2011年4月23日24日の気仙沼

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    気仙沼市唐桑町にの甥一家が東日本大震災で津波の被害に遭遇。お見舞いに駆け付けた時の撮影。

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2019年9月 7日 (土)

詩心のあり処

「松の事は松に習へ、竹の事は竹に習へ」

「物に入て、その微の顕て情感るや、句となる所也」

伊賀蕉門の中心的な人物で芭蕉の教えを受けていた服部土芳(はっとりどほう)の随聞録「三冊子」の中から芭蕉の俳論(言葉)

松のことが知りたければ、松に聞けばいい。
竹のことが知りたければ、竹に聞けばいい。
人に聞くよりも、直接その物に向き合った方が、物の本質は見えてくる。

しかし、松や竹に習うということは、人から習うより難しい。
では、どうすれば松や竹は語ってくれるのか?

『自分が物(自然)の中に入っていって、その物の中に息づいている幽かな動き、いわば「生命の呼吸」を自分の心に感じること、その物と我が一つになることであって、そのとき、句は作意なしにおのずから生まれてくるものである。』(「芭蕉と生きる十二の章」大野順一著 論創社)

つまり、私意を去り、物の本質を冷静に見つめたとき美意識が動き句となるわけだ
現実の芭蕉から心の世界の芭蕉へ、主体が入れ替わっていった。
俳句における創造的な詩心の在り処をひたむきに指し示し、心が動く根拠としての物が詩歌の世界に入り込んでいった。

Huruikeya

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