2011年4月23日24日の気仙沼

  • Img_3342_1
    気仙沼市唐桑町にの甥一家が東日本大震災で津波の被害に遭遇。お見舞いに駆け付けた時の撮影。

乱読

« 異種 | トップページ | 目からうろこ取り器 »

2019年8月27日 (火)

アフォリズム

齋藤緑雨という名前を知ったのは、朝日カルチャー柳橋教室が名駅南のガーデンビル6階にあったころのこと。
物書き教室で講師の清水信先生にアフォリズムについて習ったときである。

その時のノートには次のようにある。

アフォリズムを一言でいうならば「凝縮し、省略した短い文章で、人生の真実を表現した作品」となる。
以下、アフォリズムと他との違いを簡単に言うと、

・ことわざには故事来歴(ストーリー)があるが、アフォリズムには社会や時代(批判精神)がある。
・格言は善意の(甘い)人生訓、アフォリズムは辛口の人生訓。
・一行詩は個人への呼びかけの気持ち、アフォリズムは万人向きの論。
・短詩型文学の基盤は叙情や写生、アフォリズムの基盤 は現状把握と批判再建。

(見本として齋藤緑雨アフォリズムを清水信 訳)
・昔のちょうちんも持ちは、前に立って暗闇を案内したが、今のちょうちん持ちは人の尻について歩くだけ。

・真実、誠実、堅実、確実。これらの言葉は「実」の活用形にすぎなくて、実態の乏しいものである。

二つとも、まさに言い得て妙だ。
上の二つを真似てアフォリズムを自分で作ろうと試みたものの、難しくってとてもできない。
真実を言い当てながら歯に衣を着せぬ物言いで、面白く表現するのは非常に困難なのだ。
世の中に対しての批判精神は旺盛に持っているにしてもだ。

もっぱら、斎藤緑雨のアフォリズムを読んで、私の求めているものに通じるところがあると、妙に納得してほくそ笑んでいる。

6/12のブログにも書いた斎藤緑雨のアフォリズム(警句)について再び

〇われは今の代議士の、必ずや衆人が望に副へる者なるべきを確信せんと欲す。衆人曰く、金がほしい。故に代議士は曰く、金がほしい。
(「眼前口頭」より)

( 現在の代議士には、人々の望みを実現する 覚悟のある人間であって欲しい。ところが人々の望みときたら『金が欲しい』である。それ故に代議士の望みも『金が欲しい』となるのだ。)

〇按ずるに筆は一本也、箸は二本也。衆寡《しうくわ》敵せずと知るべし。(「青眼白頭」より)
  【衆寡:多数と少数。筆:文筆活動、⦅夢とか希望⦆。箸:日常生活⦅現実⦆。】

(思うに筆は1本である、箸は2本である。少数のものが多数のものと争っても勝ち目はないことを知っておくべきだ。どんなにいい文筆活動してよりも、今日を生き抜く生活上の必要の方が強い。)

一本の筆は所詮二本の箸には勝てない。
筆は夢(希望)、箸は生活(現実)。
けれども人間の抱くロマンは、それに向かっていってこそ花開くのだ。
‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐
『緑雨警語』(中野三敏編、冨山房百科文庫)の発刊が1991年。
発表から130年近くに至っても、色褪せない緑雨のアフォリズムは、現代社会に生きるわたしたちに勇気と希望を与えてくれる。

Sannzennin

« 異種 | トップページ | 目からうろこ取り器 »

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

« 異種 | トップページ | 目からうろこ取り器 »

月齢

今日の天気

2020年9月
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30      

最近のトラックバック

日々散語記事検索

無料ブログはココログ