2011年4月23日24日の気仙沼

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    気仙沼市唐桑町にの甥一家が東日本大震災で津波の被害に遭遇。お見舞いに駆け付けた時の撮影。

乱読

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2019年5月16日 (木)

『萱草に寄す』より

言いしれないほどの悲しみと、虚しいほどの美しさを歌っている下の詩は、26歳の若さで肺結核で亡くなった立原道造の処女詩集『萱草に寄す』(←“わすれぐさによす”と読む)のなかの編である。青空文庫で読める。

(下記、詩のフォント効果の印は同語の繰り返しを見るため、便宜上私が付けたものである)

「はじめてのものに」 

ささやかな地異は そのかたみに
をふらした この村に ひとしきり
はかなしい追憶のやうに 音立てて
樹木の梢に 家々の屋根に 降りしきつた

その夜 月は明かつたが 私はひとと
窓に凭れて語りあつた((その窓からは山の姿が見えた)
部屋の隅々に 峡谷のやうに 光と
よくひびく笑ひ声が溢れてゐた
――人の心を知ることは……人の心とは……
私は そのひとが蛾を追ふ手つきを あれは蛾を
把へようとするのだらうか 何かいぶかしかつた

いかな日にみねに灰の煙の立ち初めたか
火の山の物語と……また幾夜さかは 果して夢に
その夜習つたエリーザベトの物語を織つた

「またある夜に」 

私らはたたずむであらう のなかに
は山の沖にながれ 月のおもを
投箭のやうにかすめ 私らをつつむであらう
灰の帷のやうに

私らは別れるであらう 知ることもなしに
知られることもなく あの出会つた
雲のやうに 私らは忘れるであらう
水脈のやうに

その道は銀の道 私らは行くであらう
ひとりはなれ……(ひとりはひとりを
夕ぐれになぜ待つことをおぼえたか)

私らは二たび逢はぬであらう 昔おもふ
月のかがみはあのよるをうつしてゐると
私らはただそれをくりかへすであらう 

『萱草に寄す』は、「SONATINE NO.1」と「SONATINE NO.2」と題した詩群の2つから構成され、いくつかのソネットが全体として一つの奏鳴曲を奏でている。

「SONATINE NO.1」の構成は、「はじめてのものに」「またある夜に」「晩き日の夕べに」「わかれる昼に」「のちのおもひに」「夏花の歌 その一」「夏花の歌 その二」の七つのソネットからなっている。
「はじめてのものに」は、恋人と月光の下で窓に凭れかかって語り合うシチュエーション。

人の心を知ることは……人の心とは……は、理解しがたいものだろう。
それを受けて、「またある夜に」に続いている。

もの思いを誘う霧に包まれた月光の中に佇む二人の恋人。
しかし、その恋人同士が知ることもなく忘れ別れるとは、無心を愛する心境なのか・・・理性では割り切れない人間の心の悲しみを感じる。
その状態を、雲の移ろいや消えていく水脈のように、はかないものだとたとえているが、そこはかとない沈痛さが漂ってくる。

人間、年をとるにつれて、若いころのそういう感情を他愛ないものとして一笑に付してしまいがちだが、彼の詩から醸し出されるメロディの中に、遠い昔を蘇らせてくれるものがある。


SONATINEとは

ピアノの練習曲用教則本にソナチネというのがある。
2~4楽章でなり、ソナタ(奏鳴曲)の小規模なものだ。

それにちなんで「SONATINE NO.1」と「SONATINE NO.2」名付けられた題名だが、詩にもこれに似た形式でソネットといわれる定型抒情詩がある。
四・四・三・三、または四・四・四・二と行分けした一四行詩のことだ。
立原道造の詩は、そのほとんどがソネット形式のものである。

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