2011年4月23日24日の気仙沼

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    気仙沼市唐桑町にの甥一家が東日本大震災で津波の被害に遭遇。お見舞いに駆け付けた時の撮影。

乱読

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2019年6月26日 (水)

再びコーヒーブレーク

先日書いた谷崎潤一郎という作家の流言の続き。
流言と言っても、まんざら根拠がないわけでない。

谷崎の晩年の創作意欲をかき立てたのは、やはり、48歳の時に同棲、49歳で結婚した松子夫人だった。
松子夫人は、元は根津商店という大阪の綿布問屋・根津清太郎の妻で、ピアノ堪能、書道の名人の才女。
夫の色遊びで家運が傾いた時、ダンスホールの経営に乗り出し、そこで谷崎と知り合った。

谷崎は、松子夫人を名前で呼ばずに「御主人様」と呼ぶなどマゾヒストな仮面を被り、捨て身な態度だが、そうした被虐的日常をバネとして創作意欲を燃やしたところに凄みがある。
実際、『春琴抄』は、谷崎と松子夫人の恋愛が最高潮であった頃に書かれている。

その松子夫人への谷崎の手紙が凄まじい。
「御主人様、どうぞどうぞ御願いでございます。御機嫌を御直し遊ばして下さいまし・・・決して決して身分不相応な事は申しませぬ故一生私を御側において、御茶坊主のように思し召して御使い遊ばして下さいまし。御気に召しませぬ時はどんなにいじめて下さっても結構でございます・・・」(『追悼の達人』嵐山光三郎著/新潮社)
卑屈なまでのへりくだり、恋人の名を呼ばず、ひたすら「御主人様」とひざまずき拝む マゾヒスティックな日常は、『春琴抄』の中で、狂おしいほどに春琴を崇拝し、忠誠を誓う佐助の様子に酷似するものがある。
松子夫人がどのように応じたかはわからないが、谷崎の小説が二人の間に交わされた手紙により、さらに内容の濃いものになったことは確かだろう。

Tenjilyo

 

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