2011年4月23日24日の気仙沼

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    気仙沼市唐桑町にの甥一家が東日本大震災で津波の被害に遭遇。お見舞いに駆け付けた時の撮影。

乱読

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2019年5月24日 (金)

悪人、実はジキール

一人の男が小さな少女と出会い頭に衝突した。地面に倒れた少女を男は踏みつけにして、その場を去ろうとした。
この様子を見ていた人々が、男を取り押さえ詰問した。
男は慰謝料を少女の家族に支払う事でその場はおさまったが、そのお金は、有名な医学者ジキールから支払われたものだ。こんな事件から始まる『ジキール博士とハイド氏』(ロバート・ルイ・スティーヴンソン著/大谷 利彦訳/角川文庫)。

ジキールとハイドは、しばしば二重人格の代名詞のように使われている。
ジキールを善人、ハイドを悪人と割り切って、一人の人間が善と悪に変貌し、転換する話だと思われている。
しかし、そういう概念でこの本を読むのは、作者スティーヴンソンに気の毒な気もする。
ジキールこそ悪人であって、善人ではないということが読んでみれば分かる。
誰しも心の内に悪の衝動をもつことがあるが、ジキールが非凡なのは、そういった己の心にある悪を、医師であり科学者である立場を利用して、人間の善と悪を分離する薬を発明した事にある。
そして自らその薬を利用する事によって、悪の人格ハイドを生み出した。
それもやがて善悪の均衡が破れ、ジキールが薬なしでもハイドに変わってしまい、逆にハイドがジキールに戻るには、何倍もの薬が必要になってきた。
結果、薬は手に入らなくなり、もはや破滅以外の道は失われた。
二重人格というよりも、人間が本来もっている善と悪の二つの性格の中で葛藤する心の奇跡がこの小説のテーマだと思う。

付け加えて言うならば、一般に言われているジギルではなく、Jekyll=ジーキルと読むのが正確である。

Kako

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