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2007年6月 5日 (火)

命の長さは物指しで計れない

「題名のない音楽会21」の羽田健太郎さんが亡くなった。
肝細胞癌のためというが、有名な人の訃報は突然入ってくるから
人間の生命の脆さがひしひしと伝わってくる。

死は、いずれ誰にもくる当たり前のことと思っても
人は、死の悲しみの度合いを生の期間を尺度として
「あまりにも早すぎる死」とか「長寿をまっとうされて」
と表現したがる。

人の運命はそれぞれであって
命の長さは物指しで計れるようなものではない。

先日亡くなった石立鉄男さんは64歳、羽田さんも58歳だったとか。
私の年齢に近いわけで・・・

花にも散り際があるように
華やかに咲いて生命を充実させて
その瞬間に散っていく人もある、と思いたい。

ご冥福をお祈りいたします。 

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2007年6月 4日 (月)

かたつもり

Aichi96_1 カンヌ国際映画祭の受賞結果が発表された日
グランプリに輝いた河瀬直美さんの笑顔をテレビで見た。
瞬間、あっ!あの人だと思った。
1996年の「あいち国際女性映画祭'96」で上映された
女性監督招待作品『かたつもり』『につつまれて』を監督した河瀬さん。ストーリーがどんなんだったかは、すっかり忘れている。
上演後の質疑応答やトーク、交流パーティでの彼女の姿だけは鮮明に思い出す。招待作品の監督たちの中でも一番若く初々しかった。
華奢な体ながら、どこか輝いていた。彼女が生まれたのが1969年、当時はまだ20代。

今、私はそのときのパンフレットと、書きなぐったメモを読む。
意識下にある記憶が断片的によみがえってくる。

『につつまれて』、複雑な家庭事情が語られていく映画だった。
父親を知らずに育った監督がお父さんに逢いたい、と養母にいう。
逢いたい気持ちを満たすには探さなければならない。
行動に結びつかないトライはいつも挫折。
挫折を克服するために、自分にとってかけがえのない映画を作ることで
未知なる行動へと結び付けていく。
戸籍で自らの出生を問い、転入、転出を頼りに父親の足跡を追う。
カメラがそれを記録して、人間関係を真摯に受け止めていく。

『につつまれて』で父親に向けられたベクトルが
養母であるおばあちゃんに向けられたのが『かたつもり』。
普通に生きているおばあちゃん、淡々と生きているおばあちゃん。
その人の一年は、ドラマチックと言うに程遠いが
カメラを向け、カメラが意識を持つことでドラマになる。
庭先のエンドウ豆が成長していく。
風や花、人や空、目の前にある風景に何の隔たりもない。
それら宇宙の中にいる「私」。
全てはこの世に生きとし生きている。

二作とも、テーマは家族を捉えている。
出演者は監督自身であり、監督の養母であるおばあちゃん。
プライベートドキュメンタリーである。

監督は言う。
「かたつむりはなめくじが家(カラ)を持った奴だと思っていた。私はなめくじ。家を持たない。血のつながりを知らない。かたつむりにはなれないなめくじが、家を持ったつもりのかたつもり。物心ついた頃からそんな思いが私のカタにツモッてきた。」

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2007年6月 3日 (日)

石立さんの死は早すぎる

昔、『おくさまは18歳』というテレビドラマがあった。
結婚を秘密にして同じ学校に通う高校教師と女生徒のカップルが
学校でも家庭でも常に騒動に巻き込まれる。
スリリングな展開が軽妙で、私が逃さず観ていた唯一の連続ドラマ。

ドラマの中で教師役を演じていた石立鉄男さんが亡くなった。
死因は急性動脈瘤破裂、家族が起こしに行ったときには息がなかったという。
満64歳、恵まれた仕事をされていた人だけに充実した日々だったに違いない。
亡くなられる前日は、夜ベッドに入って独り「幸せだな~」って呟かれたのでは・・・
ファンの一人として、せめてそう思うことにしましょう。

私も石立さんと同い年。
貝原益軒が「年老いてきたら1日は若い時の10日分だ。1か月というのは1年に相当する」
と言ったが、実感として理解できる年になった。
いくらがんばっても、あと30年は生きられない。
いや、マイナスに考えるんではなく
あと30年あるのだから、そう思って新しいことにチャレンジしてみようかな・・・。

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2007年6月 1日 (金)

マイフォト

マイフォト「初夏のデンパーク」、「依佐美送信所記念館」をアップしました。どうぞご覧ください。

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