2011年4月23日24日の気仙沼

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    気仙沼市唐桑町にの甥一家が東日本大震災で津波の被害に遭遇。お見舞いに駆け付けた時の撮影。

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2019年7月 9日 (火)

リブログ2005.06.18「コロの眼差し」より

いつまで身体が自由に動くのか、いつまで頭が自由に回るのか、そんなことはわからないが・・・ブログを書くことを毎日の習慣の一部にしてしまえ、というコンセプトで続けている。
書くことがないときに、たまには、過去に書いた記事をリブログしてみる。


2005.06.18「コロの眼差し」より

蒸し暑い日、ベランダに通じる部屋のドアを開けておく。
そこからかすかな涼風が入ってくる。
窓側においてある専用クッションの上で、飼い犬がどこか遠くを、あるいは一点を見詰めている。
その表情がなんとも哲学的で・・・
犬に哲学もなかろうが・・・第一、哲学とは何ぞや。
デカル卜やサルトル、キルケゴールと哲学者の名前だけは思い出しても、彼らの思想がどんなものか全く知らないし、回りくどい専門的な知識には頭が痛くなる方だ。

私が言いたかったのは、人間に感情があるように犬にも感情があるならば、「なぜ?」という疑問を持って絶えず考えているのだろうか・・・ということだ。

犬が成長の過程で人間と強い信頼関係を持ったとき、お互いの言葉が理解出来るようになると言う。
いや、人間が勝手にそう思っているだけかもしれないが、少なくとも両者の聞に不充分ながらもコミニュケーションが成立するのは、犬にもやはり感覚や感情があるのだ、そう私は理解している。

そう理解したうえで「ボクはなぜ人間世界の中で生きているのか?」
「ボクの祖先は何か?」
そんなことでも考えているのではなかろうか、と思ったわけだ。

ヨースタイン・コルデル作(山内清子=訳、徳間書庖)「カードミステリー」を思い出してみよう。
ハンス少年が父親と二人で、いなくなったママを捜しに旅に出る事から始まる物語だ。
その旅の途中で、小人かと思うような小さな男から小さなルーペをもらい、アルプスの小さな村ドルフのパン屋で魔法の豆本を渡されたことから、物語は摩詞不思議な世界へと展開していく。
トランプの五十二枚のカードにジョーカーを加えた五十三の章から構成されたこの物語、各章ばらばらの出来事が実は大きな物語の一部で、運命の連鎖が長い年月を経て、ハンス少年に結びついていくという仕掛けだ。
ちょうどジグソパズルの細かく切りばめられた小さな破片を一つずつ組み合わせていくと、見事なものが完成するという仕組みで文章が構成されている。
ハートでも、ダイヤでも、クラブでも、スペードでもないよそ者のジョーカーが「ぼくたちはいったい何者でしょう。どこから来たんでしょう」と、ハンス少年の目を見て聞くが、自分が存在しているっていうこと、これを不思議に思わないのはちょっと可笑しいじゃないかっていうジョーカーの考え方。
犬も自分の存在について思いを巡らしているのか・・・なんだかんだ言っても、犬は答えてくれないから科学的な証明を待つよりしょうがない話。

Koro5


因みに、コロは耳が遠くなり、ヨボヨボながら散歩もしている今日この頃。

 

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