2011年4月23日24日の気仙沼

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    気仙沼市唐桑町にの甥一家が東日本大震災で津波の被害に遭遇。お見舞いに駆け付けた時の撮影。

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2006年5月22日 (月)

風呂敷

長かった連休で心がゆるみかけているところにもってココログの不調で更新が滞っている。と、まあ 言訳はいろいろあるが、この間にプール通いを始めた。体重のことなど気にしたこともなかったのが、この2年間で8キロも増加してしまい、さすがに苦になりだしたわけだ。運動が苦手な上に出不精の私が出かけて行って泳いでくるのだから、そんな日にはNETに接続しても文章を書く気も起きないし、ただただ、意味もなくインターネット上をあちこちと動き回っている。こういう無為も貴重だ、と妙な自己弁護をしているが結果は前回の更新から20日以上の日が流れてしまっている。

Img_5339_1 先日、世界大風呂敷展(名古屋市博物館)に行ってきた。大風呂敷と言っても、この風呂敷はものを包む方の風呂敷のこと。ご贈答品を持参する場合に風呂敷に包んで行くというのが普通だった私の時代があった。それがいつの間にやら紙袋に変わってしまった。もっと時を遡れば、カバンではなく風呂敷をさげるのが庶民の風俗だった時代もある。今の時代に古い風呂敷をゆるゆるにさげて歩くのは正直みっともない。そうは言っても、まとめにくいものをまとめて運ぶには、これほど便利なものはない。使い方次第で今でも重宝するものだ。その上、紙袋のように簡単に破れることもないし、ゴミの削減になる。
風呂敷は日本独自のもの、と思っていた今までの私の認識は誤っていたわけで、世界の中の布の文化を持つ国に於いては、風呂敷の役目を果たす布が必ず存在しているということだ。ただ、物を包むためだけに使用する四角の布を風呂敷文化として発展させたのは日本と韓国のほかは少ない。今回の展覧会では、いわゆる日本でいうところの物を包む風呂敷といわれるものに限定されずに、ハンカチやテーブルクロス、壁掛け、肩掛け、腰布を含めた物を覆う一枚の平面的な布であれば、それも風呂敷ということで世界の貴重な風呂敷が展示され、そこから民族文化が紹介されていた。
一つの物が布で包まれることによって包む前とは変わってくる。例えば日本でも家具に家紋を染め抜いた祝い布がかけられると嫁入り道具に変身する。また、人が死んだときに遺体の顔の部分に白い布を被せるが、死者を清浄な肉体にして、無事に極楽へ行ってほしいとの祈りを込める。インドネシアでは人が亡くなると香典のようにして大切な布を贈り、遺体はその布で丁寧に包まれる。つまり、大切なものを包んだり覆い被せ保護することによって祝いの心や祈りの心を布に託すのである。そういう意味から言えば、ミイラ包みは風呂敷の最も古い機能を果たしているとも言える。
そうした儀式的な使われ方とは別に、実用的な使い方としてパネルで紹介されていたほんの一部をあげてみるとこうだ。
西アジアや中央アジアでは食卓の代わりをなすのが一枚の布。床の上にじかに座って食事をする生活様式から来るものだろう。中央アメリカや南アジアでは風呂敷にものを包んでいとも軽々しく頭上に乗せて運んでいる。それだけではなく一枚の布を肩に掛けて、その中に乳児を包みいれて運んでいるのだから逞しい。
ヨーロッパは鞄の文化圏で風呂敷とは縁がなさそうに思えるが、ドイツの大工職人は風呂敷に大工道具を入れて修行に出るのが決まりであったようだ。

体験コーナーで風呂敷の包み方を教えてもらったが、アイディア次第でいか様にも美しい包み方が出来る。環境問題を考えれば、いまこそ風呂敷を見直す時期だと思う。

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