2011年4月23日24日の気仙沼

  • Img_3342_1
    気仙沼市唐桑町にの甥一家が東日本大震災で津波の被害に遭遇。お見舞いに駆け付けた時の撮影。

乱読

« 2019年8月 | トップページ | 2019年10月 »

2019年9月

2019年9月30日 (月)

情報から

(原発利権をめぐる深い闇)
原発利権をめぐる深い闇があらわになった。
関西電力の幹部が高浜町の元助役から3億2千万円を受け取っていたという。
このニュースが飛び込んだ時、一瞬逆ではないかと思った。
関電に渡した?
関電から貰った?
関電に貰ってから後で関電に渡した?

「金品は一時的に各個人の管理下で、返却の機会をうかがいながら保管していた」と。
これで済むと。本気でそう思っているのか?
いずれにしても賄賂だ。

政治家にも関与している者が少なからずいる筈だから、官邸に頼めば、政権の圧力で、警察も検察も恐らく何もしないであろう・・・と。
幹部が得た賄賂は、選挙の時に「自民党に献金」する為に貯めてあるのが実状で、自民党が「原発を止められない」原因になっているのではないか。

(補助金不交付)
「あいちトリエンナーレ2019」に対して、審査され採択が決まっていた約7800万円の補助金について、文化庁がこれを覆して全額を不交付にしたことが議論を呼んでいる。

愛知県の大村知事が裁判で争うと言及。
「表現の自由」への国家 の不当な介入だ。

政界といい、財界といい、どちらも上の方が腐りきっているようだ。

中日新聞の社説リンクより転載する。

Kurokabe

2019年9月29日 (日)

最後は劇的だけど

昨夜はAmazon Primeで久しぶりに映画を観ていた。

下山天監督の『SHINOBI』。原作は山田風太郎の『甲賀忍法帖』。
この映画は、「最新鋭のモーションキャプチャーとVFX技術」を駆使した作品とあるが、モーションキャプチャーって何?
VFXって何?そう思いながら観ていた。

聞き慣れない言葉でも、デジタル用語辞典で検索すればすぐにわかるから観終わって納得する。
ハリッド映画のアクション系とでも思えば良いのかも。

『マトリックス』ではCGがすごいと思ったけど、CGを使った視覚効果のことをVFXと言うらしい。
モーションキャプチャーは、「人体にセンサーを設置し、動きをコンピュータに取り込む技術」だそうだ。

しかしこれは不思議な映画である。
忍(忍者)たちが、手裏剣だけでなく、体内で猛毒を発生させたり、毒蛾を操ったり、何百年も生きている不死身だったりで、一般的な忍者スタイルと違う。
そこに躍動感が出ているものの、私には『SHINOBI』というタイトルに忍者という意味以外に、恋の葛藤を忍ぶ、というイメージが浮かんでしまうのだ。
だからアクションが目立てば目立つほどに映画的リアリズムから遠く離れていってしまうような気がしてならなかった。

所詮、「映画は虚構なのさ」と思っても、逆に現実味を求めたくなるのがこの映画。
だから、やっぱり不思議な映画だ、というのが私の感想。

Nin

伊賀と甲賀はもともと敵対関係にある忍者の二大勢力。
長い戦乱が終わり、泰平の世が訪れたときに敵対する忍(忍者)の男と女が出会ったことから話が始まる。
男の名は弦之介(オダギリジョー)、女の名は朧(仲間由紀恵)。

徳川家康は次期将軍を決定するために、伊賀と甲賀を各5人の忍によって戦わせた。
最後に残った一人が駿府に上り、次期将軍を決するというもの。
伊賀・鍔隠れから党首に選ばれたのが朧。甲賀・卍谷の党首は弦之介。

合わせて10人の忍が繰り広げるサバイバルバトルは人智を超えたアクション。
このアクションばかりが目立って、二人の愛と葛藤のイメージが薄らいで、それを思わせるものが最初と最後にしかない。
つまり弦之介が亡き母の形見である櫛を渡し、ハヤテ(鳥)の立会いの元、二人だけで祝言を挙げた場面。

ここでは、宿命といえども二人を引き離すものは決してないという見方もできるわけだが、一方で、朧は弦之介と結ばれるのは「夢の中のみ」と確かに言い切っている。
最後は「お前と出会えてよかった。頼みがある。里のことだ。」と言い残す弦之介を殺めてしまう朧。
弦之介は、最後まで忍の戦いを拒否していたと見えるが、自分が死んで朧を存在させておくことで、400年続いた忍の術を彼女に託して死んでいくようにも見えてくる。
そこが、このタイトルが『SHINOBI』であるゆえんなのかな、とそんな気もしてくるのだが・・・。

2019年9月27日 (金)

SOSのサイン?

久しぶりにスポーツクラブに行った。
サルサレッスンの日だが、1カ月近く休んでいたので振りが全く分からないからリズムに乗れない。
先生や左右の人の振りを見て、わが振りをなおすのだがワンテンポ遅れてしまう。
おまけに足にしびれが走って、時計ばかり眺めていた。

帰りがけに、甘いものを食べたいという抑えがたい衝動が起き、スポーツクラブの下のスーパーで「お萩」を買って帰った。
普段は甘いものを殆ど買わないが、ここのところの病院通いで疲れが溜まっていたのだろう。
体からのSOSのサイン・・・かも。

ところで、彼岸に付き物の「ぼた餅」と「お萩」について、その呼び名の違いは地方によるものかと思っていたが、春の彼岸は「ぼた餅」、秋の彼岸は「お萩」というのが正しいようで、ちゃんとした根拠があるようだ。

以下は『お菓子な歳時記』(吉田菊次郎著/時事通信社)より

『餅にまぶされた餡が、まるで牡丹を思わせる華やぎを持っているようだ、とのことからの命名されたのです。これとは別に、萩の餅とした上品な呼び方もありますが、縮まって「お萩」の方が通りが良くなっています。これはまぶされた小豆の粒が、咲き乱れる萩の姿に見えるからといいます。』


Sanpo_20190927235001

2019年9月26日 (木)

Pinterest(ピンタレスト)

パソコンを開けたら「Twitter記念日おめでとうございます」と画像が飛び出してきた。
登録日が2009年9月26日で、今日で10年ということだ。
登録当初は頻繁にツイートしていたが、ここ数年は全く使っていないので使い方を忘れてしまっている。
新しいもの好きというか、 アンテナを高く伸ばしているので 情報キャッチが速いが、飽きの来るのも早い。

ツイッターは、今やアメリカのトランプ大統領までが世論を喚起し、情報源として最も新鮮である。
一方で、不用意なツイートが、次から次へと拡散されてボロクソに批判をされ炎上する。
要は使いようである。
Twiter

そんなツイッターをはじめとして、Facebook(フェイスブック)やInstagram(インスタグラム)などのSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)が大ブームであるが、これらのツールは「過去に何をした」とか、「今何をしているか」といった内容のものが主である。

これに反して、未来志向の情報を自分のボードに集めるPinterest(ピンタレスト)というツールがある。

「Pinterest(ピンタレスト)は、ピンボード風の写真共有(英語版)ウェブサイトでユーザーはイベントや興味のあること、趣味などテーマ別の画像コレクションを作成し管理することができる。また、他のピンボードを閲覧して自身のコレクションか「好み」の写真として画像を「リピン」することもできる。」(Wikipediaより)

簡単に言えば、画像をブックマークとして集めるツール。
このピンタレストを私もやっているが、かなり重宝している。

例えば旅行に行くときに、行先のおすすめ情報が自分の好みで調べられる。
また、DIY好きの私は、写真を見ながら参考にしている。

参考までに私のサイト。
https://www.pinterest.jp/fwkv7748/
↑これも、最近やっていないけど(笑)


検査で病院をハシゴしていたが、甲状腺は腺腫。
膝裏の違和感は脂肪腫。
共に、悪性のものではなく様子見。

Photo_20190926225001



2019年9月25日 (水)

メディアの取り上げ方

安倍首相お膝元の山口県下関市で発行されている「長周新聞」という地方紙が、れいわ新選組山本太郎代表の全国行脚(今は北海道)を大きく取り上げている。

山本代表の街頭からの発信に大勢の人が立ち止まり、演説に耳を傾け、寄付をする・・・こうしたことはメディアが取り上げなくてもSNSで拡散されるが、NETをやらない人は知る由もない。

「長周新聞はいかなる権威に対しても書けない記事は一行もない人民の言論機関として1955年に創刊されました」とある。

今回、長周新聞は、北海道まで帯同したようで、「大手メディアがれいわ新選組の活躍を黙殺しているなかで、どうして山口県に拠点を置いている長周新聞は1面トップで自由に報道できるのか」についても、詳しく書いている。

Narita1


さて、一方で小泉進次郎環境相、ニューヨークの国連本部で開かれていた「気候行動サミット」に出席して、ステーキ食べたとか、セクシー発言とか・・・外交デビューでいきなりやっちゃった。

「毎日でもステーキが食べたい!」
専門外での抜擢と言っても、仮にも環境相という立場を欺くような行動に出ちゃった。

畜産は地球環境にものすごく多くの負荷をかけていて、環境問題と大きく関係している。
牛のゲップはメタンガス(温室効果ガス)の排出につながり、地球温暖化の要因になっている。
放牧のための森林伐採や、牛が草を食べつくすことにより、土壌は支えを失って、わずかの雨でも流出してしまう。

牛肉が気候変動の一因と問題視されている事を知らなかった?
国連気候行動サミット中に、牛肉を堂々と食べた日本の環境大臣は空気が読めないのか、無知なのか・・・?
環境大臣としての役目がまったく果たせていない。

それでも断トツの時期総理大臣候補?

Narita2

 

2019年9月24日 (火)

Google Map

出かけるときにGoogleの地図機能「Google Map」を利用するが、大抵は徒歩と電車でのルートを検索する。
電車の場合は時刻表まで出てくるので、かなり重宝している。

私の場合、自転車で移動することが多いので、自転車でのルートがあると「自転車で目的地まで何分か」が、わかるので助かるのだが・・・、マップの上の部分に自転車のアイコンがあるものの、灰色のアイコンになっていて機能しない。

調べてみたら、日本では使えない。
理由は、日本ではまだ全国的に自転車専用道路「自転車レーン」が整備されていないから、ということのようだ。

 

「Googleマップの自転車ルートの使い方!検索が使えず時間計算できない?」というサイトで、Googleマップの自転車移動の所要時間と徒歩移動の所要時間の差について書かれている。外国の自転車レーンのあるマップで測定したのを例に、掲載されていたので参考にすることに。


約片道8.1kmの平坦な道のりの経路、徒歩移動で所要時間は1時間44分。
同じ経路で、自転車での移動所要時間は32分と表示される。
これは渋滞のない時間帯での計算で、自転車の平均速度は15km/h、マウンテンバイクなどのバイクだと20km/h。
この結果から、徒歩の所要時間の1/3程度の時間で自転車の所要時間を計算することができる。

上記サイトを要約したもの。

要は、日本で自転車のルート計測と所要時間を算出する場合は、徒歩ルートを使い、そのの所要時間の1/3程度ということで、自転車移動所時間が予測できる。

Den

2019年9月23日 (月)

荒れたお彼岸中日

歩きつづける彼岸花咲きつづける  種田山頭火 「草木塔」より

(注)秋の頃とて、歩き続ける道の両側が、一面彼岸花で彩られている様を詠んだ句。

彼岸花のイメージは、秋の彼岸の頃に咲く赤い花、お墓に咲く花、死者の血を吸って咲く花、不吉な花とも言われる。
摘み取ってはならない花とも言われる。
「彼岸花が咲きつづける」とは、死者が絶え間ないことの象徴である。
その彼岸花が、道の両脇に 歩いても歩いてもどこまでも咲き続いている。

一方で「歩きつづける」とは、出家をし、旅をさすらった山頭火の歩いてきた長い人生とも重なる。
つらい浮世で命をつなぐ唯一の方法が、歩き続けることだったに違いない。
20_20190923201801 
折しも、今日は秋分の日。
彼岸日和とはいかない、一日中風の強い荒れた日だった。
入りにお墓参りを済ませたので、今日の中日は家の中で至極のんびりと過ごした。


9月は台風の季節だ。
台風第17号は、西日本に暴風と大雨で大荒れの天気になったようだ。
 気象庁の発表では「台風第17号は今朝の9時に日本海で温帯低気圧に変わった」とある。
とは言うものの、勢力が落ちるわけではなく、強風の吹く範囲はむしろ広がるそうだ。
台風ではなくなったとはいえ、油断は禁物といったところ。

台風15号の被害を受けた千葉県でも前線などの影響で強風が吹いて、屋根の補修で覆われていたブルーシートが飛ばされる恐れがあるようだ。
こちら愛知では直接影響はないと言っても、朝は横殴りの雨が猛烈だったし、まだ強風が続いている。
季節外れの蒸し暑い日だ。

2019年9月22日 (日)

新聞記事から

今朝、船橋の義妹からLineで「今朝の東京新聞(中日東京版)に、れいわの山本代表の記事が写真付きで載っているよ。『憲法を変えようとする人 怪しいと思え』との見出しで。」と言ってきた。

我が家も中日新聞だから確認したが、こちらは2面に「消費税5%で野党結集」のことが主で、憲法のことはほんの少し。

WEB版の東京新聞で記事内容を確認してみた。
1面で『憲法を変えようとする人 怪しいと思え』
2面の「核心」では『生きていたい世の中に』

もともと憲法は、主権者たる国民が権力者を縛るために 制定されたものである。
改憲して、国民が国を縛る憲法から、国が国民を縛る憲法に変えようとしているわけだ。
要は国民の意見を無視して、国家を好きなようにするためなのだ。

改憲されたら権力者のしたい放題が始まる。
絶対にさせてはならない。

いつの選挙の時も、深く考えずに掲げられた選挙公約だけで判断し、自民党候補者に票を入れる人がなんと多いことか・・・。
これの繰り返しで、日本の社会は劣化した。

10月から消費税が上がるが、増税を支持したのは「国民」である。
票を入れた責任は極めて重大。
選挙を棄権すれば与党(自民党)を支持したことになる。

いい加減に目を覚まして欲しい!

Nagata

 

2019年9月21日 (土)

情報から

9/19、福島第一原発事故をめぐり強制起訴された東京電力の旧経営陣3人に対し、東京地裁は無罪判決を出した。
時事通信に掲載された19日の首相動静一覧の午前中の部分には次のようにある。

首相動静(9月19日)2019年09月19日22時06分
 午前8時現在、公邸。朝の来客なし。
 午前8時51分、公邸発。同52分、官邸着。
 午前9時35分から同50分まで、大谷直人最高裁長官。
 午前10時29分、ニュージーランドのアーダーン首相を出迎え。記念撮影。同30分から同36分まで、儀仗(ぎじょう)隊による栄誉礼、儀仗。
 午前10時38分から同11時46分まで、アーダーン首相と首脳会談。同50分から午後0時9分まで、共同記者発表。同11分、官邸発。同12分、公邸着。安倍晋三首相夫妻主催の昼食会。

言うまでもない、東京地裁で東電の旧経営陣3人に対して無罪が言い渡された、その日の朝に最高裁長官の大谷直人氏が官邸を訪れているのだ。
たった15分の面談と言えども、判決日の朝に最高裁長官がいかなる用事で官邸を訪れたのか・・・。
こんなことがまかり通るようでは日本の三権分立はあったものではない。
ほんとうに日本はどうなってしまったのだろうか。

もう一つ、昨日のラグビー戦を、わざわざ日本代表のTシャツを着て観戦した安倍首相。
安倍晋三公式Twitterには「トライに次ぐトライで見事な大勝利。本当に素晴らしい熱戦で、ずっとエキサイトしっぱなしでした。日本代表の皆さん、おめでとう!」とツイートしている。

台風15号による被害発生から約2週間になるが、台風に一切触れずこのはしゃぎようで、さすがにTwitterが炎上した。
千葉県民のことを考えたら、ラグビーで大はしゃぎしているツイートなんてできない。
これが一国の総理大臣なのだ。
ほんとうに日本はどうなってしまったのだろうか。
これでも安倍政権を支持しますか?


一方で「れいわ新選組」の山本太郎代表は、18日の北海道を皮切りに、全国キャラバンに乗り出した。
18日は北海道の最北・稚内市での「おしゃべり会」(対話集会)

太郎さんの主張する「消費税廃止」について、疑問を持つ人が多い。
そうした疑問についても、「おしゃべり会」で丁寧に説明している。
京大教授藤井聡氏も、消費増税が日本経済を破壊するとし、「山本太郎の主張は何ら根拠のないものではない。消費税を廃止して財源をどうするとはよく聞かれる。所得税の累進性強化と法人税率アップでいくらでも財源は捻出できる。逆進性の強い消費税は廃止すべきだ。」と言っている。

なにはともあれ、稚内のライブのYouTubeをご覧ください。

「れいわ」支持者でない人が質問にたち、何度も何度も「僕は山本太郎さんのことは嫌いです」「れいわ支持者でない」と、言い放っていたが、そんな人に対しても「山本太郎は嫌いでも、れいわは好きになってください。」「山本太郎が嫌いな、そんな貴方を僕は好きなんです。」と、切り返す器の大きさを感じる。

2019年9月20日 (金)

書くこと

更新作業をしようと思いココログを立ち上げるのだが、いっこうに文章にならないときがある。
公の眼に触れることを思うと、どうしても肩に力が入ってしまう。

書くことは決まっていて、winndows10に付属しているメモ帳に箇条書きに書き出していくが、箇条書きしたものを文章としてつなぎ合わせるのに苦労する。

もう一つは、文章の末尾を「敬体」か、「常体」かで迷う。
「です。」「ます。」調にするのか・・・敬体、
「だ。」「である。」調にするのか・・・常体

物書き教室に通っていた時、「文末は揃えろ!」と教わったので、私の場合は常体で統一しているが、それにこだわるあまり、文章にリズムやトーンがなくなることが頻繁にある。
文末を常体で結ぶのが、どうしても難しいときは体言止めを使う。

名文、美文、悪文、醜文と、さまざまな文章が世にはびこっている。
学校でもそうだが、物書き教室などでも、名文、美文をお手本に、それを強制させて文章を書かせるところもある。
それも一つの尺度でもあるが、みんながみんな名文、美文では面白みがない。
悪文を推奨するわけではないが、悪文と言われるものの方が個性的だし、ずっと面白みがある、と私は思う。

女性の知的魅力の一つとして、文章力というとらえ方もあるわけで、手紙や日記、エッセイ等で書く力を伸ばすのも良い。
それが悪文であっても、その下の醜文にならなければ、書いているうちにセンスの良い文章になるのだろう。

Isiyamadera
石山寺屈指の名僧朗澄大徳ゆかりの庭園


2019年9月19日 (木)

三回まで

失敗をしでかしたり、約束事を果たさなかったりした時に遣う言葉に「すみません」「ごめんなさい」という便利な言葉がある。
これを連発された時には良い気分はしない。
私自身もこの言葉をしばしば遣うが、一回までに留めるようにしている。
同じ失敗は繰り返さない、約束は必ず守るよう心がけているつもりだから連発する必要はない。

約束事は、三回までは待てるけど・・・
つまり、ある用件を約束しておいて、それを果たせなかったので「ごめんなさい」と弁解される。
一回目は、ああ~そういう事情だったのかと納得。
同じ用件を再び約束する。
また、「すみません。これこれ云々だったんです・・・ごめんなさい。」
う~ん、しょんないなぁ~
もう一回だけ、待つとしよう。
三回目の約束を取り付ける。
三回目も実行されない。
またまた「ごめんなさい、ごめんなさい。すみませんでした。」

一体、どうなっているんだろう。
同じ用件での約束に於いて、三回までは待てるが、それまでに約束が果たされないならば、相手に誠意がないということだ。
こういうことが、ときにある。

子どもが何か悪さをした時や、親の言いつけを聞かなかった時に、三回までは我慢して優しく注意をする。
三回で聞き分けることが出来ない時は、ピンタの一つや二つ食らわしてやった方が子供のためにもなると思うが、相手が大人ではそれも出来ない。
子供にピンタは体罰になるんですか・・・ね?

Naritaya

 

 

2019年9月18日 (水)

Windows XP

飼い犬のミニチュアダックスが死んでから、犬のいた部屋の押し入れに保管してあったディスクトップのXPを取り出し、立ち上げた。

Windows XPは、2014年の4月にサポートが打ち切られているが、とにかく操作が簡単で使い勝手が良かった。
廃棄するのは忍びなく保管しておいたわけだ。
NET接続ではリスクはあるというものの、未だに起動はスイスイ。
私のパソコン歴の中でも、一番の名OSであることに間違いない。

ハードディスクに残っているデーターや、MOに保存されているものを開いてみた。
特にMOに保存しておいたものは、昔の写真の数々や、HPに設置していた画像などのバイナリファイルが添付可能な掲示板「Joyful Note」や「あすか掲示板」のログ等。
一つ一つを見直してみて懐かしさがこみ上げてくる。

この年になれば、これからの道よりも振り返る道の方がずっと長い。
パソコンはNETで世界中の情報を瞬時に得ることができるし、自分からも発信できる。
そうした便利さを利用して、自分の記録を何もかも投げ込んで自分の住まいのようにしていた。

その私の住まいに偶然の成り行きで足を運んでくれた人たち、そして自然消滅してしまった人たちの記録に、旅に出たときのような遥けさの感情が湧いてくる。
遥か遠くの景色を眺めたときに起こる心の衝動のようなものだ。

旅が日常生活からの脱出であるとすれば、パソコンのバーチャルリアリティーな空間も実生活の煩わしさからの開放なのかもしれない。
そう思えば、残された記録に遥けき心が伴うのは当然なんだろう。

Xp

若い人なら、遥かかなた未知の世界に飛びたつことができるだろうが・・・

まあ、私は何やら遥けさとか遠さを覚えるにとどまる。

2019年9月17日 (火)

「木梨憲武展 Timing -瞬間の光り-」

松坂屋美術館で開催されている「木梨憲武展 Timing -瞬間の光り-」に行ってきた。
とにかく色相が豊かで鮮やかなトーンから、 木梨さんの自由な作風の中に意志を感じた。

動画でなければ、撮影OKということでスマフォで数枚を撮ってきた。

木梨さんと言えば、「とんねるず」という名前で石橋貴明さんとお笑いコンビを組んでいた人だ。
「とんねるず」は、バブル期に人気番組『ねるとん紅鯨団』という、素人参加の集団見合パーティー番組で司会をしていた。
「ちょっと待った!」から、「どんでん返し」が面白くて、深夜番組であるにもかかわらず、毎週見ていた時期が懐かしい。

そんな木梨さんが絵画(他にもドローイング、映像、オブジェ)の方で個展をされているのは、最近知ったばかりだ。
すでに25年余ものアート歴だそうだが、忙しい芸能活動の中で続けられているのは凄いことだ。

いいタイミングで、ことが起こると
表現したくなる!
だから絵を描いて表現することは
とても自然な作業です。
かたちになっていく時間は
とても幸せです。

↑上は木梨さんの走り書きだが、自由でユーモラスな独特の世界観に引き込まれた。
10/20(日)まで開催。

Nori Nori3

Nori2

2019年9月16日 (月)

秋は、これから

9月も中旬になるというのに、蒸し暑い日が続いている。
台風15号の影響で、千葉県内では未だ停電、断水が続いている地域があるが、市民生活も限界に達していることと思う。
一日も早く元の生活に戻れるよう願うしかない。

秋は、これから柿が色づき、栗が実り、街路樹にもたわわに実がなって瑞々しい息吹きを伝えてくれる。
その一方で花の終った雑草の淡々とした淋しさもある。
それら全てが詩情をそそるのだから、秋こそ詩情豊かな季節と言えよう。

昨日は八木重吉の詩『貧しき信徒』の中から「お月見」を引用した。
その続きを少しばかり。

(風が鳴る)

とうもろこしに風が鳴る
死ねよと 鳴る
死ねよとなる
死んでゆこうとおもう


(柿の葉)

柿の葉はうれしい
死んでもいいといったような
みずからをなみする
そのすがたのよろしさ

(『貧しき信徒』より)

上に抜き出した二編からだけでも伺われるように、八木重吉の詩には「死」という言葉が頻繁に使われている。
しかし、この詩で歌われる「死」に、なんの不安も感じられない。
風になびく「とうもろこし」は、「死ねよ」と鳴っているから死んでいくのだ、と躍動感さえ感じる。

生あるものみな死んでいく、当たり前のことを当たり前として認識できないのが人間の常だが、病に明け暮れ死を意識した重吉の目には、自然のものとして「死」を受け止めることが出来たのだろう。

「柿の葉」に死への意識をたくす彼の境地は、自らに残された生の短さを思う極致だったのでは・・・。

Hosigaki
 

2019年9月15日 (日)

満月の翌日

中秋の名月も過ぎ、今日の月は満月の翌日で、現時点の月齢は15.9。
欠けていく月のサイクルに入る。

青空文庫ファンの私は、この時期になると思い出しては読んでみる八木重吉の詩の数々。
中でも『貧しき信徒』の中にある「お月見」は、良き時代の子供のころが思い出されて懐かしい。

(お月見)
月に照らされると
月のひかりに
こころがうたれて
芋の洗ったのや
すすきや豆腐をならべたくなる
お月見だお月見だとさわぎたくなる

庭に小さなテーブルを出して、その上にススキを投げ入れた花瓶、月見団子、芋や果物を備えたものだ。
家族で満月を見ながら、しばしの団欒を楽しんだ記憶が蘇って来る。
子供のいる家では、今でもこういうことをしているのかな?

熱烈なキリスト教信者であった八木重吉は、1898年に生まれ、1927年の10月26日に肺結核で死んでいる。
29年という短い生涯の間、病苦と闘いながら信仰の詩を書きつづけてきた。
代表作『貧しき信徒』と『秋の瞳』は、青空文庫で読めるから一読をお奨めする。

1_20190915153701


(備忘的メモ)
・画像をUPする時、向きが正常に表示されない場合、画像をペイントで開き、JPEGで保存する。

2019年9月14日 (土)

焼き鳥

「焼き鳥」のうまい、まずいは、その素材や焼き具合にもあるが、なんと言っても串打ちのバランスにあるわけで、私が好んで食べるねぎまの、肉とネギの串に刺された間隔が悪いとチェッと舌打ちしたくもなる。
文章も「焼き鳥」と同じようなものでバランスが必要だと思っている。
真面目で控えめで常に道徳的な実生活のなかに好色を描くと、その絶妙なバランスが文章に効果をあげるのだが・・・。

創作の場合、書いていることイコール私ではない。
言えることは、嘘の中にある私の本音である。
私にとって儀礼のなかで生きることは切実なので、嘘も一瞬の本音だったか、と思ってもらえればいい。
表裏であるはずの怠惰と勤勉、貪欲と無欲が独りの人間のなかに存在するように、道徳的な儀礼と好色もまた一人の人間のなかに存在するはずだ・・・と、念押ししておく。

下記サイトは、私の創作のサイトである。

Photo_20190914235301

2019年9月13日 (金)

中秋の名月

暦によると、今宵9月13日が十五夜の月「中秋の名月」ということだ。
外に出てみたら、鮮明な輪郭の月がくっきり浮かび、暗闇の庭の芝生の上に月光がやさしく降り注いでいた。
芝生は濡れたように光っている。

今日のMRIのCD曲は何だったか?
今日はピアノ曲、リラクセーション・ピアノ・・・
そんなことを思いながら、月光の下をふらふらと歩いた。

膝裏のMRI検査の結果は、ベーカー嚢腫ではなかった。
脂肪腫のようにも見えるが、通常の様相と違うということで「レポートを提出したい」と言われた。
その所見結果を待って、治療方針が決まるということだ。

ここのところ、身体的な機能の変化で病院のハシゴをやっているが、そんな年になったわけだ。
まあ、気にし過ぎずにリラックスしてやって行くしかない。

いつの間にか白い流れ雲が、月に掛かっていた。

中秋の名月とは、旧暦の8月15日の月のことを言いうが、この日が必ずしも満月とは限らない、ほとんど満月くらいの日。
ほとんど満月くらいの日という曖昧な言い方の理由は、月の周期にある。

月の動きの周期は、新月から次の新月まで約29.5日で、一ヶ月を表す30日よりもほんの少し短くなっています。そのため、だいたい新月から 15日目が満月になるものの、大体1~2日の誤差がでるのが通常です。
 これにより、「秋分の日(9/23)以前の朔日(新月の日)から起算して15日目」と定義されている中秋の名月は、必ずしも満月になるとは限 らないのです。

月の周期の約29.5日の半分である15日前後は必ず満月になります。
 そのため、15日を十五夜と呼ぶようになりました。旧暦の8月15日も、十五夜のうちの1つです。
 誤解されがちなのは、天文学上の満月と十五夜は必ずしも一致しないということです。むしろ、異なる場合のほうが多いです。
 この理屈は、中秋の名月が満月ではない理由と同じです。
(ぷち知恵袋)

Meigetu  Meigetu0<br><br><br><br><br><br><br><br><br><br>

 

 

再び十三夜月

雲をりをり人をやすめる月見かな 芭蕉

名月を見ていると、ときどき雲に入ってくれるからこそ我に返れる。そうでなければ自分を忘れてしまいそうだというのである。

(真蹟懐紙)


門扉を閉め忘れたことに気づき、庭に出ると、芝生の上に月影が映り、空には美しい十三夜月がくっきりと出ていた。
急いでスマフォ取りに家の中に入った。

ほんの数分のことだったが、月にカメラを当てた時には、月の下に雲が幾片か浮かんでおり、シャッターチャンスを逃がした。

Moon Moon2

2019年9月12日 (木)

十三夜

今日は十三夜。
あいにくの曇り空で、月は雲の向こうに隠れている。
重く湿った空気のなかに月はおろか、星ひとつも見当たらない。

ベッドの中でボーッとしていると意識が遠くなっていく感じ。
遠くの方でナフタリンの臭いがして来る。

うつらうつらのなかで夢を見た。
私は見覚えのない小さな子供と、白いトラックの荷台に乗っていた。
荷台には幌馬車タイプの黒いテントが張ってあり、中は暗い。

目的地に着いたところで、私と小さな子供は荷台から降りた。
子供の着ている服に、飴色に光るものがぎっしりと動いている。
目を凝らしてみると、それはアリの行列だ。

払っても払っても取れない・・・。

夢で出会った子供は、もう一人の自分の姿なのか?
子供のころの懐かしい自分を思い出したのでは~?
アリが出てきたのは、眠る前にナフタリンが気になっていたから?

初秋の夜の夢?!
小さな子供と、白いトラックと、そして、飴色に光る無数のアリ達?!
フロイド博士に訊いてみた。

夢で蟻の行列を見る場合は、働き過ぎなどの原因で、あなたが疲れてしまっている状態を表します。
また、そのせいで大切なものを失ってしまう可能性も。

疲れていると、普段はやらないようなミスも出たり、物事がはかどらないことが増えてしまうものです。
とにかくまずは休養をとるようにしてみましょう。心理学ラボより

夢は夢に任せて、あまり深く考えない方がいいのかもしれない。

Ayuturi

 

2019年9月11日 (水)

千葉の災害復旧に全力を

台風15号の影響で、千葉県ではいまだ停電や断水が続き、復旧の目処が立っていない地域があるという。
安倍政権は災害対策よりも内閣改造人事を優先している感がある。

昨日のテレビは、内閣改造の話で持ち切り。
小泉進次郎が初入閣ということで大騒ぎの状態だった。

今日発表された安倍内閣の閣僚の顔ぶれを見ていると、安倍総理の意向に忠実な人物だったり、安倍総理個人のお友達を一同に並べた感じがしてならない。
ということは、憲法改正に照準を定めた憲法改正まっしぐら内閣ではないだろうか。

閣僚の人物像をNET検索していたが、リンクをたどりながらページを開いていくと、新聞やテレビでは報道されないような裏話も出てくるわけだ。
真偽のほども定かでない人の噂話にのって、政権の先行きを心配しても仕方がないので、これでしっかりやって貰うしかない。

今日のテレビのワイドショーは、小泉進次郎の環境相初入閣のオンパレードで「娯楽的な政治ネタ」になっている。
人気取り目的か・・・。

用心すべきは、小泉進次郎がジャパンハンドラーの操り人形であることだ。
CSISの指導を受けて「手先」になろうとしている。

その一つが、彼が農林部会長に就任したときの日本の農業改革だった。
「農協解体」「戦後自作農体制の終焉」を狙い、全国の地方の大規模農地化を行い、共存共栄で株式会社への転換を迫っていたが、それもこれも、米国政府の要求を受けてのもの。
その改悪が、農家の人たちに手口を見破られ失敗に終わっている。

今回の内閣改造について、いろんな人がコメントを寄せている。
「れいわ新選組」の山本代表がコメントを求められて「でがらしお友達内閣に関してのコメントは特にございません。そんなことより、千葉の復旧に政府として全力を注いでください。」と。

全くその通りだ。メディアもコメント求めてる暇あったら、千葉の現状をもっと報道すべきだ。
災害復旧、今それが一番大事!

Img_3729

2019年9月10日 (火)

飼い主の満足する方法での旅立ち

実弟が膵臓癌の終末期にあった今年の4月に「終末医療」について調べてみたことがある。
現在「人生の最終段階における医療の決定プロセスに関するガイドライン」というものはあるものの、その基準が法制化されていないだけに、ルールの乏しさが医師を悩ませ、腰を引かせている現実があるようだ。

これが飼い犬の場合だったらどうだろうか?
『エアデールテリア物語』(副題「人にいちばん近い犬」/遠藤貴壽 著/草思社)に、獣医師である著者の飼い犬ペニー(エアデールテリア)の尊厳死について書かれている箇所がある。

ペニーは自己免疫性の疾患で赤芽球癆という難病を患い、その上に右後肢の関節骨折というアクシデントにも見舞われ、もはや回復の見込みのない時期が来たとき、著者の判断でペニーの尊厳を守る死を選んだ話である。

元気なころのペニーは猪猟に優れた犬で、どんなに強い猪を相手にしてもペアで組めば容易に咬み止めることが出来、その猟欲と闘争心は比類がないほどの犬ということだ。

病状の悪化が死を待つしかない状態に陥いったときの著者の判断は、「人だけでなく犬にもその存在にふさわしい尊厳死というものがあるはずだ。そしてペニーの尊厳死は、戦いのなかにこそあるべきだ。」というものだった。

ペニーの最後は咬み殺し訓練だ。
貧血で少しでも動くものなら意識が朦朧とするであろう時期に、100キロはゆうにある猪に立ち向かわせたのだ。

その日の朝、著者はペニーに次のように問いかけている。
「ペニー、おまえ、このまま病院で死ぬんがええか?それとも今日猪と戦って死ぬんがええか?」
飼い主のその言葉が犬に通じたかどうかは疑問だが、きっと思いは通じたことだろう。

訓練所で大きな猪に咬みつき、振り払われても振り払われても尚も咬みつき、余力尽きて目を閉じたままでの状態で這うように寄り付いて、最後まで戦うことをやめずに立派に最後を全うしたということだ。

犬に感情があったとしても、飼い主でもその気持ちを完全に理解することは出来ない。
たとえ、専門家であっても然りだ。

著者もこれを「自分のエゴか」と問いかけているが、心のある限りを傾けて愛情を注ぎ、最後までその能力を引き延ばし育てたのだから、その決断に私は納得する。

犬に限らず、話すことの出来ない動物たちは自分の意思を言葉として伝えることが出来ない。
訴えることが出来ない。
それでもその表情やしぐさから彼らの意思をある程度汲みとることの出来るのは、愛を注いで飼育した飼い主だからこそだ。
要は愛情を注いだ対象に対して、飼い主の満足する方法で旅たつ瞬間を見守ることだと思う。

先に死んだ我が家の飼い犬コロはどうだろうか?
大好きなタイプライター「エルメス2000(Made in Switzerland)」を枕代わりに、家族を眺めながらこと切れた。

Koro315

 

 

2019年9月 9日 (月)

膝を見直す

週一で継続してマッサージの施術を受けているが、施術者に左足の浮腫みが取れないと言われた。
確かに、最近、左膝裏の違和感を感じている。

左膝の違和感は、左足全体の動きを鈍くしている。
ここ一カ月の間に、自転車の乗り降りでコケること2回。
擦り傷程度で大事に至らず胸をなでおろした。

普通には痛みがあるわけでもないが、階段の上り下りが苦痛になっている。
ヨガで胡坐座を組むときに、圧迫感があって痛みを感じる・・・等々。


今日、2019年9月9日(月)は十日月、月齢9.7で満月までに満ちていく月の後半になる。
月が運行している星座は、昨日から今日、山羊座のエリアにあり、山羊座の力を反映している。

山羊座の私にとって、今日の月が体調に及ぼす影響というのがあるらしい。
山羊座は「ひざや関節」をつかさどる星座ということで、今日は、膝を見直してみることに。

掛かり付けではない、ネット検索で星印の多い整形外科に行った。
今日のところは問診とレントゲン撮影。
レントゲン撮影の結果は骨に異常なしで、考えられるのは「ベーカー嚢腫」という、膝裏に水が貯まりる障害らしい。
レントゲンだけでは判らないからとのことで、金曜日のMRI検査ということで予約を入れた。

Ninnjilya

最近、病院通いが多い私。

「医者に払うより、肉屋に支払った方がいい。――偶諺――」

(「格言の花束」堀秀彦編/221現代教養文庫/社会思想社より)

2019年9月 8日 (日)

詩心のあり処「大海の中で」

眠りが浅いのか、眠らなくちゃいけないという意識があって一方で夢を見ている。

眠っていないのに、意識の中にモノクロの画像が展開していく。

知らない街、知らない場所、情報という大海の中に放りだされたようなものだ。

私は地図を片手に縦横無尽に飛翔することにした。

最初は細心の注意を払って慎重にミクロの世界を徘徊、慣れてくれば巧妙に大胆にマクロの世界を闊歩していた。

大海の中では一個の生物に過ぎない私も、そこを何とかうまく泳ぎ切らなければならないのだ。

溺れず、沈まず、さりとて浮いたままでもなく。

Sora

2019年9月 7日 (土)

詩心のあり処

「松の事は松に習へ、竹の事は竹に習へ」

「物に入て、その微の顕て情感るや、句となる所也」

伊賀蕉門の中心的な人物で芭蕉の教えを受けていた服部土芳(はっとりどほう)の随聞録「三冊子」の中から芭蕉の俳論(言葉)

松のことが知りたければ、松に聞けばいい。
竹のことが知りたければ、竹に聞けばいい。
人に聞くよりも、直接その物に向き合った方が、物の本質は見えてくる。

しかし、松や竹に習うということは、人から習うより難しい。
では、どうすれば松や竹は語ってくれるのか?

『自分が物(自然)の中に入っていって、その物の中に息づいている幽かな動き、いわば「生命の呼吸」を自分の心に感じること、その物と我が一つになることであって、そのとき、句は作意なしにおのずから生まれてくるものである。』(「芭蕉と生きる十二の章」大野順一著 論創社)

つまり、私意を去り、物の本質を冷静に見つめたとき美意識が動き句となるわけだ
現実の芭蕉から心の世界の芭蕉へ、主体が入れ替わっていった。
俳句における創造的な詩心の在り処をひたむきに指し示し、心が動く根拠としての物が詩歌の世界に入り込んでいった。

Huruikeya

2019年9月 6日 (金)

虹の橋

今朝、5時30分くらいに庭に出ると、西の空から我が家に向いて見事な虹が架かっていた。
こんな立派な虹は初めてだ。
そもそも、虹を見た記憶もないような気がする。

Niji5

 愛犬が死んだ後だけに、なぜか気になり虹についていろいろ調べてみた。

私は知らなかったが、ペットを亡くした人の間で語られている「虹の橋」という作者不詳の散文詩があるようだ。
ウィキペディア(Wikipedia)によれば、最初はアメリカで流布し、世界中に広がり、日本でも原文や翻訳が広がりを見せているということだ。
「トゥ ハート・ペットセレモニー」 サイトに原文日本語訳があるので参考までに。

要約すると
ペットは旅立った後、天国に行く手前の「虹の橋」のたもとに行く。
そこは広々とした牧草地で、たくさんの仲間と一緒に仲良く幸せに暮らしているけれど、大切な人(飼い主)がいないことだけが寂しい。
そしていつか、飼い主がこの虹の橋のたもとに現れたとき、2人は再開を果たし、一緒に虹の橋を渡って行くという内容だ。

愛犬が待ってくれるのは嬉しいが、待たれてもねぇ~。
私は長生きしたいから待っていなくても良いよ。
早く「虹の橋」を渡って、天国で幸せにやってほしい。
こんなことを言う私って「飼い主として立派だ」と言えるのか・・・自問。

しおり

詩を漁る

水に沈んだ月かげです
つかの間うかぶ魚影です
言葉の網でおいすがる
百に一つのチャンスです

    堀口大學


水に沈む影を追って、百に一つのチャンスを追いかけるようにして、言葉の網で掬い取る如く、 苦労して詩を作るさまが伺われる。

比較にはならないが、昨日のブログで書いたブログ本の間に挟まっていた「しおり」を眺めながら、自分の書いた文章を読み直している。

Siori

2019年9月 5日 (木)

感覚器官が感情に振り回され出した

昨日は、愛犬ミニチュアダックスのコロがこと切れてから、身体を拭いてやり、朝までそばに付き添った。
日が昇り、市役所の始業時間を待ち、死亡届を出しに行った。
その足で火葬場に直行。
火葬場の動物専用慰霊室にある安置台にコロの亡骸を置き、最後のお別れをした。

なぜか涙が出なかった。
昨日は、まだ実感が湧かなかったのか・・・。

旅立ったコロに冷たい奴だと思われないためにもと、犬ブログをまとめた本を取り出して読みなおしている。

コロとの最初の出会いを、次のように綴っている。

Mr.ダックスコロ について( 2004/04/15)

さて、Mr.ダックスコロ について説明しておきましょう。

彼は昨年の7月に私がMSNのNETオークションで落札したミニチュアダックスフンド。
生犬をNETオークションで購入するのは不安だったものの、オークションサイトで写真を見た瞬間に、もう買う気になってしまったのです。
犬の種類は違っても、前年に死んだ犬と顔の表情がそっくりだったからです。
幸いなことに、出品者の方から「実物を見てから購入をするかどうかを判断して欲しい」と言われ、その好意に甘えて静岡県三島の出品者宅まで出かけました。
実物のコロは、ブラックタンのロングコート(平成15年5月31日生まれ)で、オークションに載っていた写真のとおりのかわいい男の子でした。
JKC発行の血統書付、ワクチン5種接種済み。
すっかり気に入って、その場で取引しました。

そろそろ生後一年になるわけで、病気らしい病気もせずに順調に成犬の仲間入りです。

ここまで書いて、さすがの私も自分の持っている感覚器官が感情に振り回され出した。
涙、涙・・・。

Img_0685

 

 

2019年9月 4日 (水)

愛犬の死

下の句は良寛が愛し、書にしたためたほどの漢詩。

君看双眼色(きみみよ そうがんのいろ)
不語似無憂(かたらざれば うれいなきににたり)

(訳)その目を見てごらん
   何も言わなければ憂いなど無いようにみえるだろう。

これは江戸時代の臨済宗の僧であった白隠禅師の句であるが、元はといえば、鎌倉後期の臨済宗の僧・大燈国師の「千峯雨霽露光冷(せんぽうあめはれて ろこうすさまじ)」という句を受けて作られた連句のようなものだ。
そうなると白隠禅師の句の解釈も違ってくるが、今日は、その辺りを素通りで、次のように情緒的な解釈をしておく。

何も言わないのではない。
語れないほどの深い悲しみがあるからこそ、その瞳は澄みわたり光り輝いている。
それは、悲しみの涙を流したあとの輝きである。


今朝がた、0:25に飼い犬のミニチュアダックスフントの方が旅立った。
16年目に入ったところだった。
老衰で2日ほど前から水しか飲まなくなり、昨日はゲージから出て何処に行こうとしたのか、途中で力尽き横たわったままだった。

犬自身、死の予感が確実なものとなったのか、別れを惜しむように見守る家族の目をじっと見つめる。
これが末期の目というのだろうか・・・。
死出の旅に出る前の輝きのようなものを感じた。
そして、最期は静かに眠っているままの感じで事切れた。

Koro_0007 

2019年9月 3日 (火)

ゴロっと お昼寝 タイム

ゴロっと お昼寝 タイムに読んでいた本『裏ワザ・隠しワザ』(素朴な疑問探求会編/河出書房新社)のなかにある、とっておきの妙案を。

◎折れた口紅を元通りに繋ぐ方法

百円ライターにポッと火をつけ、口紅が折れた断面をそれぞれ温める。
すると、ロウソクのように表面が柔らかくなるから二つをドッキング。
常温で半日、そのままにしておけば口紅は元に戻る。

口紅は折れやすいし、折れたものは使い勝手が悪いのでついつい捨ててしまう。
試してみる価値あり。

◎花粉症を和らげる簡単な隠しワザ

ガムを噛むこといいそうだ。
少なくとも5分以上。
より長くガムを噛み続けた人ほど、症状が軽いという。
ただし、ミント系のガムだけだそうだ。

◎満員列車の中で座席を確保する裏技
(どんな年恰好の人の前に立てばよいか?)

・座っている年よりの一人客の前が良いということだ。
 年寄りは、一人で遠出することがまずないからという理由。

・すぐ立てるようリュックを背負ったまま座っている人。

等々、ゴロっと寝ながら読書にちょうどいい本だ。

Kiyouto

2019年9月 2日 (月)

暑さ負け

暑い暑いと口にするだけで風が吹くようにページは流れていく。
先日(8/29)、熱中症もどきでダウンしてから頭が弛緩したままだ。

追い討ちをかけるように、今朝は痛みが走り出した。
のべつ幕なしに、左首筋から頭にかけてズキズキと痛む。

脳の中で、何か重大なことが起きているのでは?
そんな疑念がつきまとったから、脳を輪切りにしてみた。
私の行った病院は、当日の予約なしでOKの上に、即日MRI検査と結果診断が受けられる。

撮影ベッドにあお向けに寝て、顔に剣道の面型のような「コイル」といわれる器具を装着すると、寝かされたベットが移動し超伝導MRI装置の円筒内に頭が入り、撮影開始となる。

そこはは真っ暗な長いトンネルだった。
最初は「コンコン」と木槌を打つ音が鳴り響くが、クラッシックが流れてくるので、狭いトンネルの中でも心地はよかった。
この曲は何だろうか・・・オーケストラをバックにヴァイオリンのソロが際立つ。
「チャイコフスキー ヴァイオリン協奏曲ニ長調作品35」かな?
そう思いながら聞き入っているのも束の間、工事現場のような様々な機械音が断片的にやってくる。

撮影時間が30分近くかかったと思うが、それほど苦痛でもなかった。

撮影後、ほどなくして検査結果が出た。
フィルムをみながらの説明では、脳、頚骨ともに異常なく、特定できる原因なし。
疲れやストレスからでは、とのこと。

最新のMRI検査でパスしたわけだから、それ以上に素人の私が思い悩んでもどうしようもない。
私はかなり単細胞な人間だから、専門医にお墨付きをもらったことで朝に感じた痛みもどこかに吹き飛んだ。
一時的な「暑さ負け」みたいなもの、ということにしておこう。
Garasudama_3557

滋賀県長浜「黒壁スクエア 」のとんぼ玉。

2019年9月 1日 (日)

リブログ「与勇輝人形芸術の世界」

2006年に「与勇輝人形芸術の世界」に行って以来、与勇輝(あたえゆうき)作品のファンであるが、何ということか・・・ジェイアール名古屋タカシマヤでの『パリ凱旋・傘寿記念「与勇輝展」創作人形の奇跡』(8月14日〜8月26日)を見落としてしまった。

残念!残念!

次の開催は9月4日〜16日の新潟展(新潟三越)
その次は11月14日〜11月25日で仙台展(仙台藤崎)
河口湖ミューズ館・与勇輝館に行けば、常時100体が展示されている。

ということで、2006年9月に書いたブログのリブログ。

「与勇輝人形芸術の世界」2006年9月19日

Img_6996 松坂屋本店美術館で開催されている「与勇輝 人形芸術の世界」に行ってきた。
今年2月にパリ・バカラ美術館で初の個展を開いた、その帰国記念展。

パリで発表された映画監督小津安二郎へのオマージュ作品15点を中心に合計54作品、感動を呼ぶ人形120体を一同に鑑賞することができた。
それぞれに個性があふれる人形たち。
人間の形態をこれほどまでに息吹かせることが出来るのか、と驚きの連続で見入った。

創作人形も素材によって雰囲気が変わるが、作品は全て木綿布を使って制作されており、作品一つ一つにおける布の選択が、私にとっては心憎いほどに懐かしい。
多くの作品が優しくノスタルジックで、私が子供だった頃の日常を見るようだ。
制作風景を解説した映像を観たが、作品に添えられている小物、例えば櫛、かんざし、履物をはじめ、桶や火鉢といったものまで全て自身の手で制作されている。
それらの小物を人形と一括りの小物というよりも、「布を用いた塑像」として位置づけ、小物制作に費やす時間も人形本体の制作にかけると同じくらいの多くの時間を掛けているということだ。
それだけにディティールが美しい。
印象に残ったのは、やはり小津映画の風景だ。
『長屋紳士録』の中から荒物屋の「おたねさん」。
『東京物語』の中から老夫婦が熱海でくつろぐシーン。『秋刀魚の味』の「嫁ぐ日」等々。
かつて確かにあった小市民の暮らしぶりや、情緒が伝わってきて、なんだか古きよき時代にタイムスリップした気がした。

小津映画が、親子、夫婦、隣人との繋がりを大事にした日常を淡々と描いた。
1937年(昭和12年)生まれの与さんは、その映画を観て育った。
影響されている部分も多いのだろう、「戦後の混沌とした世の中で貧しく明るく逞しく生きる人々の姿が私の原風景です。」と言う。
映画と人形、創作の表現方法は違っても、そこに流れる風景に心やすまる日常の家庭がある。

小津映画が監督の死後フランスやイギリスで評価が高まり、世界を代表する映画監督の一人になっていることを思えば、今後、与勇輝さんも世界を代表する人形作家として期待できる。いや、パリ・バカラ美術館での個展が大賞賛されたようだから、既にヨーロッパでは根を下ろしているわけだ。

外国人で小津映画が分かる人は、皆インテリばかりと大島監督が言っていたのを、今ふと思い出した。与さんの創作人形展がパリで大賞賛されたのも,
フランスにインテリが多いからかも(笑)

↓作品目録の表紙
_0661

« 2019年8月 | トップページ | 2019年10月 »