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2007年5月27日 (日)

今は寂しい南東の空

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今日、依佐美送信所記念館に行ってきた。かつて国際通信施設として活躍した依佐美無線送信所の跡地を利用して建てられたものだ。
ヨーロッパへの長波の送信を日本で初めて送信したのもここからで、当時の外交に重要な役割を果たしていた場所だ。
第2次世界大戦後は、米軍の接収するところとなったが、1994年(平成6年)の返還により取り壊し、実際に使われていた送信装置や関係書類が展示してある。

取り壊される前の無線の鉄塔は高さ250mものが八基。それが夜毎光を放つ。私の家から距離にして南東3キロほどのところに位置し、いつも南東の夜空を見上げていたものだ。
ボンヤリした気分で夜のベランダに出ても、無意識に目がいくのは鉄塔の明滅。それほどに私を魅了する存在だった。これは多分、私だけではないだろう。
戦中、戦後と市民はこの鉄塔と対峙して生きてきたのだから・・・。
だが、今はもうない。
無線が担った役割と、その価値を多くの人に知ってもらいたい、そんな事を思いながらの見学だった。

1941年(昭和16年)12月8日の真珠湾攻撃の開始を告げる「「ニイタカヤマノボレ」は、ご存知の方も多いと思う。山本五十六連合艦隊司令長官が現地の攻撃部隊にくだした暗号文です。実は、これが依佐美無線からの送信だったということだ。

・当初、対欧無線電信通信所として半官半民の国策会社を設立し、1928年(昭和3年)に工事に着手。
・翌年に鉄塔八基を有した「日本無線電信依佐美送電所」が完成。世界に向けて電波を発信。
・第2次世界大戦には主に日本海軍の操縦するところだったようだ。
・戦後は米国海軍基地として1993年(平成5年)まで電波は送信されていたが、この年の8月を持って送信停止。

・1996年(平成8年)7月に撤去作業を開始したが、8月のある日、撤去中の鉄塔が倒壊。解体工事関係者、取材に来ていた人など 数人の犠牲者が出た。
・この事故のため、撤去作業を一時中断、その後の再開で1997年(平成9年)の春にはすべての撤去作業が終了。

この鉄塔を見つづけてきた私には、今はちょっぴり寂しい南東の空だ。

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