ガラス越しに見るそれはなんとも美しく、眉間に皺を寄せ、目を細めてしまうほどの眩しい白だ。
透き通るような白、う~ん、まさに天然の白がここにはある。

雨は白い大量の仲間達を伴い、鉄筋コンクリートのビルや車のフロントガラスにまつわり付く。
そしてそれは、あたかも人間の造った文明をあざ笑うが如く、地上に落ちる間に濁りのある白に染められる。
これはまさに汚染された白だ。

白への思いは、人のおかれている物理的・精神的環境によってさまざまに異なる。
一時的にせよ、今日の雨を眩しい白に思ったのも、7階のガラス越しに見ていることと、落ち着いた気分にも寄りかかることが大きいだろう。
しかし、ビル群や車の騒音という物理的環境に意識がいった途端、視界が遮られ、眩しい白も瞬時に掻き消された。

Hisayaame

(Something  black)

箱を開けると何か黒いものが飛び出した
ハッと思うまにどこかへ見えなくなった
箱の中はからっぽであった
それでその晩眠れなかった
(稲垣足穂 『一千一秒物語』より)

見えなくなった黒いものは、ホームズ氏にお任せなさい。
タイミングをずらしての午睡もいいじゃない・・・
じゃ、Good nap!

2019年10月 2日 (水)

ハロイン月間

台風が一つ二つ過ぎると、秋らしくなってくると言うが、ここのところの昼間は、30度越えの暑さで冷房が欠かせない。
ベランダのサンシェードを取り外したら、日差しがきつく、秋の日のすがすがしさとは程遠い。


巨大かぼちゃをくりぬいて作ったお化けの置物がやたらに目につく。
中に明かりを灯した「ジャック・オー・ランタン 」が不敵な笑みを浮かべている。
それがハロウィンの装飾だとはわかっても、特に意識しなかったから、果たしてハロインが、いつなのかも知らなかった。

アクトス(スポーツクラブ)に行ったら、スタジオ入口のインフォメーションには「仮装レッスンの案内」が貼ってあった。
10月31日がハロウィンで、今月は「ハロイン月間」とのこと。

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偶然といえば偶然だが、「レイ・ブラッドベリ(大久保 康雄 訳)の『何かが道をやってくる』(創元SF文庫)」を読んでいる。
読み出しはいいのに、途中から一向に読み進んでいかない。
実はこの本、数年前から読んでは挫折の繰り返し。
今年こそは、10月31日のハロウィンまでに何とか読み終えたいものだが・・・。

「ある年の万聖節前夜、ジムとウィルの十三歳の二少年は、一夜のうちに永久に子供ではなくなった。
カーニバルの騒音の中で回転木馬の進行につれて、時間は現在から未来へ過去から未来へと変わり、魔女や恐竜の徘徊する悪夢のような世界が展開する。
SF界の抒情詩人が世に問う絶妙なリズム。
ポオの衣鉢をつぐ一大ファンタジー。」(出版社/著者からの内容紹介文)

ジムとウィルの仲良し二人が、ハロウィンの夜、晩秋の町にに飛び出す。カンゾウとコットンケーキの匂いを漂わせ、カライアピーの音色を響かせながらやってくるカーニバル。
カーニバルの出し物はいろいろ。
二人はそのカーニバルに近づき、テントの中にある不思議な回転木馬があるのを見つける。
回転木馬は葬送行進曲が逆にかかると逆に回転し、そこに乗った男は若返り子供に変わってしまう。

 

2019年10月 1日 (火)

10月朔日

世間では10月から衣替え。
学校では、本来なら今日から冬服になるが、これだけ暑いと日中は半袖だろう。
しかし、朝晩は涼しいから、脱ぎ着の楽な上着が必要になる。

衣替えといえば、芭蕉は四月朔日に「笈の小文」の中で次のような句を詠んでいる。

「一つぬひで後に負ぬ衣がへ 」(四月朔日)芭蕉

(訳)家に居ればちゃんとした衣更えをするのだが、旅にあっては、上着を一枚脱いで背中に担げば衣更えになる。

衣替えの習慣は、中国の風習に倣って旧暦の4月朔日 および10月朔日 に夏服と冬服を着替えると定め、平安時代の宮中行事から始まった。
(『ウィキペディア(Wikipedia)』参考。)

芭蕉が生きた江戸時代前期は、貴族や武家はもちろんのこと、民間でも衣更えの行事を、夏は4月朔日、冬は10月朔日に盛大にやっていたという。

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(消費税が10パーセント)

今日、消費税が10パーセントに増税されたのを受けて、国民民主党玉木雄一郎代表は「本当に消費税を上げていいのか」と、今頃になって吠えている。
あげた後に、「あ〜だ、こ〜だ」とは、「後出しジャンケン」の勝利者感覚か・・・と。

低所得者層への対策だとかで軽減税率が導入されて、食品を中心に消費税8%の据え置き措置がとられたものの、ワケのわからない区分けが、混乱を招いている。

消費税増税が行われると国民の負担は6兆3000億円、その対策に6兆6000億円を使うという。
ということは、6兆円増えても6兆円を使ったら、何のための増税だったのかだ。
一過性のバラマキ・・・?これじゃあ本末転倒じゃないか。
軽減税率は、弱者の味方に見せかけた悪法だ。

10月1日から消費税が10%に引き上げられる。
今回の増税は安倍政府がわずか5年の間に消費税率を倍増させるという日本の税制史上、例のない大型増税となる。
これまで政府が増税のたびに常套句にしてきた「社会保障のため」というのが嘘(2014年に5%から8%に引き上げた増税分のうち、社会保障財源に使われたのは18%で、82%はそのほかに使われた)であり、国民が納めた税金の多くが、大企業の法人税減税の穴埋めに使われていたという消費税の本質が露わになるなかで、導入から30年が経過した消費税制度そのものを根本的に見直す世論が広がりつつある。
10%への増税は国民生活をさらに疲弊させ、国内消費を落ち込ませることが明らかで、国民の怒りの目をカモフラージュするために政府がうち出した増税対策は現場に大混乱を招いている。(長周新聞より抜粋)

(桜井充参院議員が国民民主を離党届提出)

桜井議員の離党のニュースが入ってきた。
この人、タイムリーな庶民の暮らしの苦しみに寄り添っているイメージがあったので、結構応援していたのだがガッカリだ。

予算委員会では与党に対して厳しく攻める姿勢で、特に「モリ・カケ問題」のときは、追及の先頭に立っていた印象がある。
あの姿も、単なるパフォーマンスだったのか・・・。

「自分を見つめ直したい」ということだが、国民民主を離党後は、近い将来、自民党に入る可能性もあることを明らかにしたようだ。
「自分を見つめ直したい」なら、議員を辞めて医者に戻れば良い。

れいわ新選組の山本太郎代表は1日夜、JR新宿駅西口で街頭会見を開き、消費税10%受け減税へ協力呼び掛けた。

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