2011年4月23日24日の気仙沼

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    気仙沼市唐桑町にの甥一家が東日本大震災で津波の被害に遭遇。お見舞いに駆け付けた時の撮影。

乱読

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2019年5月

2019年5月31日 (金)

占い好きの

何の根拠もないが、無料の占いサイトをゲーム感覚で楽しんでいる。
根拠もないから信じることもないが、そこから得られた答えをヒントに、イメージを膨らませていくことが好きだ。

そんな占い好きの前世占い、私の前世は勝海舟だった。
勝海舟と言っても歴史は苦手だから、海舟が生きた江戸の下世話な事実を知って楽しんでいるだけだが・・・。
勝海舟は子供のころ睾丸を犬に噛まれというエピソードもあるが、生涯にわたり女、女、女の絶倫男で、判明しているだけで妾の女性8人の間に子を設けている。
正妻と妾が同居する家庭でありながら、トラブルが起きることもなかったという。
江戸の男と女のことや恋事情は、現代のしらけた関係より深く情緒的であったということか・・・?

西郷隆盛と共に江戸無血開城を成し遂げたり、明治維新以後も政府の要職につき活躍した。
そのエネルギーの源は、案外女性にあったのかも知れない。
かなりのハイカラさんだったようで、咸臨丸の艦長としてサンフランシスコに渡ったときに、日本人としては初めてアイスクリームを食べたとか、所用のためでない「散歩」を初めて試みた自由人であったとか、とにかくユニークなエピソードの持ち主だった。

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2019年5月30日 (木)

初夏の芸術、展覧会ハシゴ

真夏を思わせる暑さも、一昨日の雨以降は平年に戻り一息だ。
今日は展覧会のハシゴをしてきた。

愛知芸術文化センター内の美術館8階ギャラリーで行われている「第93回国展」と美術館12階のアートスペースGで行われている「第15回翔洋展」。
偶然にも、両展に知り合いが出品しているので一日で同じ場所で鑑賞できた。

愛知芸術文化センターは、愛知県芸術劇場、愛知県美術館、愛知県文化情報センターの3施設からなっているが、2016年11月から始まった改修工事が今年4月に終了。
リニューアルオープンしたばかりの会場と作品のマッチングは一段と映えていた。

「第93回国展」
名古屋展=5月28日(火)~6月2日(日)
[会場]愛知県美術館ギャラリー
主催 国画会

「第15回翔洋展」
5月28日(火)~6月2日(日)
[会場] 愛知県美術館8階ギャラリーアートスペースG
代表 横井

もう一つ、松坂屋美術館で行われている「長くつ下のピッピの世界展」(日本・スウェーデン外交関係樹立150周年記念行事)
 「長くつ下のピッピ」は、スウェーデンの作家リンドグレーンが生んだ児童文学。
私はピッピを読んだことがないけど、リンドグレーンが娘のために 即興で語った物語が原点となっているとのことで、 世界一強い女の子の話のようだ。
原画をはじめ、 オリジナル原稿、愛用品の数々が展示されている。
詳細は松坂屋美術館

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2019年5月29日 (水)

長恨歌

本の断捨離をした結果、本棚にあるのは本当に手元に置いておきたい本だけになった。
読み返してみたい本がすぐに手に取れる。
『中国の古典名著総解説』(自由国民社)もその一つ。
今日は白居易『長恨歌』を読んでみた。

いつの時代も身を焼くような男女の恋はあるわけで、その激しさゆえに我を忘れて身を滅ぼす場合もある。
それが一国を統治する立場の者であれば、それゆえに国は混乱し、歴史が塗り替えられることだってあるのだ。
中国史上に大きく影響している「大唐王朝」の女性を代表する楊貴妃は、美しいゆえに愛され、美しいゆえに絶頂期にあった帝を惑わせ国難を招いた。
唐の第6代皇帝玄宗は息子・寿王の嫁である楊貴妃を自分の妻とし寵愛し、彼女の機嫌を取るために、彼女の希望は何でも叶えてやっていた。
玄宗は政治に関心をなくし、国政は乱れる一方で内乱がひどくなっていった。
その元凶は楊貴妃にありということで、追い詰められた玄宗は泣く泣く楊貴妃を処刑させた。
その後の玄宗の心は悲嘆に閉ざされ、耐え難い懐旧の日々を送ったという。
その当時の状況を、白居易は漢詩『長恨歌』のなかで歌っている。
その一部を引用する。

漢皇重色思傾国 
御宇多年求不得
漢皇色を重んじて傾国を思う 
御宇多年求むれども得ず
楊家有女初長成 
養在深閨人未識
楊家に女あり初めて長成す 
養われて深閨に在り人いまだ識らず
天生麗質難自棄 
一朝選在君王側
天生の麗質は自ら棄てがたく
  一朝選ばれて君主の側に在り
廻眸一笑百媚生 
六宮粉黛無顔色
眸をめぐらして一笑すれば百媚生じ 
六宮の粉黛 顔色なし

春寒賜浴華清池
温泉水滑洗凝脂

春寒くして浴を賜う華清の池
温泉水滑らかにして凝脂を洗う
侍児扶起嬌無力
始是新承恩沢時
侍児扶け起こせば嬌として力なし
始めてこれ新たに恩沢を承くるの時
雲鬢花顔金歩揺 
芙蓉帳暖度春宵
雲鬢 花顔 金歩揺 
芙蓉の帳暖かにして春宵を度る
春宵苦短日高起
従此君王不早朝
春宵は短きに苦しみ日高くして起く 
これより君王は早朝せず

臨別殷勤重寄詞 
詞中有誓両心知

別れに臨んで殷勤に重ねて詞を寄す 
詞の中に誓いあり両心のみ知る
七月七日長生殿
夜半無人私語時
七月七日長生殿 
夜半人なく私語の時
在天願作比翼鳥
在地願為連理枝
天に在りては願わくは比翼の鳥と作り
地に在りては願わくは連理の枝と為らん
天長地久有時尽
此恨綿綿無尽期
天長地久 時ありて尽きんも 
この恨みは連綿として尽くる期なし 

玄宗、楊貴妃の結婚当時の年齢は、玄宗61歳、楊貴妃26歳ということで、いつの時代も恋に年齢差はないのかも知れない。
白居易の『長恨歌』は全編120句840字のものだが、最後の「臨別殷勤重寄詞・・・」は七夕伝説を彷彿させる。

Ningilyo
 

 

 

 

2019年5月28日 (火)

再び鈴木三重吉のこと

昨日は、ひときわ酒癖が悪かった鈴木三重吉のことを書いた。
彼の死に対しての追悼文は生前の酒癖を暴くものばかりだった。
それでも嫌味を感じない不思議を嵐山 光三郎は「追悼の達人 」の中で『罵倒しても友情』として書いていた。

どんなに行状が悪かったにせよ、私は彼の作品が好きだ。
ぶくぶく、長々、火の目小僧の三人の家来を伴って、美しい王女をお嫁に欲しいばかりに、三晩の間、寝ずの番をした王子の話「ぶくぶく、長々、火の目小僧」は、彼の童話だ。
常識では考えられないようなおかしなこと、その空想とナンセンスの楽しさに、ついつい夢中になってしまう。

短編小説「千鳥」は、病気療養のために訪れた小島での体験をもとに書かれたということだが、主人公・青木(語り手)の前に思いもかけぬ女(藤さん)が、のっこり現れたことから彼女に淡い感情抱く。
恋心と言うには余りにも短い二日間、女は水よりも淡き二日間の語らいに、片袖を肩身に残して黙って消えてしまった。
このたった二日間を、とにかく、淡い感情がメルヘンチックに描かれていて、そういう点では、この作品にも童話的要素が含まれている、と言ってよいだろう。
手法としては最初に千鳥(片袖の紋羽二重の紋柄)を出して、主人公(語り手)の現実時間を描き、本文ではその日常性から切り離す。
そして最後にまた千鳥を出して、現実時間に戻すというものである。
この「千鳥」は、漱石がその後に書いた「草枕」に大きな影響を与えた作品と言われているし、何度読んでも飽きない。
メルヘンの世界へと吸い込まれていく。
インターネットの電子図書館青空文庫で読める。
「千鳥」の 一読をお勧めする。

Kakitubata

 

2019年5月27日 (月)

再び追悼の達人

思い切って本の断捨離をしてからというもの、本棚に残った本は自分の本当に手元に置いておきたい本だけになった。
その中の1冊が嵐山 光三郎著「追悼の達人 」(新潮社)。
明治、大正、昭和の古きよき時代を代表する小説家の死に当たり発表された追悼文を、雑誌や新聞の追悼号から選び出し、著者の嵐山 光三郎が収集と分析したもので、作家の臨終にまつわる逸話が興味深い。

例えば、ひときわ酒癖が悪かった夏目漱石門下生の鈴木三重吉(1882/09/29~1936/06/27)。
同じ漱石門下生達と酒を飲んでは対立し、暴れまわることが頻繁にあったようだ。
彼の死に際しての追悼でも、彼の生前の酒癖行状を暴くものが多かった。
特に小宮豊隆と森田草平は、追悼で遠慮なく三重吉の欠点をあげている。
追悼というと欠点や悪行は伏せておいて、美辞麗句を重ねて語るのが普通である。
個人の死に際して、誰も酒癖が悪いとか、とんでもない嘘つきだったなどとは、口が裂けても言わないのが人情。
しかし小宮も森田も三重吉の欠点を書いた「2人の追悼文を読んで、少しも嫌なきがしないのはなぜだろうか。二人が三重吉の欠点を書けば書くほど、三重吉の人間性が浮かび上がってくるのが不思議である」と、著者は書いている。

酒で人が変わったように暴れまわる三重吉の行状は、空威張りであって、理屈では人を納得させることの出来ない人間の淋しさとか空しさがて出ていたのでは・・・。
それを小宮豊隆と森田草平の二人は理解し、三重吉の欠点を罵倒しながらもその奥には限りない友情がある。


一昨年の暮れ、「膵臓癌ステージ4。余命6ヵ月」と言う弟(69歳)の告白から1年4カ月。
弟は平成の終わりと共に逝った。
覚悟していたはずなのに、年上の私よりも早く逝ってしまったのが返す返すも悔しい。
数年前から痩せて様子がおかしい弟に、弟家族や私が精密検査を勧めていたのに「ダイエットだから大丈夫」と言い続け、切羽詰まってからの検査でこの結果だから「バカ者!」としか言いようがない。
もうすぐ四十九日が来る。四十九日は霊から仏になる日だそうだ。
法要の後で納骨をするとか・・・。
それでも私は「バカ者!」と言い続ける。

Ganndera

2019年5月26日 (日)

訓練可能

朝日カルチャーセンターの「文章講座」に通っていたころの話。
小説やエッセイ、評論と言ったジャンルに制約されない講座だったから、ある時はエッセイ、ある時は評論(そんな高尚なものでなく感想文)そしてある時は小説と、自由に書いていた。
性格として型にはまるのが嫌いで、既存の枠にはまらない自由な発想で文章を展開していた。

だから、私の書く文章は他人が見れば悪文の部類か、醜文の部類に入るだろう。
どちらにしても響きが悪いが、私は醜文を痴愚表現の横行と解釈しているから、醜文だけは書きたくない。
そう思うと、やっぱり肩に力が入る。
自分の文章を悪文と認識した上で、「個性的で魅力がある」と暗示をかけての姿勢も必要なのだろう。

吉行エイスケは、『売恥醜文』という雑誌を創刊したことがあるが、息子の吉行淳之介が「父の小説を終わりまで読んだものは、一作もない」と言ったことからしても、そういう類のものだったのかも知れない。
 

美しい手紙を書く友人がいる。
パソコンをしない人だから自筆で書いてくるが、規制の美しさではない。
それは、私の良心に触れてくるものである。
読んでいて、その友人の生活の感情を感じさせられるばかりでなく、受け取った私の生活の感情を見抜かれているようで、少しばかり恐い気がしないでもない。
だが、それだけにこちらを理解してくれているのだろう。
彼女に見習って、ペンで心のこもった美しい返事をだそうと思うのだが、思えば思うほどに肩に力が入って、長時間を費やすことがある。
やっと書き上げても読み直すと誤字脱字。
さらには句読点のふり方が気になり、書いては読み返し、書いては読み返しのくり返し。
もう、やめた!
で、結局はパソコンで打ち込みの手紙になってしまう。

手紙文は、どうしても対人優先になるから難しい。
その点、文芸文は悪文でも個性的なものであれば、それなりに罷り通るから気楽といえば気楽だ。
いずれも訓練可能だから、ただ書くのみにある。

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(備忘的メモ)

◎昨夜、自分のブログをiPadで見ていて、フォントサイズが小さすぎると感じたので、iPad上で11ptから12ptに変更した。
ところが、パソコン(画面サイズ1680×1050px)の場合、フォント12ptで記事を書くと見栄えが悪い。
元に戻してフォントは11ptにする。

◎マッサージの日(11:30~12:30)

 

2019年5月25日 (土)

一昨日続きで・・・

一昨日はいたずらのことを書いたが、いたずらやジョークは受け手がそれを見抜くことが出来なければ、おもしろくも何でもない話になってしまう。
披露する方は、相手を惑わして間違った予想の方向に誘い、相手の緊張を高める。
受ける側は一生懸命に頭を巡らしながら、それを解釈しようとする。
両者の緊張が高まったところで、最後には、その解釈を元から考え直さなければならないような予想外のどんでん返し。
そのどんでん返しが、もともと予想されていた解釈と同じくらい意味のあるものならば、そこに笑いやユーモアが生まれるはずだ。
こうした笑いのメカニズムのなかから発想の能力が出来上がってくるわけで、何でもない事でも、斬新な観点から見ることのできる創造豊かな人間になるのでは・・・。
ならばジョークは、政治家や企業家TOPの保守的な考え方に対する解毒剤になる。
いや、頭が固く凝り固まってしまっているから、いまさら無理かも知れない・・・。


トランプ大統領が来日した。
貿易交渉と北朝鮮対応で日米の立場に隔たりがあるため、共同声明は見送る方針とのこと。
じゃ、いったいなんのための来日なのか?
その予定をみると、26日は千葉県茂原市の茂原カントリークラブでゴルフ。
夕方は両国国技館で相撲観戦、夕食は六本木の炉端焼きと接待三昧。
27日は“即位後、初めての国賓”として、天皇との会見。
相撲観戦では土俵近くの升席を用意し、表彰式にはスリッパで土俵に上がることも予定されているとか。
明日の大相撲中継は異様な光景が映し出される。
ここまでくると冗談・・・?きつすぎ!

Holtukaido

 

2019年5月24日 (金)

悪人、実はジキール

一人の男が小さな少女と出会い頭に衝突した。地面に倒れた少女を男は踏みつけにして、その場を去ろうとした。
この様子を見ていた人々が、男を取り押さえ詰問した。
男は慰謝料を少女の家族に支払う事でその場はおさまったが、そのお金は、有名な医学者ジキールから支払われたものだ。こんな事件から始まる『ジキール博士とハイド氏』(ロバート・ルイ・スティーヴンソン著/大谷 利彦訳/角川文庫)。

ジキールとハイドは、しばしば二重人格の代名詞のように使われている。
ジキールを善人、ハイドを悪人と割り切って、一人の人間が善と悪に変貌し、転換する話だと思われている。
しかし、そういう概念でこの本を読むのは、作者スティーヴンソンに気の毒な気もする。
ジキールこそ悪人であって、善人ではないということが読んでみれば分かる。
誰しも心の内に悪の衝動をもつことがあるが、ジキールが非凡なのは、そういった己の心にある悪を、医師であり科学者である立場を利用して、人間の善と悪を分離する薬を発明した事にある。
そして自らその薬を利用する事によって、悪の人格ハイドを生み出した。
それもやがて善悪の均衡が破れ、ジキールが薬なしでもハイドに変わってしまい、逆にハイドがジキールに戻るには、何倍もの薬が必要になってきた。
結果、薬は手に入らなくなり、もはや破滅以外の道は失われた。
二重人格というよりも、人間が本来もっている善と悪の二つの性格の中で葛藤する心の奇跡がこの小説のテーマだと思う。

付け加えて言うならば、一般に言われているジギルではなく、Jekyll=ジーキルと読むのが正確である。

Kako

2019年5月23日 (木)

ゴッホの耳

ゴッホを語る上で話題に上るのが「耳切事件」である。
ゴッホは、南フランス・アルルの黄色い家でゴーギャンと共同生活を送ったが、制作活動の中で二人の間に亀裂が起った。
ゴーギャンから見放され独りになることを恐れたゴッホは、次第に精神を病んでいった。
遂には12月23日の夜に芸術論でゴーギャンと激論を交わし事件に至る。

私の手元に「いたずらの天才」(A・スミス著/後藤優 訳/文芸春秋社)という本がある。
初版が1963年とかなり古いが、アメリカ人の生活の一端が窺えるれきっとしたいたずらの調査研究書だ。
その中の一つ『ゴッホの耳事件』というのを紹介する。

ニューヨークの近代美術館で初めてゴッホ展が開かれたときのこと。
ヒュー・トロイという名のかなり有名な画家が、「牛肉を使って、気味の悪い、しなびた人間の耳を作り、それを青いビロード張りの小函に納めてゴッホ展の一室の片隅の小テーブルの上におき、その傍に、『ヴィンセント・ヴァン・ゴッホがみずから切りおとして彼の情婦におくった耳。1884年12月24日』と書いた説明書をつけておいた。」
観衆の目は、これに釘付けになり、壁に展示されているゴッホの絵の方など見向きもしなかったということだ。
今から見れば、こういうものが簡単に展示場の一角に持ち込まれること自体、時代錯誤もいいところだが、所詮、こういうイベントに押し寄せる大多数の観客というのは好奇心で行くのであって、真の愛好家というのは少ないものだ、と彼のいたずらが証明して見せたわけだ。
その場に居合わせたら、私だってゴッホの傑作よりも切りおとした耳の方に目が行くだろう。
ゴッホの絵が好きと言っても、・・その程度の愛好家だ。

Keitou

2019年5月22日 (水)

昨日の続き

昨日は、タスマニアタイガーが1936年に絶滅したと書いた。
タスマニアンタイガーは、羊を食べてしまうというので有害動物とされ、人間の手によって殺されていった。
それを機にタスマニアタイガーは滅びていった。

種の絶滅もそうだが、自然が人間の手によって破壊されたときの絶望を、イギリスの詩人トーマス・べドーズは、次のように歌っている。

『自然は汚されてしまった

 その全ての秘密の場所に 人間がいる

 そのよこしまなしわざを 私はのろう

 年老いた 神を信じない 殺人的な星よ

 なつかしき古き世界よ』
(ライフネイチャーライブラリー『生態』タイムライフブックスより)

Tensin

2019年5月21日 (火)

Tasmanian Tiger extinct since 1936

タスマニアタイガーはオーストラリア全体に生息していた有袋類の仲間で、フクロオオカミとも呼ばれている。
このタスマニアタイガーは1936年に絶滅したとされいるが、今でもタスマニアの荒野にひそんでいると主張する人がいて、実際に見たという報告が跡を経たないようだ。
しかし、生存していることを動物学者に納得させる証拠はないので再発見には至っていない。
とは言っても、現代科学の発達は目覚ましいので、タスマニアタイガーの遺伝子を解析することで、クローンを作ることができるかもしれない。
そうなれば生物の種の保全に明るい未来が開けるのでは・・・。

数年前、オーストラリアの知人からタスマニアタイガーの画像と共に、「Tasmanian Tiger extinct since 1936」という次のようなリポートをもらった。

Tasmanian Tiger extinct since 1936

We are living in a vanishing world. It is less than 200 years ago that many
millions of hooves of herds of buffalo thundered across the American plains.

Even in Australia many species of animals have disappeared. In Tasmania the
last Tasmanian Tiger, a dog like creature with a long tail and dark stripes
on the back and hindquarters died at the Hobart zoo in 1936.

It roamed in the mountains and ate wallabies, after European settlement it
required a taste for sheep and that was the start of its extiction. All we
have now to remember it by are a few fotos and paintings.

Every continent has suffered extinctions of animal species through European
expansion. I can remember going into the vault of the Amsterdam museum
where the rarest and most valuble specimens are housed of animals and birds
who have long since gone.

The museum curator would unlock a cabinet and open a drawer to reveal the
skin of a stuffed bird that the great explorer Captain James Cook himself
had seen.

I looked through alcohol filled jars at a fruit bat and many long extinct
other creatures. To see and touch such specimens has put me in contact with
a once rich but, now vanishing world.

Please find attached the Tasmanian Tiger.

 

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(画像はオーストラリアの考古学者キースさんから送られたもの)

バッファロー群が、数百万の蹄で大きな音を立ててアメリカ平野を駆けっていたのは200年ほど前のことである。
地球環境の変化が人間活動とは関わりなく、自然の気まぐれな周期性によって繰り返されてきたのも事実である。
そんな中で、生物はいずれ消えていく世界に住んでいるのかも知れない。
しかし、人間の手によって激しく変えられた世界で、動物の種が絶滅を被ったケースも多い。
タスマニアンタイガーの絶滅もその一つである。
広大な土地(7億7千万haという日本の面積の約21倍)を有するオーストラリアは、恵まれた気候条件と肥沃な草原が広がり、動物の生育条件は極めて良い。
そんなオーストラリアでさえ、動物の多くの種は消えていった。
オーストラリアの本土メルボルンから約200km南にある島タスマニアでは、胴体の黒い縞模様と長い尾を特徴としたタスマニアンタイガーと呼ばれる肉食の有袋類が生息していた。
ところが1936年にホバートの動物園で死亡したのを最後に絶滅した。
タスマニアンタイガーは元々は肉食であるが、山を歩き回ってはワラビを好んで食べていた。
ヨーロッパからの人口流入に伴い、牧羊が盛んに行われるようになって、タスマニアンタイガーは、羊を食べてしまうというので、有害動物とされ殺されていった。
それが彼らの絶滅へのスタートになった。
タスマニアンタイガーが記録されている写真や絵を通して、我々はそれを覚えておかなければならない、あらゆる大陸は、ヨーロッパの発展によって種の絶滅を被ったのだから。

2019年5月20日 (月)

情報から

隠ぺい・改ざん・ねつ造と、底なし不正が続く安倍内閣だが、「毎日新聞が18、19両日に実施した全国世論調査で、安倍内閣の支持率は4月の前回調査から2ポイント増の43%だった。不支持率は同6ポイント減の31%。支持が不支持を10ポイント以上上回るのは、18年2月の調査以来。」
私の周りは安倍内閣に批判的な人ばかりだから、この結果には違和感を覚える。
支持者は、いったい何を考えているんだろう?
令和うかれだけが支持率上昇の要因とは思えない。
「開かずの予算委」で、不正に対する追及を遮断しているためか。
何でもありだから、数字が意図的にいじられているのでは・・・。
衆参予算委員会の開会を野党が要求し続けているのに、与党は拒否。
このこともテレビでは報道されない。

一昨日の18日、安倍晋三首相は神奈川県茅ケ崎市のゴルフ場でプレーを楽しんだということだが、それもこれも今月26日のトランプ大統領とのゴルフのために練習だそうだ。

片や同じ18日、「れいわ新選組」の山本太郎は宮城県仙台で街頭演説。
山本太郎はたった一人で「れいわ新選組」を立ち上げ、毎日地道に地方へ出向き国民と意見を交わしながら、悪化する日本の政治状況を訴えている。(このこともテレビでは全く報道されない)
常時だったら、地道に政治家として小沢一郎さんのもとで政治を学んキャリアを積むのが良かったかもしれない。
しかし、今は常時ではない。

下の山本太郎の動画を見て欲しい。
「1人で国会変えられか?」と聴衆。
「国会議員1人でできることなんて限られている。
だから私に力をください」と山本太郎。
一刻も早く安倍政権を下野させないと大変なことになるという危機感がひしひしと伝わってくる。
私は彼の心意気を信じたい。

2019年5月17日 (金)

ミササガパーク

ミササガパークにバラを見に行った。
家から歩いて15分位のところに位置し、散歩にはちょうど良い距離だ。
奥の方でバーベキューを楽しんでいる一組があったが、園内を散歩する人もまばら。
今年はいつもの年と違う。
間引きされたのか、目的のバラの株数がかなり少なくさみしい限りだった。
WEBサイトによれば、バラの本数約1,200本(77種)のバラで、おすすめのスポットのはずだが、今年はどうしたことか・・・。

満月に近い今日の月は十三夜月。
古来、満月に次いで美しい月とされたらしく、月見の宴などが行われていたようだ。

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ヤマアラシジレンマ

人間関係において深い絆ができると、相手の全てと一体になりたいという貪欲な気持ちが起きてくる。
それもいずれは、その束縛で身動きが出来なくなる。
自由を求めてそこから旅立ちたい心理も当然起こってくる。
人と人は、あまりにも親しく身近かな距離になると、お互のエゴイズムで相手を傷つけ、自分も傷つく。
しかし、悲しいかな人間は一人で生きていく事の出来ない動物なのかもしれない。
傷つくことがわかっていても、そこに留まりたい。
ひとつのところから旅立ちたい心理と、傷ついてもそこに留まりたい心理のこのジレンマ・・・。

19世紀前半のドイツの哲学者ショーペン・ハウエルは、このジレンマをヤマアラシジレンマと呼んだ。
ある冬の寒い日に、二匹のヤマアラシがお互いの孤独を慰めあおうと抱き合っていた。しかし、それぞれが棘を持っているので、棘が刺さり合ってお互いを傷つけてしまう。傷つかないように離れれば、寒さが襲ってくる。
そこで最後に適度に傷つけ合い、適度に寒くもない距離を見つけた。
夫婦、親子、恋人、友人関係においても、ヤマアラシジレンマに陥らないためには、一定の距離を保って生活するのが賢いのかもしれない。
しかし、そこに相手を傷つけない優しい心はあっても、自分の心を壁で閉ざした偽りの自分を演じることしか出来ない。
お互いにエゴイズム剥き出しで、傷つけ傷つけられれても一人寂しく孤独になり切れない人間の不器用さが私には愛しい。

・・・実際のヤマアラシは、針のない頭部を寄せ合って体温を保ったり、睡眠をとったりして、針を引っ込めるべき時を心得る自然の習性があるようだ。

Kamo

2019年5月16日 (木)

『萱草に寄す』より

言いしれないほどの悲しみと、虚しいほどの美しさを歌っている下の詩は、26歳の若さで肺結核で亡くなった立原道造の処女詩集『萱草に寄す』(←“わすれぐさによす”と読む)のなかの編である。青空文庫で読める。

(下記、詩のフォント効果の印は同語の繰り返しを見るため、便宜上私が付けたものである)

「はじめてのものに」 

ささやかな地異は そのかたみに
をふらした この村に ひとしきり
はかなしい追憶のやうに 音立てて
樹木の梢に 家々の屋根に 降りしきつた

その夜 月は明かつたが 私はひとと
窓に凭れて語りあつた((その窓からは山の姿が見えた)
部屋の隅々に 峡谷のやうに 光と
よくひびく笑ひ声が溢れてゐた
――人の心を知ることは……人の心とは……
私は そのひとが蛾を追ふ手つきを あれは蛾を
把へようとするのだらうか 何かいぶかしかつた

いかな日にみねに灰の煙の立ち初めたか
火の山の物語と……また幾夜さかは 果して夢に
その夜習つたエリーザベトの物語を織つた

「またある夜に」 

私らはたたずむであらう のなかに
は山の沖にながれ 月のおもを
投箭のやうにかすめ 私らをつつむであらう
灰の帷のやうに

私らは別れるであらう 知ることもなしに
知られることもなく あの出会つた
雲のやうに 私らは忘れるであらう
水脈のやうに

その道は銀の道 私らは行くであらう
ひとりはなれ……(ひとりはひとりを
夕ぐれになぜ待つことをおぼえたか)

私らは二たび逢はぬであらう 昔おもふ
月のかがみはあのよるをうつしてゐると
私らはただそれをくりかへすであらう 

『萱草に寄す』は、「SONATINE NO.1」と「SONATINE NO.2」と題した詩群の2つから構成され、いくつかのソネットが全体として一つの奏鳴曲を奏でている。

「SONATINE NO.1」の構成は、「はじめてのものに」「またある夜に」「晩き日の夕べに」「わかれる昼に」「のちのおもひに」「夏花の歌 その一」「夏花の歌 その二」の七つのソネットからなっている。
「はじめてのものに」は、恋人と月光の下で窓に凭れかかって語り合うシチュエーション。

人の心を知ることは……人の心とは……は、理解しがたいものだろう。
それを受けて、「またある夜に」に続いている。

もの思いを誘う霧に包まれた月光の中に佇む二人の恋人。
しかし、その恋人同士が知ることもなく忘れ別れるとは、無心を愛する心境なのか・・・理性では割り切れない人間の心の悲しみを感じる。
その状態を、雲の移ろいや消えていく水脈のように、はかないものだとたとえているが、そこはかとない沈痛さが漂ってくる。

人間、年をとるにつれて、若いころのそういう感情を他愛ないものとして一笑に付してしまいがちだが、彼の詩から醸し出されるメロディの中に、遠い昔を蘇らせてくれるものがある。


SONATINEとは

ピアノの練習曲用教則本にソナチネというのがある。
2~4楽章でなり、ソナタ(奏鳴曲)の小規模なものだ。

それにちなんで「SONATINE NO.1」と「SONATINE NO.2」名付けられた題名だが、詩にもこれに似た形式でソネットといわれる定型抒情詩がある。
四・四・三・三、または四・四・四・二と行分けした一四行詩のことだ。
立原道造の詩は、そのほとんどがソネット形式のものである。

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2019年5月14日 (火)

縄文女性は酒に強かった

DNA研究が進んで遺伝情報「ゲノム」が、解読されるようになった。
人類の進化を探るうえで欠かせない“核DNA”解析。
特に古代人の核DNAを読み解くことができれば、髪の色から病気の履歴、さらにルーツまで膨大なデータが得られ、古代人の詳細が明らかになる。
2016/9/1、総合研究大学院大学の研究チームが福島県・三貫地貝塚から出土した縄文人(縄文時代の後期~晩期)の奥歯からDNAを抽出し、その核ゲノムの一部解読に成功。

そして今度(昨日5/13)は、国立科学博物館などの研究チームが、縄文時代後期(約3800〜3500年前)北海道礼文島の船泊遺跡から出土した女性の人骨の核DNAから、世界で初めて全ゲノム(遺伝情報)の解析に成功した、との発表があった。
その遺伝子情報から復顔像の作成にも成功している。
これによって、「縄文女性は茶色の瞳を持ち、肌の色は濃いめで、酒に強かったとみられる。」
さらに、現代日本人が縄文人のゲノムの約10%を受け継いでいたことも判明。
研究チームは、「縄文人が狩猟や漁労を中心に小集団で生活していたことが遺伝情報からも裏付けられた。」としている。

遺伝子解析は小説やSFのような話だと思っていたのはそう遠くない。
だが、その技術は飛躍的な発展を遂げているわけだ。

Rose-001

2019年5月13日 (月)

アクアウォーキング

久しぶりにスポーツクラブへ行った。
今日は「アクアウォーキング」の日。
水の中に入るのもしばらくぶり。
たった30分のレッスンだが、終了後は血液の循環が良くなったのか、むくれていた足もすっきりして体が軽くなった。
・・・まあ、単細胞な私には、すぐに効果が出るようだ。

有酸素運動にもいろいろあるが、無理せず気軽にできるとなると水中運動が良いらしい。
なかでも水中ウォーキングは体への負担が少なく、年配者でも安心して取り組める。
インストラクターから聞いた話だが、「陸上で走ると膝への負担は3倍~5倍程度で、例えば体重を50kgの人の場合、150kg~250kgもの負担が膝にかかる。それが水中では水の抵抗があるため、陸上を歩くよりも負荷がかかり、カロリー消費が高い。また、水の温度は体温よりも低いため、体温を低下させないように体の中で熱を発生させるため、水中で多くのカロリーを消費する。」

日本経済新聞電子版「健康づくり」に水中運動のメリットが載っていたので下記に要約。

水中運動には、3つの水の特長を生かしたメリットがあるという。
1:「浮力」体を楽に動かせる。
2:「水圧」水圧で心拍数や血圧が下がり、心臓に負担がかかりにくい。
3:「抵抗」を利用すれば、運動強度を自分でコントロールでき、陸上よりも運動量がアップする。

良いこと尽くめの水中運動。
何よりも続けることが大切だ。

Kudamono

2019年5月12日 (日)

再びのリブログと報道より

15年前の5月に書いたホームページ記事を読んで、夏蜜柑の木に思いを寄せている。
我が家の庭にある夏蜜柑の木は、それはそれは良い果実が実った。
水分が多く、糖分も多かった。
その木が5年ほど前から全く花が咲かなくなり、結果実もつけない。
夏蜜柑の木にも寿命があるのか・・・?
以下、2004年5月1日に書いた「MAY,MAY――5月」をリブログする。

「MAY,MAY――5月です。

暮れから正月にかけて大騒ぎをしたのがついこの間なのに、今はすでに5月。

新緑が目に眩しい。

微風にのって柑橘の清涼な香り漂ってくる。

香りの方向に目をやると、夏蜜柑の木に可憐な白い花がついている。

この白い花が清涼な香りを放っていたのだ。

二十年程前にたった一本だけ植えた夏蜜柑の木が、一昨年から実を付けるようになった。

手入れの行き届かない木だから、どうせ食べられないだろうと思っていたが、これがどうしてどうしてなかなかの代物で、水分十分、糖度十分、適度な酸味で市販されているものに負けない。

今年も、その味を十分満喫した。

果物が芽生えてから実をつけるまでに、たとえば「桃栗三年、柿八年」とは言うが、柑橘類に関しては何年で実をつけるのか。

そう言えば「梅は酸い酸い十三年」とも言う。

さしずめ夏蜜柑は二十年かな・・・我が家に限っては、そういうことにしておこう。

新緑の眩しさ、夏蜜柑の可憐な白い花から漂う清涼な香りが心に映るのも、5月ならではのことだろう。

MAY,MAY――そんな5月を、私は愛したい。

2004年5月1日(土)

Mikan

花が咲かなくなった「夏蜜柑」の木


報道より

安倍首相が「なんばグランド花月」の吉本新喜劇の舞台に飛び入り出演したのが、4月20日(土)。
この時は、6月28日(金曜日)、29日(土曜日)の2日間行われるG20大阪サミットの宣伝のためだとか。
そして一昨日10日夜は、アイドルグループ「TOKIO」のメンバー4人と東京都内のピザ店で会食した・・・とか。
何ともまあ、総理としての威厳と品格が全くない。
安倍首相主催の新宿御苑での「桜を見る会」の時にも思ったのだが、首相は芸能人を取り込むのに躍起になっているように見える。
取り込まれた方の彼らも、安倍さんと近しいと錯覚してしまっているようだ。

以前から、マスコミ上層部やジャーナリストとの会食を頻繁に繰り返し懐柔している安倍首相だが、結果、政権に不都合な事実は隠避して報道せず、政権に都合のいいように偏向報道をする。

TOKIOはアイドルなんだから、マスコミやジャーナリストとは違う、食事くらいでいちいち目くじらを立てるのもどうかとも思うが・・・。
しかし、こういう彼らがワイドショーやニュース番組で司会者を務めており、政治の動きや政界の不祥事なども扱う。
いわば、彼らは安倍政権に取り込まれた故に、政権の宣伝屋になり、意思のない報道関係者と化する。
今後の改憲PRに全面協力したとしても批判されることもなく、当たり前のこととして世論形成に大きな影響力を与える危険性がある。
芸能は庶民のもので、そこに権力との癒着や忖度があってはならない。

Yuzu_2

去年植えた「ゆず」の木は花盛り

2019年5月11日 (土)

明日は母の日

5月の第二日曜日、つまり明日5/12(日)は母の日。
デパートではプレゼント商戦が繰り広げられ、フラワーショップにはカーネーションが溢れ、人々の購買心をそそっている。

この母の日の起源は一体どこにあるだろうか・・・最古の母の日は古代ギリシャで始まったという。
母は新しい生命の泉として尊敬され、人々は神々の母リーアに奉納をした。
その後20世紀初頭にアメリカ、ウエスト・バージニア出身の女性アンナ ジャービスの呼びかけによって「母の日」が定められたというが、その由来は何か?
母の日がなぜカーネーションなのか?
年に1度のイベント して、どのように定着したのか?
オーストラリアの知り合いKeithさんから送られてきたメール「Anna Jarvis Mother's Day story」でわかる。
了解を得てそのまま掲載する。

The second Sunday of May is a special day, on this day we pay tribute
to mothers all over the world. We should always look after our mum while we
still have her.
There is more to mother's day than giving her breakfast in bed with
cold tea and burnt toast.

There is even more than giving her flowers and chocolates, what
mothers like most of all is gratitude, respect and love.
Thousands of years ago mothers were honoured as the source of new
life, grateful people gave offerings to the mothers of the Gods.
Mother's day was brought back early last century through the determination of an American lady, who was never to become a mother herself.
Her name was Anna Jarvis, she was a High School teacher and came from West Virginia, she never married, was very religious and deeply devoted to her mother.
It horrified her the way grown up childeren neglected their mothers.

She made it her aim in life to change this and that a day each year be set aside to pay tribute to all mothers, as mother's love is the only love that asks for no return.
Anna Jarvis needed much public support, being unknown and an unmarried High School teacher, she wondered how to go about it.
She started to write many letters to influential people, she wrote to politicians, doctors and many other important people from churches, schools and newspapers.
It became a crusade to the whole country.
It did not take long for the people to take up her idea of mother's day and when very sadly her own mother died in early May 1908, it presented the opportunity to hold mother's day each year on the second Sunday in May.
White carnations had been her mother's favorite flowers.

Now people all over the world give their mothers carnations and chrysanthemums on mother's day.
Anna Jarvis wish had come true, but as so often happens, this pioneer of mother's day was soon forgotten by the people.
She was not in good health, had lost her eyesight and had become very poor, the very few friends she still had paid for her upkeep in a nursing home.
Anna Jarvis died in 1948, she was 84 years old.

She was somewhat disillusioned that mother's day had not become a
religious feast day, as she had hoped it would.

But she lived long enough to know that mother's day was each year
celebrated the world over.

In Australia the first mother's day was held in 1920.

                                   (by Keith)


Keithさんのメールにあるように 彼女、アンナ ジャービスは結婚しなかっので子供を作ることもなかった。
母親をこよなく愛し、高校教師であった彼女は一生独身で通した。
彼女は成長した自分の教え子たちが自分の母親を無視するのに脅威を感じ、こういった傾向を変えるための目標を定めて改革運動を起こした。
悲しいことに、1908年5月のはじめに彼女の母は亡くなった。
このことを期に、彼女は母の死を記念して母のための祭日を設ける運動を全米に広めた。
アンナ ジャービスの亡き母への追悼の気持ちが、毎年5月の第二日曜日を母の日として持つことを提示し、これがいまや全世界で定着しているということだ。
白いカーネーションは、彼女の母の大好きだった花である。
こうしてアンナ ジャービスの願いは実現した。
毎年のことだし、プレゼント商戦ばかりが前面に出て、母の日のこの開拓者の事を忘れてしまっている。
彼女は健康を害し、視覚を失い、少数の友人の友人に支えられながら貧しい生活の中で細々と生きていたが、1948年に84歳でその生涯を終えた。
彼女の最後は傍目には寂しいものとはいえ、彼女の起こした母の日が世界中に広められ、世界中の人たちが母への祝福をしている、ということを彼女自身十分知って長寿を全うしたことになる。

因みに私は、長年息子から母の日プレゼントをもらったことがない。
母の日は、母の常日頃の頑張りを労ってもらえる特別な日だから、忘れらているようで少々寂しい気もするが・・・。
息子家族が元気で毎日を過ごしていられることに喜びを感じている。
見返りを求めない唯一の愛、それこそ母の愛だ、と私は思う。

Kaigasozai

絵画をやっていたころの素材。マスクの目が、なんとも悲しそう。

2019年5月10日 (金)

「私百年、鶴は千年、亀は万年」

自宅から病院までの道すがら、猿渡川の支流である下り松川に添って歩いていると、亀の軍団が速いスピードで移動しているのに遭遇した。
亀はノロノロのイメージがあったので意外だった。
冬眠が明けて、6月の産卵期に向けて必死の餌探しなのかも・・・。
「鶴は千年、亀は万年」というように、昔から亀は長寿の代表格だった。
甲羅が堅くてしっかりしているから、いかにも強く長生きに思えたのだろうが、これはあくまでも例えで、亀の種類によっても寿命は違っているそうだ。
動く図鑑MOVE によれば
「ペットとして飼われることがある『アカミミガメ(ミドリガメ)』の寿命は、40年以上です。また、私たちのみぢかな川や池にすんでいる『クサガメ』の寿命は、60年以上です。
そのほか、『アメリカハコガメ』は100歳以上で、ワニガメは150歳以上です。」
と、まあかなり長生きする動物であることは確かだ。
この「鶴は千年、亀は万年」の言葉は、古代中国の伝説(神仙譚)らきているとのこと。
いずれにしても、鶴や亀は長寿を象徴する縁起物だから「私百年、鶴は千年、亀は万年」と並べてみた。

Kame

 

2019年5月 9日 (木)

再びトイレに関する話で‎恐縮ですが・・・

一昨日に続いて、再びトイレに関する話で‎恐縮ですが・・・
雑学のタネ本(編者 フリーランス雑学ライターズ 永岡書店発行)からの話題です。

男の“立ション”は、神が造られた男と女の差と認識していたが、実はこの立ち小便、男性の専売特許になったのは、そう遠いことでもないらしい。
「ルイ王朝の頃の貴婦人たちは、立ったまま庭や通路で小便をしていたという。そのためドレスの裾が鯨骨のフレームであったというから、これは立ち小便をしても濡れないようにという配慮からだったのです。また、日本でも、1908年(明治41年)7月17日付けの東京日日新聞に、福岡県が女学生に立ち小便を禁止するよう申し合わせた記事があります。」
となると、間違いなく女性にも立ち小便はあったということになる。

そう言えば、今村昌平監督の映画で江戸の東両国界隈に生きる下層庶民を描いた作品『ええじゃないか』の中で、主人公の妻・イネを演じる桃井かおりが、かがまずに小便をするシーンが出てきた。

太宰治は『斜陽』のなかに、没落貴族の母親が、庭の萩のしげみの奥で立ち小便をしている次のような場面がある。
『いつか、西片町のおうちの奥庭で、秋のはじめの月のいい夜であったが、私はお母さまと二人でお池の端のあずまやで、お月見をして、狐の嫁入りと鼠の嫁入りとは、お嫁のお支度がどうちがうか、など笑いながら話合っているうちに、お母さまは、つとお立ちになって、あずまやの傍の萩のしげみの奥へおはいりになり、それから、萩の白い花のあいだから、もっとあざやかに白いお顔をお出しになって、少し笑って、
「かず子や、お母さまがいま何をなさっているか、あててごらん」
 とおっしゃった。
「お花を折っていらっしゃる」
 と申し上げたら、小さい声を挙げてお笑いになり、
「おしっこよ」
 とおっしゃった。
 ちっともしゃがんでいらっしゃらないのには驚いたが、けれども、私などにはとても真似られない、しんから可愛らしい感じがあった。』と、娘はその無心さに感じ入っている。

今の私達には、男性は立ち小便、女性はかがみ小便という固定した観念が先入観としてこびり付いているが、何も“立ション”を男の専売特許だけのものと固定することもないわけで、その辺は柔軟な行動をすれば良い。
『斜陽』の母親のように、女の“立ション”が、案外かわいい光景として写るかもしれない。
とはいうものの、女性が立ち小便をしたらどうなるだろうか……飛ばない小便は、太ももから伝わって足の先まで濡れて、気持ちが悪い思いをするのが関の山。
やはり女性の立ち小便は、体の構造上に無理がある。
男はどうだろうか・・・、これは無理なく自然な姿勢で出来る。
競って、飛ばしあうこともできるくらいだ。
いや、近頃の女性の強さからして、身体構造の不都合さをクリアして、女性の立小便復活もあるかもしれない。

Ekilyuumu 
安城デンパーク、フローラルプレイスにある「エキューム」

2019年5月 8日 (水)

追悼の達人

どんな死に方にせよ、人が亡くなると死者の生前の事を思い出して、その死を悼み追悼の言葉を述べる。
これが小説家への追悼となると、文の達人が全霊を傾けて書き上げたものだけに、これまた一つの立派な作品なのだ。

『追悼の達人』(嵐山光三郎著/新潮社)には、明治、大正、昭和に活躍した大文豪49人に捧げられた有りとあらゆる追悼文が収められている。
死者を褒める追悼文ばかりではない、手をゆるめない冷淡な追悼もある。
死者に向けての評価、賛否両論をひっくるめての小説家の生涯といえる。

宮沢賢治は無名詩人だった。
彼の死は新聞で報じられることもなく、草野心平の呼びかけで、同人雑誌の追悼号によって世に出たというから、追悼もまた有効な手段といえる。
そうかといって、死者はそれを聞くことも見ることも出来ない。

高橋新吉の賢治への追悼歌が心に響いく。

『「死は法華経に及ばざる事甚だしくとも童貞三十八年の肥料の設計をも偲びて」として――雲の壊れ消えゆるが如く 終われりというか――』

多分、賢治は人の顔よりも地面を見つめている時間の方が長く、人の心を思うよりは、土のことを思う時間の方が長かったに違いない。
1本の月見草のように淡々とした淋しさを抱え、独身のまま37歳の若さで逝った彼に 心を動かされる。

Tonton

2019年5月 7日 (火)

心豊かに話題も豊富なトイレ

その昔、花も恥らう乙女のころから、そこを心をこめて丁寧に掃除すると美しい子供が生まれる、と言われれて来た。
・・・その場所とはご不浄。
ご不浄とは両極にある神聖な雰囲気を漂わせる話だ。
トイレはラバトリーに便所、お手洗い、雪隠、厠、不浄、など、呼び名が色とりどりで、その分だけ心豊かに話題も豊富だ。

以前、テレビで面白い実験をやっていた。
「デパートとか、駅、サービスエリヤといった公衆トイレは、なぜか男女の目印が、男性用には黒のジェントルマンが、女性用には赤のレディーが、それぞれの入り口に描かれている。それをいたずら心で、男性用トイレに赤のジェントルマンを、女性用に黒のレディーをというふうに、従来の色分けを変えてみる。すると、描かれているジェントルマンやレディーに関係なく、男性は黒の方に、女性は赤の方に躊躇なく入って行ってしまうというもの。」
これは公衆トイレの目印が、男は黒、女は赤という、人の頭にこびりついて離れない先入観のなせる技なのかもしれない。
いやいや、それにしてもデパートとかホテルにおける最近の女性用トイレは、実にきれいになってきた。
開けて一歩足を踏み入れた途端、間違ったかなという感じがする時がある。
煌々とシヤンデリャが灯り、妙なるオルゴールの音が流れてくる。
ジャスミンの甘い香りが満ちている。
洗面台は王朝風に飾られ、白やピンクの小花が花瓶からあふれている。
その横では陶製のフランス人形が、クルクルと舞っている。
この人形が、妙なるオルゴールの音の主だったわけだ。
生活に不可欠な部屋であるがこその演出だろう。

私の住む刈谷市にあるレジャー施設「ハイウェイオアシス」は、高速道路からも一般道からも利用できる利便性の高いスポットだが、そこの女性用トイレが、まるでホテルを思わせるような豪華さ。
でも、これって女性用トイレだけなのか・・・?
確認したくっても、男性用トイレに入ったことがないから分からない。
赤いジェントルマンを掲げてくれれば、私だって躊躇なく男性用トイレに入っていけるのだが、今のところは確認のしょうがない。


刈谷ハイウェイオアシス (トリップアドバイザー提供)

2019年5月 6日 (月)

3種の飲み比べセット

サンデー毎日の私だが、10連休最後の日ということで安城のデンパークに行ってきた。
今日は祝日ということで、 JR安城駅からデンパーク直通の名鉄バスが出ていた。
年に数回デンパークを訪れるのだが、東京ドーム約3つ分程の面積がある敷地内を散策するのも楽しい。
今の季節は花と新緑が目にまぶしい。

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今日は、園内の水のステージで「ご当地キャラパークin デンパーク」というのをやっていて、各地のキャラクターが大集合。
ゆるキャラたちによるパフォーマンスで水のステージは大盛況。

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園内見るもの・・・あれもこれも楽しいが、私の何よりの目的はビール。
なんせ私は「NO BEER NO LIFE」。
デンパーク内の地産地消レストラン「ホレ・フェスト」のクラフトビール(地ビール)が大好き。
それも3種の飲み比べセット1000円を比較しながら呑むのが楽しい。

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🍺 白のビール「ごんの正義」ヴァイツェン
ヴァイツェンタイプ|アルコール度|約5%

🍺 赤のビール「ごんの愛情」アルトビア
エールタイプ|アルコール度|約5%

🍺 黒のビール「ごんの勇気」ボック
ボックタイプ|アルコール度|約6%

白のビール「ごんの正義」と赤のビール「ごんの愛情」は、アルコールの強さのわりに味はすっきりしてフルーティ。
黒のビール「ごんの勇気」は黒糖の味で、私の一番の好みだ。

どこを旅しても一般的なレストランや居酒屋で個性的なクラフトビールにお目にかかれるようになって久しいが、これは25年ほど前の、「細川護熙政権が1994年、規制緩和の目玉として酒税法を改正。ビールの醸造免許を得るのに必要な年間生産量が2千キロリットルから60キロリットルへ引き下げられ、少量生産する地ビールが各地で登場した。」いわゆる「地ビール解禁」によるものである。

それにしても、今日は暑かった。
園内を散策した後のビールは格別だった。

2019年5月 5日 (日)

報道から思う

💿 ここのところ朝から晩まで新天皇慶祝報道で辟易している。
改元を機に考えるべきことは沢山あるはずなのに、祝賀一辺倒の報道には違和感を感じる。
それが安倍政権の狙いなのだろう。
テレビ局は完全に飼いならされているのか、圧力をかけられる前に政権の意向を忖度するらしい。
平成は森友文書の改ざんを始めとした隠蔽、捏造のオンパレードだった。
史上初の10連休まで作って人気取り。
これで平成に犯した悪事をチャラにする気なのか・・・。

💿 池袋暴走事故を起こした87歳の老人は、過失運転で人をふたりも死なせても逮捕なし?
これ程の重大な交通死亡事故で、被疑者をなぜ逮捕しないのか?
本来は逮捕されていなくても事情聴取を行い容疑者と言っていいはずだが、初期報道時は「さん」付けで呼ばれていた。
この老人、元通産官僚で計量学では物凄い先生だとか・・・。
ネットでは、この老人が未だ逮捕されていないのは、上級国民だからと言われている。
これも官邸の案件なのだろうか?

💿 北海道大樹町の宇宙ベンチャー「インターステラテクノロジズ」は4日午前5時45分ごろ、自社開発の小型ロケット「MOMO(モモ)」3号機を町内にある実験場から打ち上げた。同社は、宇宙空間とされる100キロ以上の高度に到達したと発表し、打ち上げは成功した。民間主導で開発したロケットの宇宙空間への到達は日本で初めて(中日新聞)
「インターステラテクノロジズ」は、元ライブドア社長で実業家の堀江貴文さんが出資する宇宙ベンチャー企業。

天体望遠鏡で夜毎星空を見る少年が、インターネットが普及しはじめた黎明期にホームページ制作や管理運営を行う会社を起こし、IT起業の寵児として、多額のお金を動かす青年になった。
彼の名は堀江貴文、愛称ホリエモン。
飽くなき欲望の革命児ホリエモンのその後は順調とは言えず、プロ野球新規参入での失敗、マスメディアとネットの融合による双方向性を生かしたいという構想で、フジテレビの買収や、ニッポン放送への参画を試みたが失敗。
衆議院選での落選、証券取引法違反(ライブドアの粉飾決算)容疑で逮捕・・・と、数々の修羅場をくぐってきた。
その彼が、今もっとも情熱を傾けているのは宇宙ビジネスのようだ。
「会社経営に意欲をなくして怪しいロケット産業に手を出している」と揶揄されながらも、「くだらないことに使われてこそ、宇宙産業は大きくなる」との持論があるようで、今後のマーケット拡大に自信を持っているようだ。

確かにロケットや人工衛星の開発活動を通じて先端科学技術レベルが向上し、産業に貢献している。
静止気象衛星ひまわりの利用により天気予報の正確性が向上したし、台風の進度の分析が可能になった。
電波、赤外線、可視光を用いて地球を観測する人工衛星・地球観測衛星。
衛星テレビや衛星通信を利用した海外衛星中継、遠隔医療の利用が可能になった等々。
しかし、宇宙開発事業は、いずれもコストのかかる公共事業。
JAXAの独占状態で、宇宙開発が「官需産業」と言われ続けて来た所以だ。
資金の調達や法整備等、宇宙は国によって独占されるべきものではない。
民間が切磋琢磨して技術を高めるべきだと思う。
今回の「MOMO(モモ)」3号機打ち上げ成功を機に、宇宙開発が広く民間でも取り組めるようになってほしい。

人間とは未知のものに対するあくなき探究心を持っているものだが、失敗を恐れずお金や技術の使い方に新たな価値を見出し実践していく、ホリエモンのそこが凄い!
とにかホリエモンの生き方には、いつも夢を見させてもらっている。

Kiyoto

2019年5月 4日 (土)

虫めづる姫君

日本の平安時代後期以降に成立した短編物語集「堤中納言物語」をデジタルで読んでいる。
10編からなる短編物語だが、それぞれ作者が違い不明。
その中から『蟲愛づる姫君』が面白い。
このサイトでは「『蟲愛づる姫君』(一)~(五)に分けて、原文、現代語訳、解説と鑑賞」と、かなり読みやすい。

あらすじ:按察使(あぜち)の大納言の姫は美しいが、化粧せず、お歯黒を付けず、眉毛も整えず、可憐なものよりも毛虫を愛する風変わりな姫君。
そんな姫君を気味悪がる親たちに「外見で判断するな」と反論。
その様子を屋敷に入り込んだ御曹司が歌を詠みかける。
最後には「かは虫にまぎるるまゆの毛の末にあたるばかりの人はなきかな」と詠い、突然話が終わり<二の巻にあるべし>となっているものの、第二巻はないから、蟲愛づる姫君と御曹司の間に恋が芽生えたかは疑問だ。

蝶が美しい花に寄り添うようにして蜜を吸っている姿は絵になる。
そこに心を通わせる女性は多いが、毛虫が蛹、蝶になる、その過程に興味を持つ女性も少ない。
ましてや、平安後期の昔だ。
眉毛を抜き、お歯黒をつけるというのが当時の女性の身だしなみだったのだから、「自らを飾り立てようとするところは人間の悪いところです。」と宣言し、眉毛も剃らず、お歯黒もせずに毛虫に夢中になっているとは、かなり破天荒な女性だ。
現代では考えられないが、この当時には、女が素顔を男の目の前にさらすのは、裸体をさらすの変わらないほど恥ずかしいことだったようだ。
ものごとは上面の美しいところを見ているだけでは、根本を極めることは出来ない。
何事も綺麗、汚い、全てをひっくるめた、その過程を見てこそ本質がわかるというもの。

なお、京都大学貴重資料デジタルアーカイブで、伴信友校蔵書におさめられている堤中納言物語の写本が見られる。

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デンパーク「なんじゃもんじゃの木」

2019年5月 3日 (金)

草むしり

生活はできるだけ簡略化するのが望ましい。
家(家事)や庭のことでストレスを排除したいと思いつつも、素がストレスを起こしそうな作りになっているから理想には程遠い。
4月は半月ほど家を空けることが多かったので、庭は手に負えないほどの雑草。
おまけに我が家の前庭は芝生を張り詰めているから、芝生の中の雑草との戦いとなる。
毎朝、ベランダから庭を眺めるだけで不機嫌になる自分がいる。
今日は重い腰をあげて、朝から草むしり。
夫婦二人で一日がかりで終わればいいが・・・
あきらめて途中から電動芝刈り機を使用。
芝刈り機では芝の中の細かい雑草の根までは刈れないので、数日すれば雑草だけが目立って伸びてくる。
取り敢えずはきれいになったが、1週間後にはまた不機嫌になりそうだ。

「人間はすべからく庭師にならなければならない」と言った人があるが、庭師は例えば庭木の剪定において、絶対に失敗できないから、一つ一つの枝を辛抱強く観察して見極めなければならないわけで、何事も慎重にあたらなければならないという意味での名言と言える。

Shiba2

2019年5月 2日 (木)

改元で

元号が改まり、令和です。
テレビでも洪水のごとく改元報道を続けていた。
平成から令和に移る日を特別な記念日として、大阪・道頓堀の戎橋では、平成最後のダイブ。
岐阜県郡上市では徹夜の郡上踊りイベント。
日本人は記念日好きな性格の人が多いようだ。
テレビで見たが、暮と正月が2度来たような感じで「〆まして、さようなら」と言い蕎麦を食い、「あけましておめでとう」と言って祝い酒を呑んでいた人がいた。
代替わりというのは、今、生きている日本人が誰一人、経験した事のない事態なので、どうしていいのか混乱しているのだろう。
そうは言っても、平成と言う漢字を令和に変えただけであって、庶民の生活は変わりない。
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さて、私の平成最後の月、4月はプライベートな悲しみであわただしく過ぎた。
食通の実弟が、死ぬ間際に「最後の朝は寿司・・・」と言って逝った。
彼は理系人間で化学系の仕事をしていたが、とにかく忙しかった。
理論的な思考で、ひとつのことを突き詰める粘り強さが、「そこまでやる?」と思わせるほどのこだわりだ。
傍から見れば、忙しさを自分で作っているようなものだった。

忙しかったが、食べることと料理することが大好きで、そういう面では金も時間も惜しまなかった。
退職したら、妻の実家のある浜松で小料理屋でもやりたいと話したことがある。
誰のおかげか知らないが、そういう意味では彼は豊かだった。

人の運命はそれぞれであって、命の長さは物指しで計れるようなものではないが、元号が令和に代わり、失われたものへの哀惜とともに、事の重大さに今更のように気づかされる。
Flower

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