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2006年11月30日 (木)

お江戸の昔

Ukiyoe 松坂屋本店美術館で開催されている「四大浮世絵師展」に行ってきた。
画像は展示作品の目録表紙(文末参考)。
写楽の役者絵、歌麿の美人画、北斎の富士や、広重の東海道五拾三次シリーズのカレンダーが壁にかかっている家もめずらしくない。浮世絵の複製画を、月カレンダーにしたものだ。いわば、12枚余りの浮世絵と年中向き合っている人も多いわけだ。Utamaro 優れた芸術作品の印象を受けるが、元は江戸町人の中から生まれた大衆芸術。浮世のありようを描くわけだから、当世風の変化に遅れまいと、次から次に描かれた観がある。表現方法も版画が主だったようで、何百枚、何千枚と大量に刷られて、人々の間に出回ったということだ。案外、見飽きたら破り捨てられ運命にあったのかも。

そんな事情のなかでも、芸術性にこだわった絵師たちの作品は、ヨーロッパ印象派の画家達にも大きな影響を与えた。
陶器の輸出用包装紙として、北斎漫画が使われたことから情報が流れたという。ゴッホは、広重の「名所江戸百景」シリーズの「亀戸梅屋舗」と「大はしあたけの夕立」の模写で、文字まで克明に模写しているのだから、その影響力の強さがうかがえる。

江戸時代にはすべてがあったというのが私の認識だが、町人のささやかな生活では、歌舞伎を見ることも、美人と遊興にふけることもできない。複製の絵を通しての擬似体験や、下世話な事実を知って楽しんでいたのだろうか・・・。
世のなかの流行を知りたいという人間の気持ちは、お江戸の昔も今もかわりないわけで、今風の週刊誌の役割をしていたのかもしれない。
実際、歌麿の美人画をまのあたりにすると、当時の男と女のことや恋事情などもうかがわれて興味深い。現代のしらけた関係より深く情緒的だ。

参考:画像上は、写楽の「嵐龍蔵の金貸石部金吉」部分。
   画像下は、歌麿の「松葉楼装ひ 実を通す風情」部分。

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2006年11月27日 (月)

憧れのダンディズム?

Korocut飼い犬の優雅なロングコートを誇っても、伸び放題では毛色もあせてくる。紳士には身だしなみが大切なのだ。左の2枚の写真、「どちらがダンディ?」って聞くのも野暮だが、上は、私がカットしてやったときのコロ。下は、トリマーさんの手が入ったコロ。
今日は、少々気張って温泉浴もしてもらった。

Trim_1 プロの腕にかかると、単にカットがうまいだけでなく、毛に色艶がでる。目は輝いて、顔の表情がいい。ますます男前になった。

最近は、エステに通う男性が増えたとか・・・。
会社帰りにエステサロンに寄って、身も心もリフレッシュ。これがビジネスにもいい影響を与えるようだ。
垢抜けた身だしなみは良い印象がするし、何よりも自分自身の身も心も引き締まるに違いない。

「お金が勿体ない」と言っては身も蓋もない。
画像を見れば、腕の違いは歴然としている。やっぱり、その技にはかなわない。
人間も犬も美しさを際立たせるためには、プロの手に委ねたほうが良いのかもしれない。

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2006年11月25日 (土)

半田写録2

Kura2_2 Kura_2 半田駅から数分、目の前に半田運河と呼ばる十ヶ川が広がった。川沿いには、黒板作りの醸造蔵が並んでいる。
昔から良質の水が出ることから醸造業が盛んで、その名残が残っているのだ。風が酢の匂いを 運んでくる。ミッカン酢では、今もこの蔵を現役で活躍させていた。

ミッカン酢本社前の広い道路を渡り、狭い路地を北に行く。酒の「国盛」で有名な中埜酒造が誇る、築240年の酒蔵がある。1986年の工場移転を機に、原形のまま「酒の文化会館」として一般公開している。

Tenjilyou_1 会館を一歩中に入ると、200年余もの昔にタイムスリップしたような錯覚に陥るから不思議だ。黒光りしたむき出しの天井の梁は、鉄骨で補強してあるものの、歴史の重厚さを感じさせる空間だ。
かつて使用されていた道具や、和紙人形で再現された酒つくり工程の歴史を眺めていると、その時代に生きた人々の呼吸までがこちらに伝わってくる。

日本酒嫌いの私でも試飲してみようという気になった。
「国盛」といっても、製品によって味が違う。
原料となる米の違いなのか。山田錦を原料米とした「超特撰国盛 純米大吟醸中埜」が、一番おいしかったような・・・。

山本周五郎は、「酒は人類が生み出した最高の傑作」と言ったが、まさにそのとおり。稲作民族の日本人の知恵が考えた永遠の傑作とも言いたい。

「酒の文化会館」の画像はマイフォトにアップ。

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2006年11月23日 (木)

半田写録1

日本で一番古いJRの跨線橋が、どこにあるかご存知ですか?

Handa_1 Handa2_2 Handa5

先日、JR武豊線に乗って半田まで行ってきた。列車を降り、ホームに立ったとたんに古めかしい雰囲気に包まれた。駅舎の改札口には跨線橋で通じている。橋は黒光りする木造だから、歩を進めるごとに木のきしむ音が心地よく響く。鉄柱には、「開駅 明治19年(1886)このこ線橋は、明治43年11月完成JRでは最古の橋です。昭和62年11月 半田駅長」とあった。どうりで明治の香りがするわけだ。

           Handa4_1
ラッシュ時ではなかったからか人もまばら。
う~ん、なんだか酢の匂いがしてきた。(つづく)

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2006年11月22日 (水)

映像美に耐える

今年の文化勲章の受章者瀬戸内寂聴さんが、野間宏文芸賞を受賞したときの作品『場 所』に次のようにある。

眉山は徳島の町のほとんどの場所から望めた。眉のようなならだかでやさしい稜線は、遠くから見ても近くから眺めても人の心を和ませた。

眉山の名の由来は、『万葉集』の「眉のごと雲居に見ゆる阿波の山 かけて漕ぐ舟とまり知らずも」(船王)から生じたものらしい。
その眉山の麓、急斜面にある擁壁に迷い込んだ野良犬が、レスキュー隊によって無事助けられたニュースには、ほっとした人も多いだろう。
野良一匹でも命あるもの。何とか助かって欲しいと願う地元の人たちの心は、万葉の昔から今に至るまで人々の心を癒し続けた眉山に、さらなる伝説を作り上げた。

Nora Nora2_3 Nora3_2  

先日の旅で北野異人館街にある北野町東公園に立ち寄ったときに、耳を怪我した猫を見かけた。
猫同士の喧嘩で負った傷なのか、あるいは病気なのか。
野良には違いないが、人間には慣れているようで、近寄ってカメラを向けても動じることがない。異常な目やにで開かない目から涙を流しながら、前足でぬぐう仕草を延々と続けていた。
周りを見渡せば、あちらにもこちらにも猫たちが・・・。どうやら、彼らは、ここをテリトリーにしているらしい。
ベンチで弁当を食べているホームレスの足元で餌をもらっている猫。
悠々自適に公園内を歩き回っている猫。
樹木の根元で怖気づいている猫。
野良にも階級があるらしい。

野良犬や野良猫の問題を抱えている地域も多い。
飼い主に捨てられたものばかりでなく、繁殖で増えてもいるのだろう。
犬や猫に責任はないものの、人間だって野良によって生活を侵害されるのは堪ったものではない。
北野の人たちは、大変な迷惑をこうむっているのではないだろうか。

道端でふるえている犬や猫を見かけたら、手を差し出してやりたいのが人情というものだが、一時の感情だけですむ問題ではないから難しい。
眉山で助け出された犬は、保健所で適切な手当てをされた後に里親に出されるとのこと。

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2006年11月21日 (火)

音の絵

Fujikopan2_1 JR三ノ宮駅に降り立ち、山の手の坂を上って北野異人館通りを行くと、点在するチケット売り場から声を掛けられる。
ひとつの館に付き500円程度の入館料だが、全てを回りつくせば高額になる。
生活感あふれる主婦二人旅では、500円でも勿体ない。大体、こういうものは一度見ればそれで良いのでは・・・。建物の中よりも、インポートブティックや、レトロなお店を覗きながらの散策が今回の目的なのだ。
いやいや、それでも無料ならばとばかりに、ラインの館やパラスティン邸には、ちゃっかり 入っているのだから大阪のおばさんにも負けてないほどのガメツさ。

異人館界隈で最も印象的だったのは、ギャラリー・春心音(ハルシオン)。うろこの家から少し降りたところに位置する、異人館を利用した画廊だ。入館無料に吊られて入ったのだが、なんと、「魂のピアニスト『イングリット フジ子 ヘミング』もうひとつの世界」展をやっていた。原画を忠実に再現した限定部数のリトグラフ展示即売会。

ピアノや猫、花をモチーフに描かれ、軽やかで無垢で幻想的な点は、マルク・シャガールの絵を思わせる。
レモンイエローの色彩と繊細な描線は、ジャンセンの絵画世界にも通じるものがある。
・・・なんって、ない知識を搾り出しての友との会話は、画廊のオーナーには陳腐なものに聞こえたのだろう。
近寄って、数点の作品について説明してくださった。

Fujiko 客は私たちだけ。「作品の前で写真を撮って良いですか。。。」と友人。
すっかり大阪おばさんに成りきるてしまったようで、穴があったら入りたかった。
快く承知くださったことを良いことに、私までが自分用カメラを差し出してシャッターを押してもらった。
旅の恥は掻き捨てと言うし、まあ、よしとしよう。

フジ子・ヘミングのピアノは、テレビで演奏していたリストの「ラ・カンパネラ」を思い出す程度の記憶しかない。彼女の演奏や生き方は別にしても、絵のなかの色彩や描線からは、美しい旋律が聴こえてくる。
ピアノも絵画も、単なる技術という以上に表現力の要る世界だから、感性的な自己表現が必要になってくる。
今後、どんな音の絵が描かれるのだろうか。

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2006年11月20日 (月)

座蒲団がお尻に隠れるほどのことはないけども

友人と神戸&大阪の旅を楽しんできた。新幹線で行けば効率よく行動できるものを、近鉄の株主優待乗車証を消化するための駆け足旅行。

Mizukakefudou_1 大阪ミナミ・道頓堀を南に行くと石畳が敷き詰められた細い路地に入る。織田作之助の小説『夫婦善哉』の舞台にもなった法善寺横町だ。そこに隣接する法善寺の境内に水掛不動さんがある。何でも願い事の手助けや後押しをしてくれるということだ。たち上がる線香の煙に手をかざし、全身苔だらけの不動尊に水を掛ける人が絶えない。
「水かけさんに来たらぜんざいでしょう」と意気込む友人に釣られて、さしあたり願い事も思い当たらなかったので、お参りもそこそこ。
小説のラストで、柳吉が「どや、なんぞ、う、う、うまいもん食いに行こか」と蝶子を誘って、二人で入ったぜんざい屋「夫婦善哉」を探した。

Meotozenzai_3 二年前にここを訪れたときに見かけた、店看板の赤い大提灯が見当たらないのだ。
私の記憶の中にあったはずの場所には、工事中の近代的な建物がある。聞けば、店舗の建て替え中で、11月下旬のオープンまでの休業とのこと。
「やった!」とばかりに、私はぽんと指打ちした。最近めっきり肥えて、甘いものは控えたい。まあ、蝶子さんのように座蒲団がお尻に隠れるほどのこともないのだが。。。

それにしても、2002年9月の中座の火事に端を発し、道頓堀界隈から昭和のノスタルジーが薄れていくのは残念だ。

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