2011年4月23日24日の気仙沼

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    気仙沼市唐桑町にの甥一家が東日本大震災で津波の被害に遭遇。お見舞いに駆け付けた時の撮影。

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2019年9月10日 (火)

飼い主の満足する方法での旅立ち

実弟が膵臓癌の終末期にあった今年の4月に「終末医療」について調べてみたことがある。
現在「人生の最終段階における医療の決定プロセスに関するガイドライン」というものはあるものの、その基準が法制化されていないだけに、ルールの乏しさが医師を悩ませ、腰を引かせている現実があるようだ。

これが飼い犬の場合だったらどうだろうか?
『エアデールテリア物語』(副題「人にいちばん近い犬」/遠藤貴壽 著/草思社)に、獣医師である著者の飼い犬ペニー(エアデールテリア)の尊厳死について書かれている箇所がある。

ペニーは自己免疫性の疾患で赤芽球癆という難病を患い、その上に右後肢の関節骨折というアクシデントにも見舞われ、もはや回復の見込みのない時期が来たとき、著者の判断でペニーの尊厳を守る死を選んだ話である。

元気なころのペニーは猪猟に優れた犬で、どんなに強い猪を相手にしてもペアで組めば容易に咬み止めることが出来、その猟欲と闘争心は比類がないほどの犬ということだ。

病状の悪化が死を待つしかない状態に陥いったときの著者の判断は、「人だけでなく犬にもその存在にふさわしい尊厳死というものがあるはずだ。そしてペニーの尊厳死は、戦いのなかにこそあるべきだ。」というものだった。

ペニーの最後は咬み殺し訓練だ。
貧血で少しでも動くものなら意識が朦朧とするであろう時期に、100キロはゆうにある猪に立ち向かわせたのだ。

その日の朝、著者はペニーに次のように問いかけている。
「ペニー、おまえ、このまま病院で死ぬんがええか?それとも今日猪と戦って死ぬんがええか?」
飼い主のその言葉が犬に通じたかどうかは疑問だが、きっと思いは通じたことだろう。

訓練所で大きな猪に咬みつき、振り払われても振り払われても尚も咬みつき、余力尽きて目を閉じたままでの状態で這うように寄り付いて、最後まで戦うことをやめずに立派に最後を全うしたということだ。

犬に感情があったとしても、飼い主でもその気持ちを完全に理解することは出来ない。
たとえ、専門家であっても然りだ。

著者もこれを「自分のエゴか」と問いかけているが、心のある限りを傾けて愛情を注ぎ、最後までその能力を引き延ばし育てたのだから、その決断に私は納得する。

犬に限らず、話すことの出来ない動物たちは自分の意思を言葉として伝えることが出来ない。
訴えることが出来ない。
それでもその表情やしぐさから彼らの意思をある程度汲みとることの出来るのは、愛を注いで飼育した飼い主だからこそだ。
要は愛情を注いだ対象に対して、飼い主の満足する方法で旅たつ瞬間を見守ることだと思う。

先に死んだ我が家の飼い犬コロはどうだろうか?
大好きなタイプライター「エルメス2000(Made in Switzerland)」を枕代わりに、家族を眺めながらこと切れた。

Koro315

 

 

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