2011年4月23日24日の気仙沼

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    気仙沼市唐桑町にの甥一家が東日本大震災で津波の被害に遭遇。お見舞いに駆け付けた時の撮影。

乱読

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2019年8月11日 (日)

リブログ

暑すぎて思考停止。
そんな時、たまにはリブログも良いかな・・・。
ということで、15年前の今日書いた記事をリブログする。

記憶がウソをつく!

「記憶がウソをつく!」(養老孟司×古舘伊知郎/扶桑社)を読んだ。記憶と脳に関する二人の対談集。
雑誌に限らず単行本、文庫本でも対談ものは大賑わい。
ブームと言っても良い。
原稿を書くよりは楽だし、編集者も安易な編集でそれを採用しているのかも・・・。
対談者は、それぞれが自分の持ち幅をきかせるためか、一人が平気で長々と喋っている。
それが自然教訓的だったり啓蒙的だったりして、うんざりする場合が多い。
その点、この本は古舘が記憶に関する不思議や疑問をF1実況中継並みのテンションで投げつけると、養老が脳の働きを交えてクールな口調で展開させていく。

――このコンビは対談の名手、と思った。

年を重ねるると度忘れというのがひどくなるが、作業記憶領域にしまっておいた記憶の出し入れが、一時的に止まった状態になるからという。
パソコンで言えばフリーズ状態で、すぐに元に戻る。
ところが、古舘の場合は喋ることが仕事だから、生中継中に度忘れがあるとウッと詰まるわけで、言葉を続けることに対して過敏になり、一種の強迫観念に陥いってしまうらしい。
・・・強迫観念に陥れば陥るほどにエラーを出ししまうというが、覚えすぎ、やりすぎは、記憶に過負荷がかってオーバーロードを起こすから、何が何でも覚えこむのも良くないらしい。

「記憶がウソをつく」とは極端な言い方だ。
記憶というものは、過去の出来事を上手に繋ぎ合わせてこそ残るものであって、そのとき時の状況に応じて、新たに脚色される、別の言い方をすれば「嘘」である、と養老は言う。
人間の脳全体も年月によって変わるということだが・・・。

絶対音感に関しての話も興味深かった。
人間の耳の構造からいうと、音がそのまま絶対音感で聴こえるのは当たり前。
普通の人は、多少のずれがあっても、メロディーパターンを認識できるが、絶対音感の人は違う風に聴いてしまうから原始的感覚であって、音をズラしても認識ができるほうが、高級な技術だという。
――これは、ちょっとクエスチョンマークもの。

テレビ朝日の看板番組であった久米宏の「ニュースステーション」が、古舘伊知郎の「報道ステーション」に替わってから殆ど見ていない。
あの早口、あのテンションにはついていけない。
・・・疲れるのだ、と思っていたが、古舘もなかなかの博学で脱帽。
いずれにしても、この本は神田古書街で確か100円で買った。
初版第一刷発行が2004年2月20日だから、まだ新しい。
知的好奇心を満たしてくれたし、凄い得をした感じだ。
2004年8月10(火)

Basilyoumasu

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