2011年4月23日24日の気仙沼

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    気仙沼市唐桑町にの甥一家が東日本大震災で津波の被害に遭遇。お見舞いに駆け付けた時の撮影。

乱読

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2019年5月 4日 (土)

虫めづる姫君

日本の平安時代後期以降に成立した短編物語集「堤中納言物語」をデジタルで読んでいる。
10編からなる短編物語だが、それぞれ作者が違い不明。
その中から『蟲愛づる姫君』が面白い。
このサイトでは「『蟲愛づる姫君』(一)~(五)に分けて、原文、現代語訳、解説と鑑賞」と、かなり読みやすい。

あらすじ:按察使(あぜち)の大納言の姫は美しいが、化粧せず、お歯黒を付けず、眉毛も整えず、可憐なものよりも毛虫を愛する風変わりな姫君。
そんな姫君を気味悪がる親たちに「外見で判断するな」と反論。
その様子を屋敷に入り込んだ御曹司が歌を詠みかける。
最後には「かは虫にまぎるるまゆの毛の末にあたるばかりの人はなきかな」と詠い、突然話が終わり<二の巻にあるべし>となっているものの、第二巻はないから、蟲愛づる姫君と御曹司の間に恋が芽生えたかは疑問だ。

蝶が美しい花に寄り添うようにして蜜を吸っている姿は絵になる。
そこに心を通わせる女性は多いが、毛虫が蛹、蝶になる、その過程に興味を持つ女性も少ない。
ましてや、平安後期の昔だ。
眉毛を抜き、お歯黒をつけるというのが当時の女性の身だしなみだったのだから、「自らを飾り立てようとするところは人間の悪いところです。」と宣言し、眉毛も剃らず、お歯黒もせずに毛虫に夢中になっているとは、かなり破天荒な女性だ。
現代では考えられないが、この当時には、女が素顔を男の目の前にさらすのは、裸体をさらすの変わらないほど恥ずかしいことだったようだ。
ものごとは上面の美しいところを見ているだけでは、根本を極めることは出来ない。
何事も綺麗、汚い、全てをひっくるめた、その過程を見てこそ本質がわかるというもの。

なお、京都大学貴重資料デジタルアーカイブで、伴信友校蔵書におさめられている堤中納言物語の写本が見られる。

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デンパーク「なんじゃもんじゃの木」

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