2011年4月23日24日の気仙沼

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    気仙沼市唐桑町にの甥一家が東日本大震災で津波の被害に遭遇。お見舞いに駆け付けた時の撮影。

乱読

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2006年4月17日 (月)

犬の場合

ブログなら気楽に更新できると思っていたものの、これまたなかなか更新できません。
平凡な暮らしの中にも思うことや失敗談など転がっているのですが、腰を落ち着けて書こうと思っているうちに、あっという間に時間が過ぎて行きます。時間とは、自分の意思や努力ではどうにもならないもので、ひとりでにさっさと過ぎ去ってしまい、元に戻らないのですから真に厄介です。
戻らない時間を嘆いても仕方ありません。更新ができないのは私の体が休息を要求しているのだと思い、これからもこの調子で行こうと思っています。

先日、富山県で起きた終末患者の延命治療をめぐっての問題に触れました。終末医療の基準が法制化されていないだけに難しい問題です。
これが飼い犬の場合だったらどうだろうか?
最近読んだ本『エアデールテリア物語』(副題「人にいちばん近い犬」/遠藤 貴壽 著/草思社)に、獣医師である著者の飼い犬ペニー(エアデールテリア)の尊厳死について書かれている箇所がありました。ペニーは自己免疫性の疾患で赤芽球癆という難病を患い、その上に右後肢の関節骨折というアクシデントにも見舞われ、もはや回復の見込みのない時期が来たとき、著者の判断でペニーの尊厳を守る死を選んだ話です。
元気なころのペニーは猪猟に優れた犬で、どんなに強い猪を相手にしてもペアで組めば容易に咬み止めることの出来、その猟欲と闘争心は比類がないほどの犬ということです。病状の悪化が死を待つしかない状態に陥いったときの著者の判断は、「人だけでなく犬にもその存在にふさわしい尊厳死というものがあるはずだ。そしてペニーの尊厳死は、戦いのなかにこそあるべきだ。」というものでした。
ペニーの最後は咬み殺し訓練でした。貧血で少しでも動くものなら意識が朦朧とするであろう時期に、100キロはゆうにある猪に立ち向かわせたのです。その日の朝、著者はペニーに次のように問いかけています。「ペニー、おまえ、このまま病院で死ぬんがええか?それとも今日猪と戦って死ぬんがええか?」
飼い主のその言葉が犬に通じたかどうかは疑問ですが、きっと思いは通じたことでしょう。
訓練所で大きな猪に咬みつき、振り払われても振り払われても尚も咬みつき、余力尽きて目を閉じたままでの状態で這うように寄り付いて、最後まで戦うことをやめずに立派に最後を全うしたということです。
犬に感情があったとしても、飼い主でもその気持ちを完全に理解することは出来ないでしょう。たとえ、専門家であっても然りです。著者もこれを「自分のエゴか」と問いかけていますが、心のある限りを傾けて愛情を注ぎ最後までその能力を引き延ばし育てのだから、その決断に私は納得します。犬に限らず、話すことの出来ない動物たちは自分の意思を言葉として伝えることが出来ません、訴えることが出来ません。それでもその表情やしぐさから彼らの意思をある程度汲みとることの出来るのは、愛を注いで飼育した飼い主だからこそです。要は愛情を注いだ対象に対して、飼い主の満足する方法で旅たつ瞬間を見守ることだ、と私思います。

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