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2006年2月28日 (火)

トリノの聖火が消え

ネパール中部の貧しい山村で生まれ、生活のため8歳から働き、教育らしい教育を受けていなかった少年が、父親の死後、イギリスの百万長者に引き取られ養子縁組をした。これはそう遠くない1990年の話です。覚えていますか・・・。ソルトレーク冬季五輪の1.5キロクロスカントリーで、トップから2分遅れの最下位でゴールしたネパール初の代表、ジェイラム・カドゥカとそのコーチこそが、この養子縁組をした親子です。78の国や地域が参加した冬季五輪だったが、どの国も各種目ごとに選手を出しているから、○○国選手団の一員としてお互いの健闘をたたえあっていた。ところが78カ国の中でネパール、タイ、カメルーンの選手は、たった1人で祖国を代表して奮闘した。「強豪のノルウェーも最初は弱かったはず。タイやカメルーンの選手も目的はみな同じ。ぼくらはパイオニアなんだ」と、完敗とはいえ完走したことの喜びを語っていたジェイラム・カドゥカの爽やかな笑顔が眩しかった。
これこそ、「オリンピックで重要なことは、勝利することより、むしろ参加したということであろう」というオリンピックの精神だ、と私は思う。

トリノの聖火が消えましたね。
謝肉祭をテーマにした閉会式ということですが、道化たピエロの赤い鼻はユーモアがある。国や地域、勝ち負けにこだわらない友好の輪をいっそうに広めたことでしょう。そして何よりも聖火が消えた後、スタジアムが青い光に照らしだされたときの夢幻的な光景には、愛地球博(イタリア館)の「地中海」をイメージしたオブジェが浮かびました。
日本選手団が不調に終わったことも、あるいはメディアの騒ぎすぎが原因したのかなぁ・・・なんって、素人考えに思ってもみるが、それだけに、たった一つの荒川静香さんの金メダルの重みを感じます。
何はともあれ17日間 の大会が幕を閉じたわけで、選手たちは緊張から解放されて、初めてリラックスできたことと思う。

お疲れ様でした。

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2006年2月26日 (日)

三つの謎

DSCF0255  トリノオリンピックもいよいよ明朝は幕が閉じられますね。時差の関係で、私は各競技のライブを全く見ていない。昨朝のフィギュアスケートのエキシビションだって見逃してしまった。思いつきで夜中に部屋の模様替えをしたり、読書に興じたりで朝まで起きている時だってあるのに、翌朝の早起きを予定して前夜に早く寝ようものなら決まって寝過ごすという、どうしようもないところがあります。何もかもが気まぐれなんです。年のせいにしておきましょう。
とにかく明朝の閉会式(日本時間27日午前4時)は見逃さないようがんばります。どんな演出がされるでしょうか。

italy イメージとしては、愛地球博でのイタリア館の統一テーマ「地中海」を思い出します。開会式に、引退して久しいパバロッティが、未だ健在でプッチーニの『トゥーランドット』からアリア「誰も寝てはならね」を歌っていましたが、イタリアと言えば、やっぱりオペラでしょう。フィギュアの荒川さんのフリーでの選曲も、そういう意味からしたら見事です。

氷と雪の祭典の素晴らしい演出を期待して今宵は早く寝ておこうか・・・。朝まで起きていようか・・・。
深夜になってみないとわからないし、そのときの気分任せにしておきます。

さてそこで、トゥーランドット姫が出した3つの謎について、あなたは解けますでしょうか?
ただ、これはプッチーニがオペラの中で用いた謎かけであって、カルロ・ゴッツィの原作とは違うということを断っておきます。

①暗い闇夜に飛び交い、暁と共に消え、人の心に生まれ、日毎に死に、夜毎に生まれるものは何か?

②炎の如く揺らめき、燃え立ち、夕日のように赤く、あるときは冷たく凍り、しかもその微かな呼び声を聞き分けることのできるものは何か?

③氷のように冷たくて、汝には火を注ぎ、汝を自由に任せるかと思えば奴隷にし、奴隷にするかと思えば汝を王にする者は、誰か?

さてさて、お分かりかな?

回答は明日にでも。

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2006年2月25日 (土)

人生の風

年月が人を変える、と言うが昨日ほどそう思ったことはない。
20年ほど前まで、我が家の隣りに住んでおられた方(ご主人)が亡くなった。膵臓癌ということだ。訃報を受け取るのが遅かったので、すでに葬式は済んでいたが豊橋までお詣りに行ってきた。住所を頼りに豊橋駅からタクシーで10分ほどのところにあった。大体の到着時間を連絡しておいたので奥さんは玄関の外に出て待っていてくださった。その姿を見て私は仰天した。20年前のきれい好きな奥さんが見る影もない。おまけに杖を突いてでないと歩けない。一歩家の中に入ると、その空気や様相が私の知っている20年前のものとは丸で違っているのだ。豊橋に引っ越されてからというもの、年賀の挨拶状程度の連絡しか取り合っていなかったので、どんな生活をしておられるのか全くわからなかった。
それでも仏壇に飾られたご主人の遺影は私の記憶の中に残っていて、20年前の元気な面影を偲ぶことができた。
仏壇の前で奥さんが叩きつけるように吐かれた。「お父さん!死の間際に一言も言わずに逝ってしまったのが悔しい。お母さん、ありがとうの一言が欲しかった。」言霊が、霊界の死者に届くかどうかは死んでみなければわからないが、それが、もう二度と帰ってこない亡夫に対する心残りから出た生の心情なのか・・・
いや、その雰囲気からそうは思えなかった。お互いに再婚であり、前妻のお子さんを育てあげて来られたという経過から見ても、見かけ以上の何か大きな問題があったのだと思ったが詳しいことは聞かなかった。人の人生に吹く風はさまざまで、個々人に吹く風について、他人には図り知ることはできない。
出来ることなら、ドラマチックな風じゃなくって穏やかな風のなかで死にたいと、そう思う昨日だった。

心からご冥福をお祈りいたします。

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2006年2月24日 (金)

誰も寝てはならぬ Nessundorma!

まずは、荒川静香さんの金メダルおめでとうございます!!
「誰も寝てはならぬ」そんな迫真の演技のようでしたが、うかつにも私はライブを見逃して爆睡しておりました。

結婚の条件として、王子であること、三つの謎を解いた者に限るとし、もし失敗した者は首切りの刑に処するという残忍なトゥーランドット姫の物語。
その日もまたペルシア王子が処刑されるところであった。人々は処刑を見ようと広場に集まっている。処刑を促すトゥーランドット姫が城壁に姿を見せると、一人の男は、姫のその美しさに一目ぼれしてしまい、自分も三つの謎解きに挑戦する決意をする。トゥーランドット姫の父である中国皇帝アルトゥムは、もう血は見たくないので挑戦者の男に帰れという。
そこに現れたのが、生き別れになっていたその男の父親であるダッタン王ティムールと女奴隷リュー。そう、謎解きに挑戦しようとするその男こそカラフ王子だった。女奴隷リューはカラフ王子を密かに慕っており、彼女の切なる訴えにも関わらず王子はついに挑戦のドラを鳴らした。
謎解きの結果は「希望」「血潮」「トゥーランドット」、とカラフ王子は3つとも解いて勝利した。観衆は歓声を挙げるが、トゥーランドット姫は、翌朝までの猶予を求め、皇帝に懇願する。しかし皇帝は認めない。するとカラフ王子は、「夜明けまでに私の名前を言い当て下さい。これに姫が正しく答えられば、自分の権利を放棄する」と言う。
カラフ王子が歌うアリア「誰も寝てはならぬ Nessundorma!」は「私は絶対勝つ!」というトゥーランドット姫への一途な愛だ。
そこには、自分の身の危険をも顧みず高貴で美人ということ意外は、高慢な女というしか言いようのないトゥーランドット姫を自分のものにしたがる男の征服欲がある。
一方、女奴隷リューは王子の名前を言うように拷問にかけられたが、アリア「大きな愛 Tanto amore」を歌い、愛の力があるから知っているが答えないと言う。しばらく拷問が続けられ、アリア「姫の冷たき心も、やがて溶けなん Tu,che di gel sei cinta」を歌い、いきなりリューは兵士の短剣を奪って自害する。
リューの遺体は静かに運び出され、残ったカラフ王子はトゥーランドット姫を抱きしめ、彼女の耳に自分の名は「カラフ」だと囁く。
トゥーランドット姫は、大衆の前でこの王子の名を知り、その名は「愛」と叫び、人々の歓喜のなか幕は下りる。
以上が私の好きなオペラ『トゥーランドット』のあらすじですが・・・

今朝のフィギュアスケート女子のフリーをテレビ観戦するつもりで、昨夜は早く寝たのに寝過ぎてしまった。いや、朝方の4時だったかにトイレ起きしたものの、その時点ではフィギュアスケートのあることすら忘れてしまっていた(笑)
で、起きたのが7時30分過ぎで、朝食の支度をし始めながらテレビスイッチを入れたら、どのチャンネルも「荒川金メダル!」の文字が躍っていたというわけです。ライブ観戦を見逃したものの、ニュース等で荒川さんの演技をじっくり見ることができたが、使用した曲が『トゥーランドット』だったんですね。
「誰も寝てはならぬ」ああ~私は寝てしまいましたが・・・

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2006年2月23日 (木)

解毒剤

あれだけ世間を騒がせていた話題のメールも、何の進展もありませんでしたね。
これで幕引きでしょうか。
「証拠を出す」「出さないじゃないか」では、いつまで経っても堂々巡りというもの。
どちらも、もう少し発想を転換して対応しないと結論なんって出ないでしょう。
・・・とは、政治音痴の私の考えるところです。

『脳の中の幽霊』(V.S.ラマチャンドラン、サンドラ・ブレイクスリー共著 山下篤子=訳)によれば、発想の能力や創造性というものは笑いのメカニズムを培うことによって出来上がってくるということだ。
笑いのメカニズムについて書かれていた項で、ジョークのことが取り上げられていた。その一つを紹介する。

――ある男がカリフォニアのとあるトラックサービスエリアの食堂で昼食をとっていると、突然ジャイアントパンダが入ってきてハンバーガーとフライドポテトとチョコレートシェイクを注文した。パンダは座って注文の品を食べ、立ち上がると、数人の客の方を見て、ドアから走り去った。男は仰天したが、ウエイターは平然としている。「いったいどういうことだ」と男が聞くと「ああ、別に驚くことはありませんよ」とウエイターは答えた。「辞書で<パンダ>のところを見てご覧なさい」。そこで男が図書館に行き、辞書でパンダを調べると、こう書いてあった。「大型で白と黒の毛におおわれた動物。中国の多雨林に生息する。若枝や葉を食べる[It eats shoots and leaves.食べて、見て、立ち去るという意味にもとれる]」――

この話がなぜ面白いのか・・・
ジョークやおもしろい挿話は、次のような論理的構成から成り立つているのだそうだ。
聞き手を惑わして間違った予想の方向に誘い、少しずつ緊張を高める。そして最後に、先の情報を根本的に解釈しなおさざるを得ない予想外のどんでん返しをする。しかも新しい解釈は、全く予想外であるにも関わらず、もともと予想されていた解釈と同じくらい、事実全体を意味のあるものにする解釈であることが不可欠ということだ。

この論理的構成は理解できるが、要は聞き手がそれを見抜くことが出来なければおもしろくも何でもない話になってしまう。
上に紹介した話にユーモアを感じましたか?
こうした笑いのメカニズムを培うと、新しい情報に照らし再解釈する能力が出来てくるということだ。つまり、発想の能力が出来上がってくる。なんでもない事象も、斬新な見地から見る創造的な人間になるということだ。
ならばジョークは、同趣旨の議論のやりとりばかりしている政治家の人たちにとって、解毒剤になるのではないだろうか・・・なんってね。

さて、堀江容疑者ですが、東京拘置所内で韓国語の勉強や『史記』を読んだりしているようです。『史記』といえば、中国古代の治乱興亡を舞台にした、歴史と人間を追求した司馬遷の名著で、全130巻。拘置所内では時間的余裕があるのでしょうか。
それにしても、さすがに勉強家ですね。
過去を顧み、未来を考えているのでしょうか。

いや、案外「燕雀(えんじゃく)いずくんぞ鴻鵠(こうこく)の志を知らんや」で、世間の小人物に僕のような大人物の志がわかるか、なんって心境かもしれません。

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2006年2月22日 (水)

フィギュアスケート女子、やりましたね!

スポーツ音痴の私でも、トリノオリンピックには燃えている。今日は珍しく早朝起床して、フィギュアスケートの女子ショートプログラムを見ていた。安藤選手のジャンプミスはちょっと残念だったが、荒川選手と村主選手の演技は完璧といっても良いのではないか。終了後のインタビューでの受け答えも立派だったと思う。明後日のフリーに期待したい。

世の中にはわからないことが山のようにある。
で、わかってもしょうがないことことも山ほどあるものだが・・・。
魚の頭を見ても、どこにも耳はついていない。ところが、水槽の中の魚は水槽を叩いて振動を与えると反応する。
魚には人間のように外耳や中耳はないが、頭の内部に一対の内耳があるそうだ。その内耳で音を聞きとるということだ。手術をして内耳を取り去ると、振動を与えても反応しなくなるらしい。

お魚博士の故末広恭雄さんの『魚の歳時記』に、「魚と音楽」の関係について興味深いことが書いてあった。
魚は音に反応するどころか、音を聞き分けるそうだ。
ドイツの魚学者の研究では、淡水魚を使って、ド(C)の音を聞かせる度にエサを与え、ソ(G)の音を聞かせる度に、その魚を苛めるように訓練したら、魚はすっかり音を覚え、ドの音を聞かせればエサが無くっても寄って来るし、ソの音を聞かせただけで逃げる。
そればかりか、更に研究を続た結果、魚は絶対音感(他の音と比較することなく、音の高さを例えばド(C),レ(D),ミ(E),ファ(F)と、音高名で言い当てる能力)を持っていることがわかったということだ。

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2006年2月16日 (木)

残り10日

トリノオリンピックは、26日の閉会まであと10日ですか。
メディアが大騒ぎして持ち上げた割りには、日本選手団の不振が目立ちますね。
郷土の期待と国の名誉を背負って、その重圧に本来の実力が出せないのかもしれない。
スピードスケート女子500で、岡崎朋美選手が4位で惜しくもメダルを逃し「惜しかった」という感も否めないものの、34歳の執念は、それなりに立派な結果だったと思う。
さわやかな朋美スマイルも人に好印象を与えるし、日本選手団主将としてふさわしい。

米国代表としてフィギュアスケートペアに出場した井上怜奈選手。惜しくも総合結果は7位だったが、父親を亡くし、自分も病魔に戦いながらの出場だった。彼女の人生には、計り知れないドラマがあったと思う。
競技は技術であり、得点結果である。それがメダルに象徴される。しかし、その根本は精神であり心の緊張度だと私は思う。だからこそ、得点の結果以上に、各選手の人生ドラマに感動もするのです。

残り10日、日本選手の活躍を祈ります。

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2006年2月15日 (水)

結局はお金かな・・・

暇というわけでもないのですが、寝るときに読む本がないので深夜にGyaOで映画を見ています。
昨夜見たのは『バブルと寝た女たち』1998年製作。監督:新村良二、 原作:家田荘子のノンフィクション。仕送りが途絶えた美大生が、学費捻出のために銀座でホステスのアルバイトを始めた。時はバブル景気。お店では一本何十万もするドンペリが飛ぶように開けられる。そんな中で少しずつ銀座の女として染まり、若手実業家の愛人になり優雅な生活をするが、やがてバブル崩壊で若手実業家は破産、妻とともに無理心中してしまう。バブル経済に翻弄された女がテーマになっている。中尾彬が演じていた金持ちの不動産会社社長が吐いていた言葉「男の価値は金で決まる」「女の価値は男で決まる」が、妙に頭にこびり付いている。

今日のニュースに「ホストクラブ経営の阪大生、恐喝の疑いで逮捕 」というのがあった。
学生の身分でホストクラブ経営なんって驚くが、平成15年に新事業創出促進法の一部が改正され、1円でも会社が起こせるということで、これを利用して事業を始める学生も多いとか。
学生の本分は勉学ではなかったのか、と私などは首を傾げてしまう。
アルバイトをするにしても、学生にふさわしいアルバイトがあるでしょうに・・・。
結局は、お金なんでしょうかね。

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2006年2月14日 (火)

Chocolate Mathematics

今日はセント・バレンタイン・デーですね。そこの貴方、チョコレート貰った?
貰いすぎで悩んでいる?
ひとつも貰えなくって悩んでいる?

つい先日のニュースにあったが、神奈川県ある市の課長職にある56歳の男性が、スーパーでバレンタイン用のチョコレートを万引きした疑いで現行犯逮捕された。そのチョコレートどうするつもりだったんでしょうかね。もてない悩みから、自分がもてる、と周囲にアピールしたかったのかな。あるいはホモセクシュアル の関係にある相手へのプレゼントかな。いろいろ想像してしまいますが・・・。
いずれにしても、今日という日は男性にとっては気になる日ですね。
いや、私のようにチョコレートを上げる相手がいないのも寂しいものです。

さて、チョコレートの日ということで相も変わらず「Chocolate Mathematics」です。
オクターブ時代から贔屓にしてくださっている人にはくどいようですが、最近になって覗いてくださる人もあるようで再びです。
どうぞお試しあれ!なんとも不思議な結果が出ます。

①一週間で食べたいチョコレートの回数(数?)を書いてください。
1回以上、10回以下にしてください。
②2をかけてください。
③(日曜日用に)5を足してください。
④50をかけてください(計算機をつかうなら、待ちますよ)
⑤今年の誕生日が来てたら1752を足してください。もしきてなかったら、1751を足してください。
⑥そして、あなたの生まれた年(4桁で)をひいてください。

さあ、その数字は3桁になっているはずです。その3桁の最初の数字は、あなたが食べるチョコレートの数ですね。
そして、つぎの下2桁は、あなたの年齢です!

(オーストラリア人のメールフレンドからのメールで、NETフレンドのゆーきさん訳による)

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ノーカット版

GyaOで「愛のコリーダ2000」観た。昭和11年、阿部定という女性が愛人の吉蔵を絹紐で絞め殺した上に、その局所を切り落とした事件をモデルにした大島渚の作品「愛のコリーダ」が、その衝撃的な性描写で問題になり大幅に修正された。それから24年を経てのノーカット版「愛のコリーダ2000」である。

それにしてもボカシが多かった。 どうだろう・・・。あれだけボカシが多いと、かえって猥褻な感じがする、というのが私の感想だ。

ああいうのが純粋な愛といえるのだろうか。究極のエロスとはああいうものなのか。はたまた、芸術と観るのか。

社会背景や複雑な人間関係を省いて、人間の根源的な欲望である性のイメージを表現しているのだろうか。大島渚のテーマとするところのものが、私には必ずしも明瞭でない。

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2006年2月10日 (金)

朝まで読書

なにやら穏やかならぬ状態で眠りに付いたのが今朝方も4時過ぎていたから、起きたのが10時近かった。寝起きに鏡を覗くのを習慣にしているが、別に奇怪な動物に変身しているわけでもないのに、腫れっぽたい瞼の奥の目が、剛毛の中でなかなかみつからないモグラの目のようだ。
穏やかな春の日差に眩暈がしてきた。首から後頭部にかけて鈍痛が走るような感じがする。
多分、原因はこうだ。

アマゾンで注文した本が数日前に届いたので、ここ2、3日で一気に読み上げようと、今朝方までかかって2冊目を読了。
ベットにティッシュペーパー持込で、最初はメガネの隙間から涙を拭いていたものが、それでは間に合わなくなってメガネを外しては涙を拭き、また続きを読みの繰り返し。
肺癌で余命2年と診断され、迫リ来るタイムリミットのなかで書かれた自伝小説『ヴァニシングポイント』(奥山 貴宏 著/マガジンハウス )と、闘病中にWEB上で発信していた日記やコラムを収録した『32歳ガン漂流 エヴォリューション』(奥山 貴宏著 /牧野出版)。
『ヴァニシングポイント』の方では、ドラッグ、クラブ、バイクといったなかに身を打つっけていかなければ、精神を保つことができない今の若者の苦悩の姿を垣間見たような気がする。
『32歳ガン漂流 エヴォリューション』の方は、常態でない体を押してでも、おいしいものを食べ、バイクに乗って音楽を聴き、ショッピングを楽しんで、文章を書き、もちろん仕事もしている。
決して、泣き言やお涙頂戴の闘病記ではない。
それなのに私の涙が止まらなかったのは何か・・・
奥山さんも書いているが、「自分が死んで涙を流している親の姿を想像するのが怖い」(要約)のかもしれない。あるいは、身近な者が死んで、涙を流している自分を想像してしまうからかもしれない。

こういう自伝的ノンフィクションは、読み手の受け取り方もいろいろあるだろうが、いずれにしても知識の豊富な人だったことが伺われる。

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2006年2月 7日 (火)

寿桃包子

混み合った中華料理の店で、店員に同席を促された。
回転する円卓に先客の母子連れ三人が座っていた。
高校生風の男の子と中学生風の女の子。
運ばれてきた料理は「チャーハン」と「から揚げ」の各一皿。
そしてラーメンはそれぞれが一人分ずつ。
母親が3等分したチャーハンを、娘は「そんなに食べれないわ」と無愛想に言う。
横から息子の方が「ボクに頂戴」
母親は学校の様子を聞いている。
素直に答える息子。
何を聞いても不機嫌そうに一言二言の娘。
それでも母親はその一言二言のわずかな触れ合いにも満足しているようだ。
「寿桃包子食べようよ」
母親のリクエストに娘も同調して「うん」
女の子の場合、肉体的にも大人に入っていく中学の頃が一番難しいのか・・・

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2006年2月 4日 (土)

読んだ本の影響で

週に2日あるフリーな日なのに風邪でゴロゴロしていた。先日紹介したキャメロン・ウエスト『多重人格者として生きる』の残りの部分を読んでいた。

著者自身が子供のころに身内から受けた性的虐待、それが原因して多重人格の症状が出ているのだが、一人の人間の中にある25人もの人格に、読んでいる私の方が混乱させられて付いていけなくなった。
当分お預けだ!

風邪薬をスタミナドリンクで飲んで寝たら、夢の中にいろんな人物が出てきて私に話しかけてくる。
それが大人だったり子供だったりする。
頭の片隅で、これは創作のネタになるのでは、とそう思った。
そう思った時点でメモでもしておけば良いのだが、いかんせん思ったのも夢の中だから・・・。
寝汗に気付いて目を覚ました時点では、夢の詳細なんってすっかり忘れてしまっている。今となっては後の祭。汗をかいたおかげで熱も下がったのか、咽の痛みや関節の痛みもなくなり体中が弛緩してきた感じだ。

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2006年2月 1日 (水)

インプットとアウトプット

あらゆるカテゴリーで本物の情報を発信している立花隆さんは、インプットとアウトプットの比率が百対一の割合になるそうだ。
子供のころから、そして今に至るまで凄い量の本を読でいるということだ。本を読めば知識が増えるというものでもないが、情報が無ければ自分から発信することもできない。
インプットしたことをアウトプットすることで、その理解度もわかるし、知となって情勢の変化に応じて的確に判断・処理出来るものです。

パソコンの不調で自分のホームページから遠ざかっている間に、すでに1月も終わってしまった。2ヶ月以上も休止していたわけだが、未だに更新意欲が湧いてこない。要はインプットが少ないからアウトプットも出来ないというわけですね。

(今読んでいる本)
『多重人格者として生きる』
キャメロン・ウエスト (著), 堀内 静子(訳)
早川書房 ; ISBN: 4152082356

4152082356 25人の人格を持ち、多重人格(解離性同一性障害)と診断されたキャメロン・ウエストの書いたノンフィクション。

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