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2006年10月23日 (月)

会話が弾む

昨日は地元神社の秋祭り。神社と言えば巨木の生い茂った鎮守の森。普段は何にも利用されず、広い空間を陣取っているのは勿体ないような気もするが・・・。
朝から法被姿の人が町内を行き来しし、神輿を担いだ子どもたちの「ワッショイ!ワッショイ!」の声が祭りの雰囲気を盛り上げていた。午後には厄年の人たちの餅投げがあり、いつも静かな神社も、この日ばかりは町中の人総出の賑わいだった。餅を拾うという行為よりも、ここでは人々の会話が弾む。神社も先祖神とのつながりの場である以上に、今はコミュニティといった社会的意味合いが強いのだろう。今の時期、こんな風景がどこの町にでも見られるのかもしれない。

(コロの弁)
ボクのご主人様hitujiの気まぐれにも困ったもので、祭りの餅投げから帰るなり、夜でもないのにグーグー寝だした。あれだけ寝れば、そりゃ~寝れないよ。ボクが夢の中でいい思いをしている深夜に、突然ボクの部屋に入ってきて灯りを点けて掃除をしだした。挙句の果てはボクのベットから毛布を取り出して、新しいのと交換するというのだ。昨日は悪戯をしてひどく反省をしているし、これからは殊勝な気持ちで過ごそうと思っているのに、この仕打ちはひどすぎる。

(hitujiの弁)
コロよ、それはお前の勘違いというやつだよ。
お前は、昼間に毛布の上に黄色の液を吐いたじゃないか。あの時、私は餅投げの時間のことがあったから、濡れタオルで拭いただけで出て行った。神社で餅を拾うのに疲れきってしまい、帰宅後に仮眠したんだよ。この仮眠が少々長引いたのかな・・・その後の時間が全てずれてしまい、お前の毛布を替えるのが遅れたというわけなんだよ。

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2006年10月21日 (土)

効率的に覚える

Dna_3 コロは慣れない洋服を着せられてストレスが溜まったのか、今日はとんでもない事をしでかした。私の寝室に侵入して、サイドテーブルの上の電気スタンドに灯りをつけ、そこにあった本を齧ったのだ。テーブルの上には数冊の本を置いているのだが、被害にあったのはDNAに関する本と脳に関する本の2冊。私のお気に入りの本に限ってこの有様だから、これには参った。 

Brain_2 最近、物忘れは激しくなったし、頭の回転が遅くなった。単純な計算を指折り数えながらやるのだから始末が悪い。これも年のせいかも知れないが、諦めるにはまだ早い。脳神経科学者の池谷裕二さんの著書『能の仕組みと科学的勉強法』によれば、脳の機能は忘れて当然だそうだし、方法記憶を利用して要領よく覚えれば忘れにくいということだ。「九九」を小学生のときに暗記させられるが、10歳くらいの年齢では意味のない文字や絵、音に対しての記憶が発達している時期だから難なく覚えられる。中学生になって論理的な記憶力が発達してきてからでは、「九九」を丸暗記するのは困難になってくるらしい。丸暗記はその場しのぎで覚えたとしても、覚えた範囲のことにしか役立たないが、その根底にある論理や理屈を理解すれば、あらゆるものに応用できる。つまり、方法を理解して記憶すれば忘れにくいということだ。
「九九」を例に取って次のようにある。
たとえば、「7×8」の場合を考えましょう。私は「70-14」として56と答えが瞬時に出ます。もしくは「40+16」でもよいでしょう。

この中には「10倍すること」「倍にすること」「半分にすること」の三つの方法が入っているわけで、お分かりかと思うが、7を10倍して7の2倍分を引けばよい。もしくは「8×7」として8を10倍してその半分に8の2倍分をプラスしてやればよい。三つの方法を知っていれば、「26×17」の場合も、26を10倍して260、それを半分にして130、26を倍にして52になり、「260+130+52=442」と瞬時に答えが出てくるわけだ。

記憶は脳の海馬で作られ大脳皮質に保管されるが、海馬に入った情報はフィルター掛けられて、命に関連しない情報は出来るだけ排除しようとするから、方法記憶を利用して如何に効率的に覚えるかが大切なわけだ。

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2006年10月20日 (金)

一張羅を着て

昼間は半袖の方が凌ぎやすいのに、朝夕は寒いくらいで長袖のシャツの上にセーターが欲しい。季節の変化は徐々に起きているのだ。私はセーターを掛けて、コロには一張羅の洋服を着せて朝の散歩。久しぶりのコロの画像です。

Koro1

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2006年10月17日 (火)

まわれ右

芝生の手入れをしていると、鼻をつく嫌な匂いがする。猫の尿の匂いだ。
我が家の庭はどうも安心風が吹くらしく、猫が芝生の上をのんびりと歩いて行く。白の毛が汚れていることと、首輪をしていないことをみると、夜になれば宿無しの野良だろう。どこかで餌をもらっているのか、あるいはゴミ置き場の残飯でも漁っているのか痩せてはいない。コロは、その姿をベランダから悠長に眺めている。私が一喝「こらっ!」と叫ぶと、野良は風のように素早く飛んでい行く。まあ、ここまでは昼間の話だ。夜になると「おぎゃ~おぎゃ~」と甘い声が聞こえてくる。近くに赤ちゃんでもいるのか・・・。耳を澄ませば、我が家の庭からだ。多分、昼間の野良だろう。発情した野良が異性を求めて彷徨っているに違いない。もしかして、我が家のコロを恰好の相手と思ってしまったのか(笑)
う~ん、室内飼いの猫が多い事情の中で、野良は野良なりに独立独歩で立派に生きている、と言えるのかもしれない。
それにしても、猫の尿の匂いはきつい。何か良い手立てはないものかと思っていたら、日経のプレスリリースにこんな朗報があった。
フマキラーが来年1月に発売する犬猫忌避剤『犬猫まわれ右』で、スプレー タイプと粒タイプがあるようだ。「人間に対しては不快を与えない香り」というのが良い。

フマキラーサイトhttp://www.fumakilla.co.jp/

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2006年10月15日 (日)

空気がおいしい

晴天に恵まれ、庭の手入れなどをしていた。庭の片隅にある銀杏の木から黄色に熟したギンナンが落ちていて、それを拾い集めるだけでも時間がかかる。今はまだ葉っぱが青いから落ち葉を掃き集める苦労もないわけだが、紅葉して風の強い日には庭中に舞い散る。これほど厄介な樹木はない。いっそうのこと根元から伐採してしまいたいのだが、樹木にも魂が宿るというし、樹齢70年以上にもなるこの大木を厄介者扱いにして容易く伐採するわけにもいかない。
これからの季節は落葉との戦いとなるが、その程度の作業は健康のために良い、とプラス思考で楽しんでみようかな・・・。

Img_7117_2 Img_7118_2

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何もかもが急ぎすぎて

一息している間に十月も半ばになってしまった。時の過ぎるのは本当に速い。一日24時間、昼の長さに応じて夜の長さが決まるわけだが、最近、昼の長さが短くなってきたような気がしてならない。日の出や日の入りの時刻が季節によって変化するわけで、冬に向かっているのだから当然と言えば当然だが、夜だって短いような気がする。地球が自転するのにかかる時間の24時間に差があったとしても取るに足りない話なのに、これは一体どうしたことか・・・。
何もかもが急ぎすぎているような気がしてならない。
安倍総理の中国、韓国訪問で明るい兆しが見えたかと思ったら、北朝鮮の核実験騒動で世界中に衝撃が走った。これをめぐり国連安全保障理事会が北朝鮮への制裁を決議する見通しだが、それに先がけて日本は単独の制裁を発表した。政治というものは、ひとつの種から人々をいろいろなことに巻き込んでいく。この制裁によって、民間人にどのような影響が出るのだろうか。
「政府は13日、核実験実施を表明した北朝鮮への独自制裁策の発動に伴い、経済的な損失を受ける日本の民間業者などを支援するための緊急対策会議で、政府系金融機関による金利減免措置を柱とする当面の対策を決めた。」日経)とあるが、自国の政策で長い間苦しんでいる北朝鮮の人たちへも十分な関心を注いでほしいものだ、と私がつぶやいてもどうしょうもないが。

国連安保理の北朝鮮制裁決議は、どうやら今日の未明に採択したようですね。

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2006年10月 1日 (日)

すでに10月

すでに10月。昨夜のうち天気が変わったようで、昨日の昼間は冷房を入れていたのに、今日は朝からの雨で冷え込む。気温の変化に文句を言っても仕方ないが、もう少し立ち止まって残暑の名残を残して欲しいものだ。カーティガンなんかを羽織って、冬支度のことを考えるのは年齢からかな・・・。
飼い犬と戯れながら、ベランダに通ずる部屋から外の風景を眺めていると、雨は白い色をしている。ガラス越しに見ると透き通るような白い色をしている。それはなんとも美しく、眉間に皺を寄せ、目を細めてしまうほどの眩しい白だ。
ガラス戸を開け一歩外に出てみると、雨は白い大量の仲間達を伴い、行き交う車のフロントガラスにまつわり付いている。そしてそれは、あたかも人間の造った文明をあざ笑うが如く、地上に落ちる間に濁りのある白に染められる。これはまさに汚染された白だ。
こういう状況を、芭蕉ならどう詠むだろうかと、ちょっとそんなことを考えてみた。5.7.5とわずか17文字の中に季節感や感情を出すのは難しいが、色を織り込んで詠むと表現が生きてくると言われる。確かに芭蕉の句は、白い色がひときわ目立って詠われている。

『野ざらし紀行』のなかから拾ってみるとこうだ。(『芭蕉ハンドブック』/尾形 仂編/三省堂参考)

・曙や白魚白きこと一寸
・海暮れて鴨の声ほのかに白し
・梅白し昨日ふや鶴を盗れし
・海暮れて鴨のこゑほのかに白し
・白げしにはねもぐ蝶の形見哉

白への思いは、人のおかれている環境によってさまざまに異なる。私が今日の雨を眩しい白に思うのも、二階のガラス越しに見ていることと、落ち着いた気分にも寄りかかることが大きいだろう。だが、一歩外に出てみる雨の白は、車量の多いことと、にわかに増えだしたマンション群によって、視界が遮られたという物理的環境にもよるだろう。

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