2011年4月23日24日の気仙沼

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    気仙沼市唐桑町にの甥一家が東日本大震災で津波の被害に遭遇。お見舞いに駆け付けた時の撮影。

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2019年8月 3日 (土)

自然の気配

8月に入って3日目、陰暦で言えば葉月だ。

真夏の昼の太陽が道路のアスファルトをやき、街路樹の銀杏の葉やニセアカシヤの葉っぱをやいている。
冷房に慣れきった私には、外に出ればなんとなく眩暈のしそうな8月の昼間。
マッサージの予約の日だったから、炎天下の中を2キロほどの距離を自転車で出かけた。
アスフアルトの照り返しが、なけなしの体力を奪っていく感じだ。
血行を良くして新陳代謝を促進し、いつまでも健康体であることを目的として施術を受けているわけだが、今日の道中は正直しんどかった。

それでも夜になれば、つい昨日までの熱帯夜が何となく緩みだしたような気がする。
夕刻の庭に散水をしていたら、吹くか吹かぬかの風の気配を感じ取った。
開け放した犬の部屋では、吊り下げた蚊取り線香の煙がかすかに横に流れている。

種田山頭火の今日の日付の日記にこんなのがある。

「風が雨をよんで強くなつた、柿の青葉が吹きちぎられて飛ぶ、風鈴がやけに鳴る、障子をあけてはゐられないほどだつた、――秋近しと肉体が感じた。―中略―
風を観てゐると、ひようびようたるおもひうたれる、風よ汝はいづこより来り、いづこに去るや、と昔の詩人は嘆じたが、私も風を、風そのものをうたいたいと思ふ。」(『行乞記』山口 昭和八年)

梅原猛著『現代の大和ごころ』に興味深い言葉が載っていた。
「風流という言葉は、文字通り『風の流れ』を知る心理のデリカシーを指すといってもよいかもしれない。風の流れとは、自然のけはいである。」 

自然の気配はそこそこにある。
ゲージの中で寝そべっている犬の呼吸が、穏やかになったのも、犬が自然の移ろいを感じ取っているからかもしれない。
秋はもうすぐ、手をのばせばそこにあるという感じだ。

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