2011年4月23日24日の気仙沼

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    気仙沼市唐桑町にの甥一家が東日本大震災で津波の被害に遭遇。お見舞いに駆け付けた時の撮影。

乱読

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2019年6月16日 (日)

ペット文学

「ペット自慢」とか「私とペット」といったコラムを見かけることが多いが、犬派、猫派、少数派と三分法でペットを理解すればいい。
少数派はハムスターはじめウサギ、亀、熱帯魚・・・蛇とかワニもあるわけで多種多様である。
猫好きよりも犬好きの人の方が多い気もするが、ペットについて書かれたものは、断然猫が多い。
それだけ、うるさい猫好きなのだろう。

小説家もまた、猫好きが多いようで猫文学というカテゴリーがある。
「吾輩は猫である」の夏目漱石をはじめとして、谷崎潤一郎の「猫と庄造と二人のをんな」、「ノラや」の内田百間、「猫のいる日々」の大佛次郎、「猫町」の萩原朔太郎、「猫にかまけて」の町田康、「野良猫ケンさん」の村松友視、私の好きな幻想小説作家笙野頼子までが「猫道」と、「猫文学」に怪作妖作を書いているわけで、一緒に暮らしている人の思いは格別であって、脇から何を言っても始まらぬものだ。
・・・今、それを実感している。
我が家のペットはミニチュアダックスフンドとトイプードルの二匹。
ミニチュアダックスの方は、16年になるから人間の年齢に換算すると80歳。
耳も遠くなり、散歩も嫌がるヨボヨボ状態。
トイプードルの方は6年だから人間に換算すれば40歳のようだ。
共に起居して年月が経つわけだが、どちらの犬も、日に2度の食餌のあと、ゲージから出して自由にさせてやるとシッポをふりふり金魚の糞のようについて来る。
ことさら犬好きの家族は、他人の目も構わずに自分の顔をなめさせている。
犬に顔をなめられるのは私には抵抗があるので、代わりに手をなめさせているが、人間と動物の同居は対象が何であれ、感情の交流なしにはできない。
偏愛極まりない家族を横目で見ながら、その愛すべき飼い犬二匹の陰に、コッソリと異端者わたしめの肖像を書き加えて、怪作妖作の「犬文学」にならないだろうか、と熟考してみるのだが・・・。

Korokoko
 

 

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