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2006年8月31日 (木)

猛暑の中、地味に歩き回る

猛暑の中を歩き回り、そんな日は夕食を終えれば睡魔に負けて寝入ってしまう。それで熟睡できるうちは良いのだが、眠気を振り切って起きていようものなら、いざ寝ようと思うときには目が冴えてしまってなかなか寝付けない。いっそうのこと朝まで起きておれば良いのだが、なんせ身体全体が疲れているのだから、起き上がって何かをする気力も湧いてこない。そんなわけで更新が滞っていましたが、皆様お元気ですか。

暑い暑い、と言っても8月も今日で去ってしまうのかと思うと、妙に寂しさのようなものが漂ってくる。峠を下る徒労のようなものだ。若いころはコロコロと考えが変わっても、下から吹く風に背中を押され頂上を目指したものだが、今は峠の上から吹く風に背中を押されている。引き返して上に行こうとしても、疲れた身体からは、もう後に戻る気力が湧いてこない。
昼間、あれほどうるさかったセミの声も、今はほとんど聞けない。ただ樹木の露だけを吸って命果てるのをまっているのだろう。・・・こんなことを考えるのは年のせいなのか。

以下はGENIOe(ポケットPC)のメモ帳にメモしたものをディスクトップに送り込み、それに画像を添付したもで、8月の猛暑を地味に歩き回る私の日常のピックアップだ。

(8/28)
久しぶりに朝から雨模様の日。カンカン照りの猛暑が続いてうんざりしているから、こういう日に目的もなく外出するのも良いだろうと、名古屋に出る。まずは新幹線の西口にあるビックカメラ名古屋西店でノートパソコンを見た。どうしても目が行くのはDELL製品。今すぐにノートパソコンを必要としているわけでもないが、寝転がってGyaOで映画を観たり、HPの更新をしたいなぁ、というだけのこと。DELLのXPS M1210プレミアムパッケージはどうだろうか・・・。担当者が11時でないと来ないということで、詳細を聞くことが出来なかったのが残念。今はレノボのシンクパッドが評判が良いようだが、使い慣れたメーカーにこだわる。
ビックカメラを出て雨が降ってきた。次はヤマハへ。地下鉄で伏見駅まで行ってもヤマハまでは距離があるから、結局歩くことにした。目的のピアノ楽譜を探し、今度はやはり徒歩で松坂屋本店へ。ちょうど昼食時だったので、地下2階のカレーハウス「サンマルコ」でハヤシライスを食べた。私はここのハヤシライスが好きなのだ。
「夏物さようならバーゲンセール」を覗いたが、特に買うものもない。南館7階にある美術館で行われている「ステンドグラス美術展」を観た。ステンドグラスと言えば、教会にあるような宗教画的なパネルを思い浮かべるが、展示作品の中でも抽象的なデザインが目を引いた。中でも、石原真一さんの「WORK-30」、石川韶枝さんの「ドクダミ草」には震えるような感動を覚えたものだ。ガラスが放つ光の魔術とでも言うのか、デザイン画と光のコントラストに神秘的なものを感じるのだ。
パネル作品だけではなく、ランプや置物のような実用的な立体作品にも目を奪われる。

朝9時30分に家を出て帰宅したのが3時。よくもまあ歩き回ったものだ。

(8/26)
Img_6851_1  今は廃れてしまったが、その海の眺めの美しさに多くの人が訪れた蒲郡の竹島海岸。嘗ては、菊池寛、志賀直哉、谷崎潤一郎、山本有三、川端康成といった作家が「常盤館」に滞在して作品を書いたという。
その常盤館の復元ということで建てられた『海辺の文学記念館』。
この日は、『海辺の文学記念館』で、孫たちに「時手紙」を体験させた。時手紙(ときてがみ)とは、未来の自分へのメッセージを書いて、10年後に自分宛に送ってもらえる、まぁ、言うなればタイムカプセルのようなものだ。
Img_6821 小1の孫は字が書けるから何かを書いていたが、内容は秘密とのこと。幼稚園年少組の孫は字がかけないので、絵を描いていたようだ。

Img_6831

(8/25)
Img_6775_1 奥三河の寒狭川広見ヤナで、孫たちと鮎のつかみ取りをしてきた。1㎏5300円(約15匹)の鮎を購入して、生け簀に放流したものを掴み取るものだが、子供の素手でも掴めるから結構楽しい。放流された全ての鮎を掴み取ったあとは、これを料理してもらい食べた。塩焼きもおいしいが、フライが一番かな。
普段は魚よりも肉を好む孫たちも、この日ばかりは鮎料理の奪い合い。自分の手で取ったとなれば自慢して食べ合う。

(8/22)
残暑が厳しい。今日も朝から暑かった。健康な犬の体温は38~39度で人間より高いという。上等の毛皮で覆われた我が家のコロの体は、さぞかし暑かろう。人間は気温の変化に合わせて衣服を調節するが、犬は自分ではそれが出来ない。暑い日中は室内温度を28度に保ってやっているが、冷房を切ってドアを開けっ放しにしておくと北の方に移動していく。人間用のトイレがしっかり閉まっていないものならトイレの中に入って眠っている。タイル敷きの床がひんやりして、暑さをしのぐには恰好の場所なのだろう。コロなりの知恵といったところだ。
トイレで眠っているところを私にみっかって、バツが悪るそうにハウスに戻っていく。
早朝の散歩だって気温は高いのだし、24時間冷房を入れっぱなしにして室温を保つわけにもいかない。いっそうのこと、毛皮をバリカンで刈ってしまったら涼しいだろうと思うのだが、なんせ自慢の上等の毛皮だからそこまでは出来ない。
まあ、醜くない程度に私がカットしてみた。結構いい出来ですよね。

Img_6729

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2006年8月23日 (水)

鮮やかでありさえすれば良い

つい最近、太陽系の惑星を9個から12個にするという定義案がニュースで流れたが、今日は一転して「冥王星を除く8惑星にする」との修正案が出され、最終的にはこれで決まるらしい。
観測技術が発達したことによって、冥王星と同程度の大きさの小天体が次々に発見されているし、元々、冥王星は他の惑星と比べると小さい。軌道も他の惑星とは違うだけに小惑星とされる向きも多かったから、降格は妥当なのだろう。
昔覚えた「水、金、地、火、木、土、天、海、冥」が、懐かしく思い出される。
惑星が12個になろうが、8個になろうが、それは天文学の世界の話で、数のこだわりは私にはない。

Img_6744_2 この画像に説明は要らない。
と言いつつも説明するが、午前中に庭の手入れをしていて、芝生にイタズラをしてみた。
これを見て、孫たちからどんな反応が返ってくるか楽しみだ。

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2006年8月22日 (火)

今宵は雷

Img_6438_1 犬にとっても幼児は可愛らしくってほほえましい。毎日一緒に暮らしているわけでもないのに、時折やって来るだけのオチビちゃんに鼻をかすめて匂いを嗅ぎ、折に触れて思い出す匂いに飼い主家族の私との血の繋がりを感じるのか、姿勢を低くして親愛の情を表わす。
ちょうどそれは、長時間の外出から帰宅した私を見て、部屋中をグルグル周りしながら飛び跳ね、顔といわず、手といわず、体の至るところを舐めまわし、恋しさでいっぱいだった気持を表わすのに似ている。
オチビちゃんにしても、父親や母親、兄たち、祖父母である私たちに次いで好きなのが犬なのだから、近寄って顔を寄せてくるコロに胸をドキドキさせながらも、ますますコロが好きになるのだ。

レッスン室に当てている北の部屋にいると、雨が降っているのも知らずにいる。チャイムの音とともに入ってくる生徒の濡れた衣服を見て、初めて外の雨に気がつく。あわてて、コロの部屋の開けっ放しの窓を閉めに行く。遠くでは雷もしている。

レッスンを終えて、夕ご飯の支度をしながらテレビニュースを見ていると、愛知県は、今夜から宵のうちにかけて雷を伴い短時間に激しい雨が降るとのこと。あわせて落雷の注意事項をあげていた。家の中にも雷が落ちることがあるから、雷が来たら電化製品から身体を遠ざけた方がいいらしい。パソコンなどはプラグを抜くように注意を促していた。
夕食も終え、今は午後8時30分を過ぎている。
案の定、激しい雨とともに雷が近くにやってきた。コロの部屋を覗くと、部屋の隅にある机の下に潜り込んで小さくなっている。難を避けるための彼の知恵だろう。

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2006年8月21日 (月)

価値観の逆転

午前中の涼しいうちに、と思って庭の手入れなどしていると昼間でも冷たいビールが飲みたくなる。決して酒豪でもないし、ましてやアルコール依存症などではない。それでも家を守り、家族を忘れず、子供たち相手のピアノ教室の仕事もこなし、その上に夫の仕事である登記書類の作成なども手伝っているのだから、酒に酔うように自分の生き方に酔っている。
欲を言えば、酒に酔う勢いで文章が書ければよいのだが・・・。
還暦をとっくに過ぎたこの年になっても文学への夢を持ち続けているのだから、これほど堂々としていることはない。

平成18年度上半期、第135回芥川賞、伊藤たかみさんの「八月の路上に捨てる」を読んでみた。自動販売機に清涼飲料水の補填を仕事としている主人公敦が、その仕事コンビであるバツイチの女性ドライバー水城さんに語る離婚の経緯。たかが一日の仕事の中での会話を主として成り立っているが、特にインパクトのある文章でもなく、平凡で日常的な軽い会話に過ぎない気がした。いずれにしても、男が女に自分の離婚について語るなんってことは、私には想定外のことだ。
男が女に語るときには、もっとインテリであって欲しい。水木さんの口調が軽妙だが、男っぽく聞こえて、女が強くなる世間の風潮が出ているようで嫌な気がした。年上の女性が男にアドバイスするときには、生きる知恵の応援歌のようなものが欲しい、と私は思う。
選考委員の石原慎太郎が図らずも言っているように、結婚とか離婚というものの重さを感じさせるのが文学の真髄であるはずだが、エネルギーを張り詰めるようなものがなく軽く読めた。
それだけに、ちょっと物足りなさもある。

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