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2007年6月 4日 (月)

かたつもり

Aichi96_1 カンヌ国際映画祭の受賞結果が発表された日
グランプリに輝いた河瀬直美さんの笑顔をテレビで見た。
瞬間、あっ!あの人だと思った。
1996年の「あいち国際女性映画祭'96」で上映された
女性監督招待作品『かたつもり』『につつまれて』を監督した河瀬さん。ストーリーがどんなんだったかは、すっかり忘れている。
上演後の質疑応答やトーク、交流パーティでの彼女の姿だけは鮮明に思い出す。招待作品の監督たちの中でも一番若く初々しかった。
華奢な体ながら、どこか輝いていた。彼女が生まれたのが1969年、当時はまだ20代。

今、私はそのときのパンフレットと、書きなぐったメモを読む。
意識下にある記憶が断片的によみがえってくる。

『につつまれて』、複雑な家庭事情が語られていく映画だった。
父親を知らずに育った監督がお父さんに逢いたい、と養母にいう。
逢いたい気持ちを満たすには探さなければならない。
行動に結びつかないトライはいつも挫折。
挫折を克服するために、自分にとってかけがえのない映画を作ることで
未知なる行動へと結び付けていく。
戸籍で自らの出生を問い、転入、転出を頼りに父親の足跡を追う。
カメラがそれを記録して、人間関係を真摯に受け止めていく。

『につつまれて』で父親に向けられたベクトルが
養母であるおばあちゃんに向けられたのが『かたつもり』。
普通に生きているおばあちゃん、淡々と生きているおばあちゃん。
その人の一年は、ドラマチックと言うに程遠いが
カメラを向け、カメラが意識を持つことでドラマになる。
庭先のエンドウ豆が成長していく。
風や花、人や空、目の前にある風景に何の隔たりもない。
それら宇宙の中にいる「私」。
全てはこの世に生きとし生きている。

二作とも、テーマは家族を捉えている。
出演者は監督自身であり、監督の養母であるおばあちゃん。
プライベートドキュメンタリーである。

監督は言う。
「かたつむりはなめくじが家(カラ)を持った奴だと思っていた。私はなめくじ。家を持たない。血のつながりを知らない。かたつむりにはなれないなめくじが、家を持ったつもりのかたつもり。物心ついた頃からそんな思いが私のカタにツモッてきた。」

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