2011年4月23日24日の気仙沼

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    気仙沼市唐桑町にの甥一家が東日本大震災で津波の被害に遭遇。お見舞いに駆け付けた時の撮影。

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2019年7月 1日 (月)

ものいへば唇寒し秋の風

「ものいへば唇寒し秋の風」
この句をそのままストレートに受け取れば、「何か物を言うために口を開くと、秋の冷たい風が唇にまで感じる」となる。

大辞林によれば、これは「〔芭蕉の句。人の短所を言ったあとは寒々とした気持ちに襲われる、の意〕転じて、うっかりものを言うと、それが原因となって災いを招く。口は災いのもと。」とある。
これが芭蕉の句とは知らずに、日常的に口にしている人も多い。
なまじ余分なことを言ったばかりに、悔やまれて後味の悪い淋しい思いをするという理解で、秋の季節とは関係なく年から年中「ものいへば唇寒し」で自戒の念を込めて使っている場合が多い。
この句は、『芭蕉庵小文庫』に収められていて、2種類の前詞が付いている。
ひとつは「『ものいはでたゞ花をみる友もがな』といふは何がし鶴亀が句なり。わが草庵の坐右にかきつけゝることをおもひいでゝ」となっている。
もうひとつは「人の短をいふ事なかれ/己が長をとく事なかれ」。
この前詞が付いたために教訓化してしまい、訓戒の句として解釈されて、詩としての価値を否定されることもあったということだ。
いずれにしても、他人の欠点を悪く言うと後味が悪く、言わなければよかったという思いにとらわれるし、余計なことを言うと災難を招くということ。
芭蕉みずから自戒のための「座右銘」であったことには違いないだろう。
この句を訓戒の句とするのが適当でないとする山梨県立大学名誉教授の伊藤 洋先生の解釈はこうだ。(「伊藤 洋ページ」芭蕉DBより)

① 芭蕉の約890句の中に、教訓を述べた句というのは皆無といっていいと思います。つまり、芭蕉は荘子に心酔してはいましたが、あまり道学者では無かったように思います。
② この句が、教訓の句とされる理由は、一にかかって、前詞「座右之銘 人の短をいふ事なかれ、己が長をとく事なかれ 」に起因しています。これは、『芭蕉庵小文庫』において追加されたもので、同書は元禄9年に上梓されています。したがって、編者史邦の私見が加えられたものと思います。特に時代背景として、綱吉の論語好きも影響があって、教訓色を好んだのも原因かもしれません。
③ しかし、真蹟懐紙には、「ものいはでただ花を見る友もがな」といふは、何某鶴亀<なにがしかくき>が句なり。わが草庵の座右に書き付けけることを思ひ出でて」と前書きしています。これの真贋を一応信ずるとすれば、「草庵の座右に」するという行為はたしかに教訓めいた感も否定できません。それでも、句の初案は急に寒くなった晩秋の朝、実際に口を開いたら寒かったのではないでしょうか。そして、そこから鶴亀の句が想起されて、前詞をつけたから、たちまちにして教訓化してしまい、その後の編者は全てそれを踏襲、今では道徳先生の講和の中にしばしば入れ込まれますから、すっかり道徳的名句?となってしまったのだと、私は解釈しています。
④ これに近い解釈は、加藤楸邨『芭蕉全句』(筑摩書房)

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「言わぬが花」、「沈黙は金」というから、下手にしゃべらず黙っておいた方が良いかも・・・。

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